彼女な僕と、彼女との関係性

時邑亜希

第1話

 最初に見かけたのは去年の春。黒いショートレザーブーツをカツカツ打ち鳴らし、艶やかな黒髪を風に遊ばせ、新入生勧誘が入り乱れるキャンパスメインストリートをさっそうと歩くその姿。

 前々からうっすらとその存在は耳にしたことがあったけど、いざその姿を目にすると迫力が違う。百聞は一見にしかず、一度見たらもう目が離せない。以来、すっかり僕は彼女の虜で、キャンパス内で目にするたび自然と目で追って、その麗しい姿を堪能している。ストーカだと言われるとちょっと否定し辛い。さすがに後をつけ回したり、行動予定を把握したりはしていないので、まだ大丈夫だと信じている。言うなればアイドルのファンみたいなものだ。追っかけまではいってない。でも、この時間テレビに出るよと聞けば見る。そんな感じ。……うん、ギリギリだね。

 今日も今日とて講義室のやや後方に座り、前方に座る彼女を眺めている。僕の名誉の為に言っておくが、たまたま僕が必修として履修する講義を彼女も履修していただけだ。偶然だ。でもその偶然を神様に感謝したことは否定しない。

 今日は薄いブルーのシャツを白いタイトな丈のパンツとラフに合わせた初夏スタイル。僕よりも遥かに高い身長も相まって、まこと見目麗しい。そんな素敵な彼女を目撃できたことで今日は良き日であるはずだ。気分が良いので講義が終わったらどこか買い物にでもとぼんやり考え出したところで、携帯(もちろんスマートフォン)へ送られてきたメッセージの内容を見て予定変更を余儀なくされる。お仕事の連絡だ。



 講義を終えて一度家に帰り、身なりを整えてから指定場所へ。今日の指定はけっこうヘビー。ガンダムで言えば最終決戦前のフルカスタム増装もりもりカトキハジメVer。目立ちたくないのだけど、この格好はちょっと……しかしこれもお仕事。割りきり重要である。

 そうこうしているとクライアント到着。声をかけられ、にっこり微笑み、手を繋いで夕闇の繁華街を歩く。何度かご一緒したことのある相手で、若干スマート差にかけるところはあるけど純朴で紳士的な人。通称“先生”。

 今日の予定は、まずはちょっといいお店で初夏らしい鱧料理を楽しませて頂けるとのこと。大変楽しみである。でもまぁ、その後のことを考えてお腹が膨らんでしまわない程度にセーブしつつ堪能させて頂きましょう。


 察しの良い諸兄はお気付きであろう。そして気付いてらっしゃらない方は前途希望に満ち溢れた純朴な若人であるか、そうした文化を必要とせず十分に需要も供給も間に合っている幸運なお方であるかだろう。ここから先のお話はこの社会においてはごく当たり前の様にありふれた話であり、なぁんにも珍しい事象ではない。

『そんなことはない、それは隠匿すべき話だ!』

 と、鼻息荒く宣われる方は、それも個人思想の自由なので今すぐ回れ右して恵まれた家庭環境に浸り、充実した日常生活に戻られるがよろしい。

 それでは諸兄、続けてもよろしいかな?


 僕の目の前には美味しそうな鱧の湯引き。酢味噌で一口。梅紫蘇で一口。マジうめぇ‼

 ……失礼。夏の味覚による誘惑が凄まじく、思考が脱線してしまいました。

 気を取り直して、客観的に今の状況を説明してみよう。


 市内

 そこそこいいお値段のするお店

 奥座敷

 ちょっとやぼったいスーツを着た中年男性

 パニエしっかりフリルたっぷり

 クラシカルロリータなワンピースを着た黒髪お下げの子

 二人で楽しそうに食事

 

 念の為に付け加えると、どちらも成人しているので違法性は無い。

 世間的に見ればカップルか、先生と教え子か、はたまた兄妹か、そんな二人が夏のボーナスを使って旬の美味しい物を食べに来ている。ただそれだけの風景だ。

 僕は、そういう相手役を務める仕事をしている。

 僕のアルバイトは言ってしまえば人材派遣だ。クライアントの要望に合わせてもっとも適切なコンパニオンを派遣する。この服は今日のクライアントの要望だ。前回プレゼントされたのである。次に会うときは是非着て欲しいなと。あんまり変なのは断るけど、このくらいまでなら許容範囲だろう。どうせ会うのは日が暮れてからだし、先生と行くお店は個室が多いからまぁいいかなと。

 そんなこんなで楽しく食事は進み、デザートの錦玉羮(きんぎよくかん)(夜空をイメージした深い青の中に月が……すごく綺麗‼)も頂いてチェックとなりました。さぁ、夜はここからだ。どうにも先生は照れがあるのかスマートになされないもので。ここは多少サービス。お店を出たところで甘える様に腕を取って、「ねぇ、次はどこに連れていって下さるんですか?」って。まぁ、次どこ行くかなんて決まってるんだけどさ。


 僕は、男である。

 あ、もしかして女性と思ってたならごめんなさい。生まれてこの方ずっと男性です。

 日常的には僕は男性の服を着ているし、下着も男性ものを利用する。恋愛対象だって女性だ。高校生の頃女の子とお付き合いだってしていたし、今も恋愛対象としては女性以外あり得ない。

 でも、女性的なファッションには憧れがある。別に男性の服装が嫌なわけではないし、それを着ることに違和感を感じているわけでもない。単純に好きなのだ。言うなれば単なる趣味嗜好。仕事中はTPOわきまえてスーツを着るが、休日は和服しか着ません。だって好きなんだから。というのと一緒、と言えば多少理解出来るだろうか?

 最初は単純に見ているだけで十分だった。テレビに出てくる芸能人を。雑誌のファッションモデルを。道行く人たちを。そういう男性もけっこういるし、そうやって服飾関係に進路をとる人もいるだろう。ところがどっこい、僕の興味は見ているだけにとどまらなかったのである。

 大学進学で一人暮らしを始めたのを気に、ちょいちょいと研鑽を積んで。今ではフル装備施せば、しゃべらない限りそうそうばれない程度にはなれるようになってしまった。幸か不幸かサバ読み百六十センチの身長や、誰に似たのか老けないファニーフェイスがそれを援護してくれている。

 ちょっと小難しい話をすると、僕みたいな人間を一般的にはトランスジェンダと呼び、更に医学的にトランスヴェスタイトと分類するらしい。が、この呼び方は差別的だとしてクロスドレッサーなんて今は呼び出しているとか。

 正直、良く分からん。詳しくは電子の海をあさって欲しい。どこまで本当なのか怪しい蘊蓄がWebにはわんさか溢れている。ただ、前に大学の先生にとある分野についてWikiに書いてあることは本当ですかと聞いたら、全く異なることがさも当然の様に書いてあるよと笑っていらっしゃった。妄信的にそうだと信じている、もしくはそうあってもらわないと色々と困っちゃう人が大きな声で叫び続けているのがWebの蘊蓄である。正しい情報もある。書いた人にとっては正しい情報もある。それだけだ。

 兎角そういった世情ではあるが僕は僕だ。他の誰がそうだからという理由で勝手に分類されてしまってはたまらない。しかしながら、僕のこうした趣味嗜好は少数派であることは確かである。世の中困ったちゃんは多く、自分と異なる考え方を持つ人、少数派の人、自己嫌悪の対象となる人を容赦無く攻撃して、安心を確保したい人はそこらしかにいる。故に、不本意ながら身を隠すのだ。

 このアルバイトは趣味と実益と需要と供給が絶妙にマッチしたWIN-WIN-WINな夢の職場である。女性の格好がしたい。お金が欲しい。大学を卒業するまでに奨学金を精算してしまいたい。なら時給八百五十円だ、深夜は千五百円だ、家庭教師は稼ぎがいいだ、そんなお小遣いでは話にならない。四年制大学を卒業して、見事正規雇用新卒採用された頃には借金額七百万。超大手にでも就職出来ない限り、十年無欲に働いて返済出来るか怪しい奴隷へクラスチェンジだ。そんな人生、僕はゴメンである。

 そんな現実に絶望していた大学1年生のゴールデンウィーク、少し縁があった。そうしてこのアルバイトと出会った。お金を貰うのだ。それもそこそこの額を。時間、労働、苦労、ストレス、嫌悪、多少はある。でも、割り切る。幸いにも僕には商品価値があった。僕が世界で一番不幸とは言わないが、それでもそれなりに不幸な部類だろうとは思う。でも、今回ばかりはラッキーだ。ありがとう、この身体と、顔と、趣味嗜好で。お陰でこの調子でアルバイトに勤しめば僕は借金を完済した状態で大学を卒業し、余裕があれば院生になることだって夢じゃ無いのだ。


 事を終え、仲睦まじく建物を出て駅まで歩く。このあたりはちょっとお高い繁華街だ。学生や取り合えず飲めればいいというサラリーマンではなく、リッチな時間を過ごしたいという人たちが利用するお店が立ち並んでいる。自然と周囲を歩くのはそういう人たち。もちろん、中には僕の様なコンパニオンも混ざっていることだろう。でも誰がコンパニオンで、誰が真実の愛なのかなんて分かりやしない。そもそも真実の愛って何? 理屈じゃない燃える様な恋愛? オーケ、それもありだ。でもここにいるのは大概がそれなりの社会的地位、金銭的成功を納めた人だろう。相手にその成功が無くてもその真実の愛は継続する? なら、今の僕と、真実の愛を主張する人たちにどれ程の違いがあるのだろうか。

 なんて、どうでもいい理論武装のもとに僕はこのお仕事を行っている。後ろ指指したければどうぞ。でも僕は君たちがその批判に使う時間をもってお金を手にして借金を返すだけです。

 ほら、今目の前のお店からも男女が一組出てきた。五十代くらいの成功を納めていそうな男と、スラッとしたモデルみないな綺麗で若い女性。ちょっと年齢差あり過ぎだし、男は鼻の下のびっぱなしだし。恐らく彼女たちも僕たちと近い関係なのではないだろうか。

 すれ違い様、ちらりと彼女の顔を見る。どこか見覚えが。麗しい黒髪はアップに。ちょっと大人びたブラウスに細身のパンツスタイル。意思の強そうな瞳と、最近の流行りに逆行した涼やかな細い眉。あぁ、もうこの顔は見間違えるわけがない。憧れの彼女だ。

 一瞬、目が合う。が、僕はこの格好。そもそも彼女は僕の事を知らないわけだし、せいぜいずいぶんと派手な格好をした子がいるもんだなと思った程度だろう。

 一方の僕はというと、どうにかこの驚きを隠すべく必死の抵抗。直ぐに視線をそらし(でもせっかくの彼女のデート服。超ガン見したい)、できる限りのクールフェイスで先生の腕を取り足早にその場を立ち去ろうとする。先生が、どうしたの?と聞いてくるけど、答えると声でばれる可能性もあるのでにっこり微笑んでなんでもないですよって。

 そうして無事逃げ切った僕は先生を改札で見送り、迎えに着た車に乗って撤収するのでした。労働お疲れさまでした。さぁ、帰ったら課題片付けちゃわないとね。

 これが僕の日常。奨学金進学という選択肢を選んでしまった大学三年生男子のリアルである。

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