-09-

 “母”としての由佳と“娘”としてのゆかり──出雲親子は、それなり以上に“現状”に順応し、にぎやかだが快適な日々を送っていたのだが……。

 その仮初の平穏は、一本の電話によって破られることになる。


 それは、ふたりの立場が入れ替わってちょうど7日目となる土曜日の夜。


──prrrr…………!!!!


 軽快な呼び出し音を奏でる電話の受話器を、洗い物を終えてちょうど居間に入って来た由佳が取り上げた。


 「はい、出雲でございます……あっ、藍一郎(あいいちろう)さん?」

 「!」


 “父”(本来は夫)の名前が由佳の口から出たのを聞いて、ゆかりもテレビのバラエティ番組から視線を外し、由佳の言葉に耳をそばだてる。


 「そう、そうなの……ふふっ、もちろんうれしいわ。でも、あまり無理はなさらないでね」


 にこやか──というか、喜びを満面にたたえた笑顔で、由佳は電話の向こうと会話している。


 「ゆかりもいますよ。替わりましょうか? え? 「ゆかりと話すと長くなりそうだし、国際電話は高いからいい」?」


 それを聞いて、ワクワクしていたゆかりの顔が一転、ガッカリした表情になる。


 「じゃあ、おやすみなさい。月曜の夜は、あなたの好物の肉じゃがを作って待ってますから」


 優しい声でそう伝えると、由佳は“夫”(本来は父)からの電話を終えた。


 「──パパからだよね。なんだって?」


 電話を替わってもらえなかったので内心ちょっぴり拗ねていたものの、好奇心には勝てず、ゆかりが由佳に尋ねる。


 「お仕事が予定より早く終わったから、来週の月曜日には帰れるんですって」

 「へー、そうなんだ。出張先ってフィリピンだっけ? お土産何かなぁ」

 「そうねぇ、南国系のドライフルーツとかお菓子が定番かしら。あとはココナッツオイルとかが多いみたいですね」


 そんな会話を交わしつつ、およそ半月ぶりに会える夫/父の顔を想像して、心が弾む由佳とゆかり。


 しかし、彼女たちは気づいているのだろうか?


 これまで母娘ふたりきりで過ごしてきた家庭に、出雲藍一郎という異分子(家族なのにそう呼ぶのは変な話だが)が加わることで、大きな変化がもたらされるだろうことに。

 “娘”であるゆかりはともかく、“妻”である由佳が、“夫”に対して(特に夜、寝床で)どう接するべきなのかという極めて重要な問題に……。


 一方、出張先のマニラでは、妻と娘の複雑な事情を(当然ながら)知らない藍一郎は、ふたりへの土産をトランクに詰め直そうとして頭を抱えていた。

 いつもお菓子や果物では芸がないだろうと、ちょっと奮発して、“テルノ”と呼ばれるフィリピンの女性用民族衣装(裾の長い半袖ワンピース)を購入してみたのだが……。


 「僕はどうしてこんなデザインを選んだんだろう」


 “妻”である由佳は、その小柄な体格を考慮すると、ある程度選択肢が限られるのは仕方ないが、それでもこの真っピンクでフリルが満載の子供っぽいデザインはない。


 逆に、小学生ながら大人顔負けのプロポーションを誇る“娘”のゆかりとは言え、サーモンベージュで無地のデザインは渋過ぎるし、胸元が大きく開き過ぎなのも問題だ。


 ──無論、これはふたりの立場が交換される前、フィリピンに着いて早々に藍一郎が購入していたからだ。


 電話をして由佳と意思疎通することで、彼も速やかに立場交換による環境変化の輪に組み込まれたのだが、日本から遠すぎるせいか、“物”にまではその影響が完全には及ばなかったらしい。


 「買い直すべきか、それとも開き直って「このサイズだとこういうデザインしかないんだよ!」で押し通すべきか……」


 当事者以外から見れば割とどうでもいいことで悩む彼は、この時、まだ平和だったと言えよう。

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