第3話 柏木家の食卓

 俺と陽菜は大の仲良し兄妹ってわけじゃなかったが、一般的に見て悪くない関係を築いていたはず。


 そんな妹から「キモイんだけど」と言われてしまう衝撃的な事態に、俺は人生でトップクラスのショックを受けた。『1年半も昏睡していた』と聞かされた時と比べ……ギリまさらないくらいの衝撃だ。


 しかし緑パーカーを着たあの少女が、本物の陽菜だとは断言できない。

 顔も背丈も物凄く似ていたけど、別人という可能性も多いにある。


「1、2、3、4、5、6……ふぅ」


 廊下の真ん中で6秒数えて、深呼吸してから気持ちを落ち着ける。


 陽菜本人が反抗期に突入したのか、あるいは全くの別人なのかは未だ不明だが、とにかくまずは、正確な状況を把握しないと。


 そう思って父さんと母さんの寝室に入ったはずなのに、二人の部屋はもぬけの殻だった。

 服や荷物も少なく、直近でベッドを使った形跡もない。まるでどこかへ旅行にでも行ってしまったかのような、人の気配を感じられない殺風景さだった。


 電話してみようとスマホを取り出すが、俺のスマホは1年半前の事故で大破してしまっている。今持っているのは新しい機種。中学時代の友人達の連絡先どころか、両親や妹の電話番号すらも入っていない状態だった。


 数字を暗記しているのは自宅の固定電話くらいで、しかもそれは引っ越し前の家のモノ。高校進学と同時に引っ越してきた、俺が今いるこの家の電話番号すら、うろ覚えという有様だった。


「……いよいよ、警察か……?」


 だがこんな状況、どう説明すれば良いんだよ。

「朝起きたら家族がいなくて、妹が10人に増えていたんです!」ってか? 俺の方がヤバイでしょ。間違いなく色々な検査をされる。尿とか採られるって、絶対。


 こうなったら、に直接聞くしかない。


 俺は覚悟を決め――朝食の匂いが漂ってくる上に、幾人もの女子の話し声が聞こえてくる――リビングへと、歩き出した。




***




 中学卒業と同時に引っ越してきて、事故に遭って長期入院するまで、この家で暮らした期間はたった半年ほど。

 それでも、見慣れたリビングには安心感を覚える。……見覚えのない妹達に比べれば、遥かに。


 ガラス戸の向こうには庭が見え、父さんが育てたサボテンも、母さんが手入れしていた花壇も健在だ。

 テレビのチャンネルは、我が家お決まりの『4』。ワイプに映る若い男性アナウンサーが、無関心そうな表情で朝の芸能ニュースを見つめている。

 テレビも、ソファーも、ゲーム機も、車関係の雑誌も、エアコンやリモコンの位置も、1年5ヶ月前と何ら変わらない。


 ただ――見知らぬ長方形のテーブルだけが、異様な存在感を放って鎮座していた。


 会議室にでも置かれていそうな、白い長テーブルの長辺には椅子が5つ。反対側の長辺にも5つ。

 短辺の、俺が立っているところに一番近い場所には、大きめの椅子がひとつだけ置いてある。

 12人が着席可能なテーブルだが、リビングに置かれている椅子は11個。


 そして左右5個ずつの椅子にはそれぞれ、既に『妹達』が座っていた。


 必然的に、俺は最後の椅子に座るしかない。

 何だろう……ファンタジー作品とかヨーロッパの歴史映画で、王族や貴族が長テーブルで食事する時に、王様が座る椅子って感じの位置だ。


「遅いよ、お兄ちゃん! 冷めちゃう前に、早くイタダキマスしよ?」


 大きめの椅子に座り、に用意されているトーストや目玉焼きやコップの中の牛乳といった朝食を確認してから、右斜め前を向く。


 席から一番近い場所に座っているのは、今朝俺を起こしてくれた制服姿なサイドテールの少女。『一人目の陽菜』だ。


「お兄さんの大好きな『まろやか牛乳』、それで切れちゃったんです~。今日の学校帰りに、ワタシが買ってきますね~」


 俺から見てすぐ左斜め前。『一人目の陽菜』の正面に座るのは、母性を感じさせるおっとり系巨乳美少女。高校の制服を着ているが、人妻や聖母のような笑顔で、優しく微笑んでくる。


 二人の手元には俺と同じ、焼いたトーストと目玉焼きとベーコン、サラダとコーンスープが置かれてある。飲み物はオレンジジュースやコーヒーだけど。

 二人の目玉焼きは完熟の固焼き。だが俺のだけは、


 ――俺の好みの焼き加減を、知られている。


 うすら寒さを感じながらテーブル全体を見回すと、しかし全員が同じメニューというわけでもないらしい。

 ご飯と味噌汁だったり、ハンバーガーや麻婆豆腐やシチューだったりと、様々なバリエーションの朝食がテーブルに並べられていた。

 ……卵の焼き加減も単なる偶然、色々と用意されたメニューのうちの一種、ということだろうか。


「やはり日本人の朝食といえば、白米と味噌汁だと思うのですが兄様あにさま……! お望みとあらば、陽菜わたくしめにお申しつけください……! すぐにご用意いたします!」

「日本人だからとか関係なくね? アタシはパン派かな~」

「オフゥ、大和撫子にも容赦ないでありますな陽菜殿……! フヒッ、しかしそう言いつつ美味しいオニギリとか作るギャップ萌えを狙っておいでで……!?」

「ワタクシからすれば、そんな薄いトースト一枚では議論にすらなりませんわ! 皆様もワタクシと同じように、朝からギガビッグバーガーを食べるべきですわ~!」

「フー……。フーッ……! にーに……! にーにぃ……っ! どうにしかして、にーにの牛乳に陽菜あたしの血を……!」

「アイヤー、ソレどこの流派の呪術アル? ワターシ蟲毒までしか知らないネ」

「……チッ……」

「……ブラット兄さん来たし、もう食べ始めて良い?」


 そんな感じで、テーブルの左右に5人ずつ座った、バリエーション豊かな合計10人の陽菜達が、それぞれ好き勝手に喋っている。


「ハイハイ陽菜ちゃん達、静かにー!」


 も含め、全員が着席したことを確認した『一人目の少女』が、パンパンと手を叩いて仕切った後。

 拝むように手を合わせ、明るい笑顔と快活な声で、朝食の時間をスタートさせようとした。


「それじゃあ皆! 貴重で美味しい食事に今日も感謝して、声を合わせて、いただきま――!」




「ストォォォォォォォォォォォーーーーーーーーップ!!!!!!!!!」




 絶叫が、朝のリビングに響く。


 俺の叫びと重なって「いただきまストップ」みたいになってしまったが、構わず椅子から立ち上がる。

 そんな兄を、全員が驚いた表情で見つめてくる。


 だが俺から見てテーブル一番奥の右サイド、フードを被った緑パーカーの少女だけは、不機嫌そうな表情を浮かべつつ「うっさ……」と小声で呟いた。首にかけていた大型のヘッドホンをフードの中で装着し、兄の言葉はシャットアウト。

 あの子は陽菜と一番似ている容姿をしているだけに、兄としては凄く傷付く。


 しかし、俺は言わなければいけない。言う権利がある。言わなきゃ何も始まらない。


「ねぇ、キミ達ダレ!? 誰なの!? 怖いよォ!!!」


 ずっと抱えていた感情を吐き出す。

 6秒数えて冷静な話し合い――なんて、したくない。できる余裕もない。

 目覚めてから今この瞬間まで感じ続けていた想いを、疑問を、まずは全て表に出して、彼女達に伝えないと。じゃなきゃ俺の精神が崩壊してしまう。


 だが右サイドに座る、サイドテールの『一人目の少女』はケロッとした表情で、なんともない調子で答えた。


「誰って……。陽菜だけど? お兄ちゃんの妹の」


「じゃあキミは!?」


 そう言って、俺の左サイド――『一人目』の正面に座る、亜麻色髪おっとり系ママを指差す。まるで授業中の先生みたいな動きだな、俺。


「ワタシは柏木陽菜ですよ~。新也お兄さんの、妹です」


「なら、そこの貴女は!?」


 今度は俺の右斜め前、一人目の少女の右隣に座る、黒髪で姫カットな和服少女を指名する。


「か、柏木陽菜でございます兄様あにさま。わたくしのこと……お忘れですか?」


「……いや、いやいやいや……」


 どうなってんだよ……。


 俺は力なく、『王様の椅子』にへたり込んだ。


「……つーかさァ~。全員が同じ名前だから、兄貴は混乱してるんしょ? それぞれ名乗ろうよ。アタシとしても、自分が呼ばれてるのか違う子なのか、分からなくなるし」


 和服少女の正面、おっとりママの左隣に座る金髪ツインテールギャルが、装飾しデコりまくったスマホで朝食の『映え』を気にしつつ撮影してから、そう提案してきた。


 いや、そういう問題でもないんだけど……。


「そうだね! ナイスアイデア、陽菜ちゃん!」


 しかし金髪ギャルの提案は受け入れられたようだ。


 一人目の少女は自身を『陽菜』と名乗ったくせに、金髪パリピギャルのことも『陽菜ちゃん』と呼ぶ。頭がどうにかなりそうだ。


 そんな俺の困惑など気にせず、溌剌はつらつとした表情と声で、『一人目』は自己紹介を始めた。

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