第6話 幻に揺蕩う森


食事を食べ終えた一行はギルド施設の裏手にある修練所へ向かい、実戦稽古をしていた。

エルはフォルシュが打ち付ける木剣を避ける時もあれば、振り下ろされる木剣を受け止めカウンターに持ち込んで反撃することもあった。


エルはどうしても、先程の少女のことが忘れられない。いや、彼女が言ったカティが深刻な状況で何も動かない自分自身に苛立ちを抱えてるのかもしれない。


木剣を振るい、波立つ感情を一身に抑えようとして、相打つフォルシュへ向ける攻撃はより一層に激しさを増す。


「ちょっ!?いつもに増して攻撃が苛烈ッスよ。もう少し手加減してください!」


「たまには本気マジで相手する時もあるんだ。つべこべ言わず木剣を捌くことだけに集中しろ、打ち身になるぞ」


ファルシュの願いとは反対にエルの剣撃はますます速く、そして苛烈になる。


(よかったんだ、俺はアイツらと今更会ったところで和解なんて出来やしねぇ)




ふと、力んでしまった結果、魔力が木剣に過剰に注がれてしまい、刀身の半ばから勢いよく破裂してしまった。破裂した剣先はファルシュの方へと降ってくる。

対面していた彼は降ってきた木剣の破片を軽く剣で弾き落とし、顔にシワを寄せるエルが心配になり、声を掛けた。


「ちょっと大丈夫ッスか?エルさんにしては落ち着きがないですけど.....」


?」


「いや、なんもないです.....」


エルの苛立ちを一瞬で察し、萎縮してしまったフォルシュ、こういう時に限って一言多いのが彼の悪いところだ。

修練所で稽古という名の八つ当たりをしていると騒がしい程に足音をたて、慌てた様子でギルドの制服である青のブレザーを身にまとった人物が修練所内へと入ってきた。


「エルさんいますかッ!?」


「うん?どうした、何かあったのか?」


修練所内に慌ててやって来たのは髪を乱雑に整え、茶髪に無精髭を生やした過労死一歩手前の人物、元【上位冒険者ハイ・ランカー】であり、酒都の現ギルドマスター"シュトレン"であった。


「大変なんですよ!【アトルの森】からヘルウルフの大規模な群れが現れたんです!」


【ヘルウルフ】とは単体脅威度ランクBに属する炎をその身に宿した赤毛の魔物だ。

彼らは口から炎を吐き身体を発火させて近づけさせないなど厄介な戦闘方法で冒険者に嫌われる魔物だ。


「【赤滅の魔導団】や【宝物狩りトレジャーハント】【首狩り兎ヴァーパルバニー】とか他にも非番の上位ランクがいるだろ?」


エルが出した名前はここ酒都ブルゴーニュでも一線級の実力を持つ、Aランク以上の冒険者達の名前だ。

彼らこそ、この街を守る一騎当千級の実力者達であり、彼らが討伐に向かえば短時間の間に問題を解決してくれるだろう。


「いやそれが【赤滅】は貴族の護衛依頼に行ってるし、【宝物狩りトレジャーハント】はいつも通り迷宮ダンジョン探索、【首狩り兎ヴァーパルバニー】は隣街の救援で出払ってて今この街で対応できる人材がいないんですよぉ.....」



【ヘルウルフ】は単体ならまだしも群れで遭遇すると非常に厄介であり、群れの規模によっては、その脅威度はワンランク上のAランクに指定される場合がある。

特殊な力を持たない魔物であれば高位冒険者がおらずとも数の暴力で討伐してみせるのだが、今回は相手が悪い、なんせ鉄をも溶かす炎熱を操るのである。


それは単純にして厄介な能力であり、生半可な武具では身に纏う炎によって(魔力で武具を強化していようが)いとも簡単に溶かされてしまうだろう。

そういうこともあり、ベテラン以上の実力があって尚且つなおか魔力の操作にも長けているAランク以上の実力者が必要なのである。



ギルドマスターは悲壮に満ちた顔で、神にでも祈るかのようにエルにすがりよって来る。


そんなギルドマスターに対し、彼はつんけんとした態度で反応する。


「はぁ?そこを何とかやりくりして戦力確保するのがお前の仕事だろ?ったく、これだから日頃仕事をサボってるツケが回って来るんだよ」


先程の彼女のこともあり、段々と怒りが募りだしたエルは眉間にシワが寄ってしまう。

それをシュトレンは急遽頼み込んだことに激怒されたと勘違いし、過労死一歩手前で青白かった顔が、ますます青ざめてしまう。


「いや、そうは言ってもここ最近は魔物が活発だし、書類仕事どころか人手が足りないから自分で依頼消化するぐらい仕事が膨大で、酒場に行く余裕が無いほど忙しいんだよ。エルさん.....」



泣き言を言われれも自業自得な気がするが、実際に最近は魔物の繁忙期であり、酒都ブルゴーニュで囲っている冒険者では魔物の処理がギリギリなのも事実である。


それに加え、隣街に援軍となる冒険者を貸し出しているので人手が足りず、必然と彼の仕事が増えると言うもの。

彼が隠居したエルに泣きつきたい気持ちも分からない訳でも無い。


「はぁ、そんなに急ぐんだったら、お前さんが出て討伐すればいいんじゃないか?」


「いや、そう言われても数年前に前線から引いた身ですし、単騎でヘルウルフと殺り合うなんて無理ですよ!」


退


「ほらそこは....なんて言いますか、エルさんは実質まだ現役見たいなところあるし?俺なんかが行くより一番確実だと思うんですけどね.....」


ふとその時、シュトレンから予想にもしていなかった事が告げられる。


「それに偵察に出た冒険者の話では身元不明のエルフの少女が魔物の群れと交戦中とのことで.....」


話半分に聞いていたエルは驚きのあまり目をガバッと見開いた。

現在進行形で襲撃が起きているのであれば、


「はぁ?それを早く言いやがれ!おいっフォルシュ。今すぐ支度しろ、急いで救援に向かうぞ!」


「えっ、俺もッスか?」


「馬鹿、当たり前だ。Aランク以上がいない現状、対応出来るのはAの俺とBランクの中じゃ一番実力があるお前しかいないだろ」


「了解ッス!急いで用意してくるんで集合は西門で!」


ファルシュはアトルの森に一番近い西門で集合することを告げ、急いでギルドを出ていった。


「シュトレン、お前は事後対応の準備をしとけ。帰ってきたらたっぷりと絞ってやるからな?」


「はい、特別手当が出るよう手続きをしときます.....」


シュトレンに軽い脅しを入れ、早速西門へ向かったエルは後ほど来るであろうファルシュの代わりに先に門兵に事情を説明し、合流すれば即座に森へ迎えるよう手続きを済ませる。


しばらくして、慌てた様子で実戦用装備に身を包んだフォルシュと合流し、即座に草原の向こう側に広がるアトルの森へ向かって、ファルが出せる全速力に合わして草原を駆け抜ける。

草原を駆け抜けながらフォルシュは心の内で引っかかっていた可能性を自分で抱え込むべきではないと思い、エルに訊ねる。


「エルさん、交戦中のエルフってもしかして.....」


「あぁ、どうせ身元不明のエルフってのはさっきのガキだろ。この街でエルフってのはそう多くねぇからな。ったく、どういう判断したらAランク指定されかねない集団と殺り合おうと考えるんだよ」


エルはアトルの森へ駆けながらフォルシュの確信めいた問いに同意を示し、Aランク指定の集団と殺り合う少女に呆れを評する。


実際Aランクに指定される魔物の集団と殺り合うなど、まともな思考回路をしていれば絶対戦うことなど無い。戦う奴など「頭が沸いているのか?」と思われても仕方ないほどAランクとBランクでは強さの格が違う。


Bランクまでならば、一定の実力と才能があれば戦えるだろう。

だが、ことはAランク相当の魔物の集団それはつまるところ、ギルドが才ある英雄に成れる可能性を有したひと握りの存在だけが倒せると認定した魔物ということなのだ。


それ故にAランク以上に指定される魔物とはその実力は計り知れない。

ある魔物は一国をも飲み込む程の呪いを身にまとい。

ある魔物は、魔物の身でありながら人の頭脳を超える知能を有して死者の軍団を操り。

またある魔物は悠久に広がる空の王者にして生命の覇者たる存在である。


Aランク以上、それは人智を超えたバケモノ達の総称であり、それを討伐せしめる者達となれば英雄と語られるのも、やぶさかではないだろう。


単体ランクBと言えど、群れればそんなバケモノ達に近しい脅威となる。

そういうこともあって魔物と戦っている少女の最悪の未来を想像し、焦燥に駆られる。


どうか彼女が無事であるように。

どうか彼女が五体満足で生き延びているように。切に乞い願う。


ここで死なれてはカティに合わせる顔がないどころか、自身が殺されても文句は言えない。

こんな別れは少々胸糞が悪すぎる。


森へ向けて全力(ファルシュ基準)で走っていると突如、エル達が走る草原まで肌が焼けるような熱波がやってきて、空高くまで舞い上がる爆炎の柱がアトルの森の中央から解き放たれる。


「ちっ、こりゃあヤバいな。フォルシュ、俺は先に向かってるからあとから来い」


莫大な魔力の爆破を感じたエルは一刻の猶予も許さない状況だと判断し、フォルシュを置いて先に少女の元へ向かうことにする。


「ちょっ!?待ってくださいよぉぉぉぉ!」


一言彼に伝え、身体を纏う魔力の量を増やし、爆発的な加速をもって彗星の如き速さで、一気に草原を抜け威圧的な魔物の気配を内包するアトルの森の中へと、歩を進める。


エルは天高らかに鬱蒼と生い茂る樹木の合間をくぐり抜け、爆破の中心地へと向けて荒れ果てた道無き道を駆け抜ける。

爆発が起こったのは森の外に近い場所なはずだ、すぐに彼女の姿が見えると思っていたのだが未だに少女の姿は見えない。


エルは出せる限りの全速力を持って爆破の中心地へ向かう。徐々に血の臭いは濃くなり、獣のうねり声が響き渡ってくる。

目的の場所まで近づいているようだ。


「気休めにでもなればいいが.....」


ここからならば能力の範囲内だろうと判断し、今なお魔物と戦闘をしている少女から少しでも魔物の意識を逸らすべく、彼は自身がもっと得意とする幻を創り出す魔術【幻術】を行使する。


『水は滴り世界は霧に呑まれ、意識は酩酊の湖へと投げ出す』


幻術【酩酊来たる濃霧ネビュラス


詠唱を唱えると周囲の森は霧に包まれ、近辺にいた動植物はたちまち眠りに堕ち、魔力に強い耐性を持つ魔物のうねり声だけが森に木霊する。


霧の中、血の臭いが強く漂う開けた場所が前方に見えて来た。

ヘルハウンドと思しき魔物達は高らかにうねり声を上げ、血の匂いを辿って今にもエルフの少女に襲い掛かりそうな気迫を漂わせていた。


エルフの少女は丈の高い雑草に包まれた場所で大木に背を預けながら尋常ではない出血を伴い倒れている。

これは酷い.....エルフの少女は生きているのが奇跡と言っては過言じゃない程の瀕死の重傷だ。


エルが少女を認知した頃にはヘルハウンド達も彼女の存在を気づいたようで、群れに刃向かって来た少女の息の根を止めるべく、獰猛に襲い掛かろうと地を駆け出していた。

エルはエルフの少女を守るべく、ヘルハウンド達とエルフの少女の間に堂々と割って入る。


「さすがにおいたが過ぎるぜ、ワンコ共」


そんな怒りを露わにするエルに対して魔物達は猛々しく吠え、威嚇を示す。


それは我らの獲物だと―――――


エルは凄惨な姿で倒れ伏す少女の姿を見てやるせない気持ちと私情で彼女の願いを断り、あの時に少しでも相談に乗ってやらなかった自身への怒りがふつふつと湧き上がってくる。

今すぐに駆け出してヘルハウンド共を屠ってやりたいが彼女の様態は急を要する。


今の現状、魔物を殺す僅かな時間ですら惜しい。

故に彼は自身が最も得意とする幻術を持って魔物を追い払うことを決定づける。


「ワンコ共、覚悟しろよ?」


肉体に宿る膨大な魔力を魔術回路へと流し込み、猛り狂う竜をイメージして幻術を発動させる。


『幻想司りし幻の竜よ、今一度その姿を顕現させたまえ』


幻術【偽装の龍笛フェイク・ドラゴン


森に蔓延っていた霧が徐々に集い、一枚一枚精密に鱗が象られ、一つの巨大な生物の頭部へと変貌する。

森の中を彷徨う濃霧が凝縮することにより、その姿を表したのは【ドラゴン】または【空の支配者】と呼ばれる生命の覇者たる存在だ。

それは幻術で創り出された贋物の竜なれど、その姿、その威風堂々とした佇まいは正しく竜ッ!


「吠えろ」


たった一言その命令を下され、幻術により創り出されたニセモノの竜はハァァッと大きく呼吸をし、


『オオオオオオオオオオオオオッッ!!』


大地を轟かせる程の咆哮を容赦なく魔物達に浴びせる。

贋物の竜から放たれた咆哮は魔物達に刻まれた恐怖の記憶を想起させた。


圧倒的上位者、食物連鎖の上に鎮座する生命の王、かの贋物の竜が発するその恐怖はあらゆる生物の魂に刻まれた畏怖である。


放たれた竜の雄叫びに怯え、ヘルウルフ達はしっぽを巻いて我先にと鬱蒼と生い茂る森の奥へと逃げ帰って行った。

その様子を確認したエルは急いで瀕死の重傷を負ったエルフの少女の元へ駆けつける。

彼女はとても痛々しい姿で大きな樹木に寄りかかっていた。


少女の傷は右肩から左脇腹まで鋭い裂傷を負っており、特に左脇腹の辺りは何とか内蔵は出てはいないが肉がえぐれ、おびただしいほどの出血を伴って辺りは血溜まりと化している。


「こりゃあだいぶ酷いな、本来なら高位の治癒魔術で治療した方がいいんだろうが、生憎とそこまで持たないだろうな。手持ちの治療で何とか持ちこたえてくれればいいんだが.....」


深刻な出血を抑えるために、べとりと張り付いている衣服を脱がせて治療に必要な道具を取り出す。

まずは出血を止めるべく、高位の治癒ポーションを患部に振りかけてひとまず出血を抑える。

ポコポコっと音を立てて血管は修復され、出血が止まる。ひとまずは出血死することはないだろう。


出血が一旦止まったら肌の汚れや患部に付着した雑菌を洗い流したいところだが、生憎と付近には川などは無い。

そのため魔術で生成した真水を用いて、汚れと雑菌を洗い流し、外傷の再生を促す再生ポーションを肩口から引き裂かれた裂傷に振りかける。


振りかけられた再生のポーションは、ジュワッと音を立ててヘルウルフにより切り裂かれた傷口をゆっくりとだが再生してゆく。

肉がえぐれていたのは何とかできたが、やはり強く引き裂かれた腹部は再生ポーションでは間に合わないほどに傷が深い。


そのため特に酷い腹部には過去の旅で入手した【霊薬】とも呼ばれる秘蔵の軟膏を塗り、傷口の再生を促す。


あとは収納袋から取り出した包帯で傷口を覆い、体温が逃れないよう大きめの毛布で彼女を包み込み最低限の治療を完了させる。


彼女の胸に手を当てると、弱々しくだが確かに心臓の鼓動は鳴っており、ゆっくりと手に伝わってきた。

彼女の生命は死の淵に立たされようとも力強く粘っているらしい。


「ふぅ、何とか生き延びてくれたか。ったく、世話の焼けるガキだ。ここまでしてやる義理は無いが.....カティに貸しのひとつでも作っておくのも悪くないな」


なんて言い訳じみた言葉を横になるエルフの少女を眺めながらつぶやく。

エルは、そのしわ枯れてゴツゴツとした細長い手で、金色に輝く稲穂の様な頭髪を持つ彼女を優しく(その触れられる手の思いは熱く)撫でてやると、苦しげにうなされていた彼女の頬は少しだけ緩んでいた。


「案外可愛げのあるヤツじゃねぇか。あとはもう少し頭に血が上りやすくなければ、良いんだがな」


安らいで微笑む少女を見て、エルも釣られて頬を緩ませる。


「んっよし、さっさと街に戻って本格的な治療を施さなくてはな」


ひょうたん酒を一口含んでから本格的な治療を施すために彼女をおぶって魔物蔓延るアトルの森から急いで抜け出し、酒都ブルゴーニュへと向けて帰路へ着くのだった。


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