26話 ユージンは、魔王と話す

「ふふふふ、待ってたわ。ユージン」


「……何だよ?」

 俺が封印の大地下牢にやってくると、ニコニコとした魔王エリーニュスに出迎えられた。 


 黒い翼がパタパタと羽ばたき、機嫌がすこぶるよさそうだ。


 一方、俺としては定期的な生物部の仕事だが、……今日は少し気が重かった。


 魔王エリーと契約して以来、初めて顔を合わせるからだ。

 

「ほら、こっちにいらっしゃい。ユージン」

「誰が……」

 反論しようとしたが、その言葉には逆らえぬ魔力があった。


 結局、俺はエリーの隣に大人しく座った。


 するとぐいと、肩を引き寄せられ押し倒される。


 俺は為す術もなくベッドに寝転ばされて、その上にエリーがまたがった。


 肉食獣のように俺を見下ろすその視線は、いつにも増して妖艶だった。


 普段ならここで俺の服を剥ぎ取られるか、魔王エリーが勝手に脱ぎだすのだが……。


 今日はまだ何もしてこない。

 押し倒されただけだ。


「ねぇ、ユージン……。この前の契約で、私とどうだった? 気持ちよかった?」

「へ、変な言い方するなよ」

 思い出して、またおかしな気分になる。


 エリーの言う通り、あの時は奇妙な全能感に酔いしれた。


 ……けど。


「いや、それよりもその後の体力というか生命力を吸い取られたような……」

「ああ、それは魔王の瘴気と天使の霊気がいっぺんにユージンに流れ込んだから、精神が耐えられなかったのよ。そのあと結界魔法を使って防いだでしょ?」


「ああ、あの時は助かったよ。ありがとう、エリー」

「あら? そう?」

 俺の言葉に、ニマニマと笑うエリー。


 小動物を愛でるような笑顔だ。


「それで……、俺は契約の代価として何を支払えばいい? 言っておくが、ここから出せというのは俺の実力からして不可能だからな」

 俺の一番伝えておきたかったことを口にする。


 おそらく……魔王エリーの望みは、封印の破壊。

 そして、この地下牢からの脱出だ。


 俺個人としては、魔王エリーに対してそこまでの忌避感は無い。

 これまでいろいろと個人的な話を聞いてもらったし、相談をしたこともある。


 若干ではあるが、好意もある。


 が、あくまで彼女はかつて南の大陸を支配していた魔王エリーニュス。


 その封印を解き、さらに自由の身にするなどもってのほかだ。


 だけど……、先の神獣との戦いでエリーの力を借りずに勝つことは不可能だった。

 いや、勝ったとは言えない。

 神獣ケルベロスになんとか、力を認めてもらっただけだ。


 エリーに「私を逃がすのを手伝いなさい」と言われて、俺はそれを断ることができるのか……?

 そもそも悪魔との契約は絶対遵守。

 なら俺は……




「んー……、ま、いいわ。別にお願いとか無いし」




「………………は?」

 俺の逡巡をよそに、魔王はあっさりと言った。


「いやいや、対価もなく力を貸したりしないだろ!? それにエリーはいつも言ってただろ? ここから出せって」

「うん、だって退屈だったもの」


「だったら……」

「ユージンがちっとも迷宮に挑戦しないから。でも、これからは違うでしょ?」

「………………」

 エリーの言葉に俺は押し黙る。

 

「ユージンはこれから、地上の民が『天頂の塔バベル』とか呼んでる迷宮に挑むんでしょ? じゃあ、私が導いてあげなきゃ。ふふふ、楽しくなってきたわ」

 クスクスと屈託なく。

 本当に楽しそうに魔王エリーニュスは笑っている。 


 その様子は、まるで天使のようだった。


「でも、じゃあ俺は何を返せばいい? 力を借りっぱなしじゃ……」

 俺がつぶやくと、エリーはきょとんとこちらを見つめた。


「何言ってるのよ、ユージン」

「何って……」

「私はとっくにユージンから貰ってるじゃない」


「貰ってる?」

 何の話だ。

 まさか……。


「俺の魂をエリーに奪われてた……?」

「あほ」

 ぺし、っと頭を叩かれた。


「ユージン、あなた私のこと何だと思ってるのよ?」

「魔王だろ?」

 南の大陸の住人なら誰もが知っている存在。

 伝説の魔王エリーニュスだ。


「そうよ、魔王。でも、私は悪魔じゃないの。魂なんて要るわけないでしょ」

「しかし、他に思いつかないんだけど……」


「ユージンってしっかりしてるのに、天然ボケよね……。あなた毎週私にのところに来て何をしていると思ってるの?」

「そりゃあ……」

 口に出すのは、はばかられるような行為だ。

 



 ――魔王へ精気を捧げる生贄えさ




 それが俺の生物部の仕事だ。

 

 ユーサー学園長から直々に指名された役割。


 俺にしかできない仕事として強制された代わりに、学園費用は免除されている。


 エリーは、世間話をするかのように語っていく。


「七日に一度は、私に抱かれにきてくれるじゃない。むしろ、今までただでユージンの身体をたことに若干の罪悪感を感じてたのよねー」

「え……? 弄ばれてたのか?」

 衝撃の事実だった。


 改めて俺はエリーの容姿を眺める。


 長く美しい髪。

 真っ白い肌に、真紅の唇。

 人形のよりも均整がとれている、完璧な体型プロポーション


 初めて会った時こそ、相手は魔王と知って恐怖したものだが。

 

 見慣れた今ですら、その美しさには息を呑むことがある。


「どうしたの、ユージン? 今さら私に見惚れてるの?」

「いやいや、まさか」

 乾いた声で誤魔化す。


「じゃあ、俺はもう対価を支払ってるってことなんだな? 追加の支払いは必要ないと」

「ええ、でも……」

 ここでエリーは、自分の唇をぺろりと舐めた。


「今日はいつもより、貰ってもいいわね♡」

「…………」

 ごくり、とつばを飲み込む。

 


 エリーの言葉通り。



 ――今日の行為は、いつもよりも激しかった。





 ◇




(あ"~……身体重っ……)


 地下牢を出て、俺はゆっくりと寮への帰路を進んだ。


 一刻も早く、自分の部屋に帰りたい。


 さっさとベッドに倒れ込みたい。


 ちなみに、エリーは自分のベッドでグースカ寝ている。


 俺も一緒に寝てしまいたかったのだけど……、


 眠ったまま結界を張るのは、手間なんだよな。


 そんなことを考えていると。


「あっ!!」


 遠くから声が聞こえた。


 そして、パタパタと足音が近づいてくる。


「ユージンくんだ! おーい!」

「す、スミレ……?」

 今日は生物部の雑務があるので、迷宮探索の訓練は休みにしていた。

 

「あれー? どうしたの。何だか疲れてるね」

「あ、あぁ……いや、そんなこと無いよ」

 スミレの言葉に一度頷き、そして誤魔化した。

 

 別に何も悪いことはしてないのだが……。

 スミレに『何を』していたのか、聞かれるのを避けた。


「ふーん?」

「スミレはどうしたんだ? 今日はレオナと約束してるんじゃなかったっけ?」

 さりげなく話題をずらす。


「うん、これから会いに行くところ。でね、さっき学園長さんと面談があったんだけど、ユージンくんに会ったら学園長室に来るように伝えて、って言われたよ」

「ユーサー学園長が?」

 何だろうか。


 ちなみに、スミレは定期的にユーサー学園長と面談が義務付けられている。


 以前、「普段、学園長とどんな話をするんだ?」と聞いたことがある。

 スミレの話では。



 ――友達はできた? とか

 ――授業は難しすぎない? とか

 ――食堂のメニューに不満ない? とからしい。

 


 親戚の叔父さんか?


 そんな質問のために、貴重な面談時間作ってるのか!? と驚いた。

 別に自分で直接、話さなくてもよかろうに。


 どうしても炎の神人族イフリートと直接、話したいんだそうだ。


 つくづく学者肌な人だ。

 とても都市国家の王様とは思えない。



「わかった。ありがとう、行ってみるよ」

 正直、早く休みたいが学園長が呼んでいたならさっさと用件を聞いてこよう。


 俺よりも遥かに時間が貴重なはずだから。

 俺も学長に話しておきたいことがいくつかあった。


 俺が学園長室に向かおうと足を向けると。


「ん? ……待って、ユージンくん」

「なに?」

 スミレに服の裾をひっぱられた。


「服に何か付いてるよ。これって羽かな?」

「…………ぁー、うん」

 どうやら肩に載っていたらしい。


 スミレが指に掴んでいるのは、『』だった。


 魔王エリーの翼から抜け落ちたのだろう。


「は、羽だね。いつ付いたんだろうな……はは」

「真っ黒な羽だね。カラスのかな?」

「からす?」

「えっとね、前の世界にいた真っ黒い鳥なんだけど」

「……鳥の羽じゃないよ」

 俺は真剣な声で答えた。


 エリー……、というか天使族は全てらしいのだが。


 自分の翼にとても誇りを持っている。

 それは堕天使でも同じらしい。


 エリーに一度、鳥の羽根っぽいと言ったら、本気でキレられた。

 あれは怖かった……。


「その羽はこっちで処分しておくよ。貸して」

「はーい」

 俺はスミレから羽を受け取る。

 その時、スミレが怪訝な顔をした。


「スミレ?」

「んー…………、ユージンくんの身体からこの羽と同じ匂いがする」

「えっ!?」

 自分では気づかなかった。

 というか、俺には匂いなどまったくしない。

 

 けど、炎の神人族のスミレは感覚が常人より鋭敏だ。

 俺でも気づかないような些細なことに、気づくことがある。


「もしかしてユージンくんが面倒を見てるっていう生物部の珍しい生き物の羽かな? よく見るとその黒い羽、とっても綺麗」

「そ、そんなところだよ」

 さっきからスミレの感覚が尖すぎる。


「今度、その珍しい生き物見たいなー」

「だ、駄目だって。封印の地下牢は危険だから」

「そっかー」

 スミレが残念そうに唇を尖らせた。


 もしかすると炎の神人族のスミレなら、大丈夫な可能性もあるが。

 俺はスミレをエリーに会わせてはならないような気がした。


「じゃあ、私はレオナちゃんのところに遊びに行ってくるね」

 そう言ってスミレは、たたたっと走っていった。


(……はぁ)


 焦った。

 別に、何も焦る必要がないのだが焦った。


 スキップするように駆けているスミレの後ろ姿を見送った。


(さて、じゃあユーサー学園長に会いに行きますかね)


 改めて俺は学長室へ向かった。




 ◇




 リュケイオン魔法学園の学長室は、職員室の隣にある。


 が、そこに学園長が居ることほぼ無い。


 だいたい、自分の研究室に籠もっていることがほとんどだ。


 だが、今日は居るらしい。

 部屋の中から気配がする。


 俺は年季の入った重そうな分厚いドアをノックした。


「ユージンです。スミレからの伝言を受け、参上しました」

「入っていいぞ」

 声が返ってきた。


「失礼します」

 俺は断りを入れ、ドアを開く。


 そこには眼鏡をかけ、よくわからない文字の表紙の魔導書を目を細めて眺めているユーサー学園長が椅子に腰掛けていた。


 ユーサー学園長の前にある机には、見たこともないような魔道具が山のように積み上がっている。


 だけでなく、学園長室全体に様々な魔道具や魔導書が転がっている。

 適当に扱われているが、どれも数百万以上の価値のある品々のはずだ。


 一度、うっかりその辺に転がっている魔法の壷を蹴って割ってしまったことがある。


 後でそれが中から無限に水が湧いてくる魔法がかかった魔法の壷とわかった。

 末端価格で約500万Gの魔道具だった。 


 焦った俺は慌てて学園長に詫び、どうすればいいか聞いたのだが。

「ああ、壊れたのか。適当に棄てておいてくれ」と事もなげに言われた。

 学園長は、感覚がおかしい。


 俺は魔道具には触れないように、学園長の机の前にある来客用の一人用のソファーに座った。

 

 魔導書を読み終わるまで待たされるかと思ったが、学園長はすぐに本を閉じた。

  


「つまらん本だった」

「何の魔導書なんですか?」

「興味あるか? ユージン」

 学園長がぽいっと、魔導書を投げてよこした。


「うわ」

 慌ててそれを受け取る。

 真っ黒な表紙に、奇妙な手触りの本。


 そして、何より手に「ぬるり」と嫌な感触がした。

 な、なんだこれ!?


「なんですか? この本」

「『ネクロノミコン』というタイトルの魔導書の写本だが、駄目だな。情報の欠落がひどい。ほしければやるぞ」

「……この本、呪われてませんか?」


 さっきから本を持っている手を守っている結界魔法が、ぼろぼろと崩れている。

 俺は何度も結界魔法を張り直した。

 どう考えてもまともな魔導書ではない。


「ああ、そうだな。呪われてるな」

「……遠慮しておきます」

 俺はそっと近くの本棚にその魔導書を置いた。

 呪われた本なんて寄越すなよ……。

 

「それで、ご用件は?」

 小さく嘆息して、俺は問うた。

 

 すると、学園長は俺の顔を見てニヤリと笑った。


「ほう? なぜ呼び出されたか、わかっていないのか?」

 その言葉にぎくりとする。



 ……勿論、心当たりはあった。



 そして、自分から相談するつもりでもあった。


 が、どう報告するか自分の中でも言葉にまとまっていない。


 下手するととして、投獄される可能性もあると思っている。


 というか、やっぱ駄目だよな……、は。


 俺の心を読んだように、学園長が口を開く。




「ユージン、魔王エリーニュスと契約したな?」




「……………………」 

 俺は言葉に詰まった。


 どうやら迷宮都市の王様の目は、全てを見通しているらしい。

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