ある青年と姉弟たちの二重色

鍋谷葵

down

 堕落。

 僕の生活はこの一言に尽きる。目指した夢を諦めようとして、けれども諦めきれなくて、まだわずかな希望があると信じて一本の蜘蛛の糸に縋りつきながらも、決して光で満ち溢れる天井に向かって動かない。そんな無気力な人間が僕だ。

 停滞をひしひしと感じる。人生の停滞は、酷い退屈を僕に与えてくる。

 いや、違う。

 僕は目の前の仕事から逃げ出しているだけだ。僕にだって仕事がある。絵画学校の先生としての仕事、細々とやっているイラストレーターとしての仕事、けれど僕はそのやるべきことから逃げ出している。

 もしも僕の精神が、僕の体から飛び出してきたなら思いっきりぶん殴ってやりたい。暴力による激励なんて無意味なことだろうけど、今の停滞しきった僕の精神を動かすためには、痛みと衝撃が必要だ。単調だからこそ、暇が停滞を生み出すんだから。


「はあ……」


 ため息ばかりが零れる。

 小さな四畳半の部屋に、僕の吐き出した倦怠はあっという間に充満して、良しやろうといきんでいた僕の心を堕落させる。言い訳だということは分かっているけど、やっぱり何よりも雰囲気が大切だ。仕事の効率も雰囲気で左右される?

 自分のどうしようもないやる気の無さに辟易しながら、僕は椅子から立ち上がってカーテンを開ける。窓際に寄せた木机の上に、朝日が差し込む。


「いつ見ても酷いな」


 新鮮な光が部屋の中を照らし出す。

 畳の上には薄っぺらの万年床と、没にした大量のスケッチがくしゃくしゃになって転がされている。画材棚の中も自分でも驚くほど整理されておらず、絵の具入れのところに筆が入ってたりしてる。

 均衡の欠けた部屋を見渡して、もう一度ため息を吐きだす。

 ただ、こんな獣の穴でも机の上だけは整理されてる。社会人としてやっていくための場所だけは、整理している自分を褒めてやりたい。すっかり型にはまった僕をね。

 朝から皮肉は辛いだけだ。

 一気に陰湿な空気になる。

 自分の気分を自分で貶めて何が楽しいのだか。

 これだけ晴れているんだ、清々しい気分でいた方が良い。そっちの方が良い絵が描ける気がする。


「……というかもう八時なんだ」


 ともあれ、清々しい気分にするための時間も僕には無いらしい。

 就業時間まであと三十分。ゆっくりしている訳にも行かない。これから諸々の支度をして、外に出るのだから、急ぐほかない。

 多忙だ。

 でも、今は多くの事柄に追いかけれられて、心を殺されていた方が気が楽だ。余計なことを何も考えず、今だけを生きていければそれで良い。僕を神童と讃えてくれた両親に申し訳が立たないところもあるけれど、細々と暮らしている今を過ごせばいいんだ……。

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