空から落ちてきた物語 天使編

にゃべ♪

第1話 空から天使が落ちて来た

 5月の穏やかな1日が今日もまた終わろうとしていた。予定外の事が何も起こらない平凡な日々。適切な服装でいれば窓を開けるほどでもないちょうどいい室温。何もかもが当たり前に過ぎていって、俺は少し物足りなさも感じていていた。


「ふぁ~あ」


 夕方になって気が緩んだのか、あくびが止まらない。このままでは眠ってしまいそうだったので肩を回して背伸びをする。この時、ふと外が気になって窓を開けると、そこには赤く染まる見慣れた景色が飛び込んできた。

 俺はパソコンの電源を切ると、そのまま部屋のドアを開ける。普段着の上にジャケットを羽織り、そのまま靴を履いて玄関を出た。


「さぁ~てと」


 気分転換でそのまま足の向くままに歩き始める。今の時間を感じるための、ただそれだけの散歩が始まった。田舎の地元は外を出歩く人も少ない。日が沈みかけた今もそうだ。この自然の景色を独り占めと言う贅沢な散歩になった。夕凪で風もなく、意味もなくずうっと海を眺める。ああ、心が浄化されていくようだ。


 存分に海を堪能した後は、そのまま道なりに歩いていく。懐かしさを感じる景色が歩く速さで流れていき、いつの間にか眠気はすうっと消えてしまっていた。空を飛ぶ鳥はカラスくらいで、考えてみれば他の鳥がいてもきっと名前は思い浮かばない。ただ、夕方の空にカラスは似合いすぎるほど似合っていた。


「さて、帰るか」


 眠気も覚めたし、気分もリフレッシュしたのでここから散歩は帰宅ルートに入る。とは言え、行きと同じルートを引き返すのもつまらないので、少し遠回りになるものの違う道を選んでいった。

 帰宅ルートで何となく空を見上げながら歩いていると、空から落ちてくる何かに目に留まる。


「ん?」


 それはゆっくりと降下していた。形は光の繭のよう。大きさは人間くらいだろうか。この謎現象を前にした俺は、その落ちてくるものを受け止めようと落下予想地点に急いだ。


「おし、このあたり」


 降下する光の繭は風に流される事もなく、素直に真下に向かって重力に引寄されられていく。何とか間に合った俺は、頭上を見上げながら位置を微調整した。

 近付いてきたそれをよく見ると、その正体が判明する。


「繭じゃないな……大きな羽だ」


 ふわりと落ちてきたそれを、手を伸ばしてそっと抱きとめる。俺の体が触れた瞬間に光の羽はやわらかく消えて、中から女の子が現れた。羽が消えた途端に光も消え、急に重力が発生する。


「うおっとぉ?」


 抱き止めた女の子はすやすやと眠っている。気絶しているのかも知れない。とにかく、この光景を誰かに見られたら何を言われるか分からないので、俺は急いで自分の家に彼女を運び込んだ。


「ふぅ……」


 客人用の布団セットを押し入れから引っ張り出し、そこに彼女を寝かせる。寝顔を見ると普通の人間と変わらない。ただし、羽があったのだからやはり天使なのだろう。服装も白を基調としたふわっとした感じのものだし。

 すやすやと寝息を立てているから多分命に別条はないはずだ。


「しかし、どうしたもんかな……」


 流れで彼女を保護したものの、この後の事に俺は頭を悩ませる。事情が事情だけに警察に相談してもややこしい事になるだけだろうし、目覚めた時に意思疎通が出来るのかも分からない。もしお腹を空かせていたとして、この世界の食べ物が体に合うかも分からない。

 SF的な展開で言えば、彼女が未知の病原体を持っている可能性、体から毒性の何かを放出している危険性も排除出来ないだろう。


「あれ? もしかして無視した方が良かった?」


 考えがぐるぐると回りすぎて、俺は自分のした行為を後悔し始めていた。とは言え、今更寝ている彼女を何処かに放り出すとか出来るはずもない。もう賽は投げられたのだ。今後の事は彼女が目を覚ましてから考える他なかった。


 日が暮れて夜がやってくる。夜空に星が瞬いて天文好きが季節の星座を愛でている頃、俺は分刻みで彼女の様子を確認していた。実は夢なんじゃないかと思ったけれども、いつ確認しても彼女の実態はそこにある。

 写真に撮ったら写らないかなとスマホを向けてみてもバッチリと写るし、鏡に映らないのではと試してもしっかりと姿を確認出来ていた。


「モンスターの類ではないと……」

「失礼な! 私は天使です」


 スマホの画像を確認していたところで、独り言に返事が返ってくる。驚いた俺は反射的にスマホを落としてしまった。


「えっ?」

「えっ?」


 起き上がった天使は俺と目が合って同じリアクションをする。まぶたを上げた彼女の瞳は美しい青い色で、白い肌と金色の美しい髪にとても馴染んでいる。確かにこの造形の美しさは天使としか形容出来ないだろう。

 その美しさに挙動不審になっていると、彼女はキョロキョロと顔を左右に動かした。


「ここはどこ? 私は何故ここにいるの? そして、あなたは誰なの?」

「俺は炎堂タクト。ここは俺の家で、君は空から落ちてきたんだ」

「空……から?」


 事情を知った彼女の顔がみるみる青くなる。そうして、すぐに背中の羽を確認しようと体を捻り始めた。どれだけ見ようと頑張っても、もう背中に羽はない。この事実をしっかり確認した彼女はがっくりと項垂れた。


「あのさ、良かったら事情を話してくれないかな?」

「うわあああああん!」

「えぇ……」


 突然泣き出されてしまって、俺は困惑する。どうしていいか分からずにアタフタしていると、彼女は静かに泣き止んだ。


「ごめんなさい、タクトさん。私の名前はフェリエル。見ての通りの天使です。今は羽を失ってしまいましたけどね」

「どうして地上に?」

「その辺の記憶はまだ曖昧で……思い出せたら話しますね」


 フェリエルは少し元気のない表情でぎこちない笑顔を見せる。今まで使えていた能力を失ったんだ。元気がなくなるのも当然だろう。でも会話が出来て良かった。これで色々と質問していける。

 取り敢えず、俺は彼女の健康面について確認してみた。


「そうだ。羽、なくなったけど平気?」

「それについてお願いがあるんです」


 彼女いわく、背中の羽はすごくデリケートなもので人が触れると力を失うらしい。そして天使の力は羽の存在が大きく、失うとほとんどの能力を失ってしまうのだとか。羽を再生させる事は可能なものの、それには時間が必要なようだ。


「……なので、しばらくここにおいてもらえませんか?」

「う、うん。いいよ」


 天使のお願いを断れる人なんているだろうか。いや、いない。いるはずがない。俺はふたつ返事でフェリエルの同居の願いを聞き入れる。

 こうして、天使のフェリエルは俺の家に居候をする事になったのだった。

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