第18話

 英会話講師の仕事もだいぶ板についてきた。

 個人レッスンの担当を任される回数もだんだん増えてきた。彼らは勉強熱心で、高橋さんのようなひと癖もふた癖もある受講生ばかりでないのが救いだ。

 日本に来て大きな発見があった。日本人は、というと、仮にも俺も半分は日本人なので違和感がある。一般的な日本人は、と言うべきだろうか。彼らは、英語を一から勉強して習得するのを困難に感じている人が多いということが分かった。日本語と英語はあまりにも言語としてかけ離れている。これは俺自身もよく思っている。「つくり」が全くと言っていいほど違う。使用する文字をとって考えてみても、英語はアルファベットひとつに対し、日本語はひらがな、カタカナ、漢字、ローマ字も含めれば四種類もの文字を駆使して表現できる。更に漢字は種類も多種多様で、一生かけて憶えてゆくのを日本人は平然と受け入れて生きている。

 俺も誤字脱字が未だに多く、ヨリコによくどやされながらその都度憶えている。漢字にこんなに苦労させられるとは思わなかった。しかしそのお陰で、今ならバーで見かけたギャングのタトゥーの意味も分かる。奴の「尿」と彫られた右の二の腕が忘れられない。

 話を戻そう。

 言語として「つくり」の全く違う英語を学ぶことは日本人にとって難しいのはよく分かった。ただでさえ困難なのに、彼らが英語を習得するのをより消極的にさせてしまう理由がもうひとつある。

 他の日本人の「視線」だ。

 複数人での英会話レッスンの様子を見ていて気付いた。日本人は他の日本人の英語のミスにやたら手厳しい。文法やスペルの綴りにちょっとでも間違いがあると指を指して公衆の面前で指摘する。そのやり取りをお互いに課し、常に衆人環視の状況で見張っているかのようだ。

 仮にもネイティブスピーカーの俺から率直に言わせてもらえば、外国人の使う英語に多少のミスがあっても、意味が通じてコミュニケーションが成立すれば問題ない。英語と一言で言ってもアメリカとイギリスでは全くと言っていいほど定型句も発音も異なるし、いわんやオーストラリアをや(この言い回しもヨリコに教わって以来気に入っている)。

 そもそも英語には世界中で使用される国と地域によってかたちが違って当然だと俺は考えている。日本人には日本人らしい英語があって良いはずだ。だからもっと堂々とスピーチすれば良いのに、彼らは頑なに「完璧な英文法でないと発言してはならない」と思いこみ、人前での発言を委縮させてしまう。万が一ミスすれば面前で厳しく指摘され、ますます苦手意識が芽生えて悪循環に陥ってしまう。

 俺はそんな彼ら日本人を見ているのがどうも歯がゆい。

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