第2話 引っ越し

 隣の吉田さんの家も同じような古い日本家屋だ。門を開けて敷地の中に入り、インターフォンを押すと、おばあちゃんと同い年くらいの女性が顔を出した。


「あの、隣の草薙くさなぎです。生前、祖母がお世話になりました。家の管理もお任せしていると聞き、お礼に伺いました。これ、つまらない物ですが」と菓子折りを差し出した。


「まあ、わざわざありがとうございます。きみ子さんとは本当に仲良くさせてもらってたの。この度は残念なことで……そうだ! 今日はうちで晩御飯食べていってちょうだい。きみ子さんもよくそうしてたのよ。ね?」

「あ、はい。じゃあ、お言葉に甘えて」

「よかった。さあ、どうぞ上がって」


 その夜、美味しい夕食をご馳走になりながら、色々と話を聞いた。

 吉田さんは、ご主人が亡くなってから一人暮らしだが、娘夫婦と孫が近くに住んでいて、時々孫が様子を見に来るそうだ。おばあちゃんとは本当に仲が良かったようで、しょっちゅう行き来していたらしい。


「だから美里さんが隣に住んでくれると、とても嬉しいわ。何か困ったことがあったらすぐに相談してね」


「はい。ありがとうございます。吉田さんにそう言ってもらえると心強いです」


「恵子って名前で呼んで欲しいな。きみ子さんもそう呼んでたし」


「はい……恵子さん」


「あー、やっぱり女の子はいいわねぇ、可愛くて。うちは男だから言葉使いが悪くて」


「でも、時々会いに来てくれるなんて、優しいじゃないですか」


「まあ、ご飯目当てみたいだけどね」

 

 お肉ばっかり食べたがって野菜をあまり食べないのよと嬉しそうに話すのを聞いて、少し羨ましくなった。

 子供の頃はともかく、わたしとおばあちゃんは冠婚葬祭のときくらいしか会わなかった。愛想のない人だったので、あまり話をした記憶もない。こんなことになるなら、もっと色々と聞いておけば良かった。


 夜遅くまでお邪魔していたので、帰ってからはシャワーを浴びて、すぐに眠った。

 異変に気づいたのは、朝になってからだ。


 荷物をまとめ、最後に庭に出た。祠の前でしゃがみ「また来ますね」と挨拶をしたとき、昨日のおにぎりが目に入った。


「いけない。これ片付けなきゃ──あれ?」

 

 おかしなことに、おにぎりはビニールに包まれたまま、ご飯の部分が小さく欠けている。まるで一口だけ齧ったかのようだ。


「おかしいなぁ。不良品だった? ネズミ……じゃないよね。ビニールはそのままなんだから。うーん、謎だなあ。まあいいや、ゴミは持って帰らないと」

 おにぎりを回収し、鍵を閉めて家を出た。


   ◇ 

 

 家に帰ると、両親が待ち構えていた。

「どうだった。ばあちゃんの家は?」

 珍しく父が真剣な顔で聞いてくる。


「古いけど中は綺麗だったよ。庭も広いし。駅からはちょっと遠いけど、近くにスーパーや商店街もあったから困ることはなさそう。小さい頃の思い出もあるし……あの家に住んでみようかな」


「そうか。なら良かった。税金のことはこっちで何とかするから心配するな。お前が選ばれたときは、どうしたもんかと思ったよ。反対する人はいないが、美里が嫌なら無理強いしたくないからな」


「何なのかしらね。その迷信みたいなの」


「ほんとだよね。まあ貰えるものは有難く貰うよ」


「そうよ。ラッキーじゃない。お母さんもちょこちょこ遊びに行くからね」

 きゃっきゃと騒ぐわたしたちを父が呆れた顔で見ている。

 

 それからはバタバタと相続の手続きをし、荷物をまとめ、友だちに別れを告げて、一ヶ月後にはおばあちゃんの家に移ることができた。


   ◇


 この広い家が自分の家だと思うと感無量だ。

 玄関を入ると左手に小さな部屋があり、廊下を挟んで右手にお風呂とトイレがある。その隣に八畳の茶の間。その奥が台所だ。

 茶の間の横に客間があり、その奥がおばあちゃんの部屋だ。ここをわたしの部屋にしよう。襖を取っ払って広くしようかな。洋風に変えてもいいしと夢は広がる。


 ガラス戸の向こうの桜の木が見える。やっぱり花は咲いてない。

 業者さん呼んだ方がいいかなぁ。

 サンダルを履いて庭に出ようとして、まだお供えをしてないことに気づいた。

(何かあったっけ)

 荷物をごそごそと探すと、母が持たせてくれた焼き菓子があった。


「これ美味しいんだよね。レモン味の甘いやつ」

 小さく切ってお皿にのせた。蟻が来ないように、ラップをきっちり被せる。


「今日からお世話になります。これ美味しいんですよ。どうぞ召し上がってください」


 よろしくお願いしますと手を合わせると、風がふわりと髪を揺らした。

 神様が返事をしたと言うには、あまりに弱々しい風だった。




 

 

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