第二章 妖精との脱出(2)はじめての遭遇

 暗い部屋の中、冷たい空気が張り詰めていた。ドアの外では、バタバタと走り回る音がしている。


 ドッドッドッドッ。


 ルーは自分の心臓の鼓動を聞きながら、床へと座り込んだ。ここはどうやら倉庫のようだ。闇雲に逃げてきたら、施錠されていなかったこの部屋へ偶然行き当たったのだ。


 彼女は扉を閉め施錠したが、心臓の音のせいで部屋の外の人間が気づくのではないかと恐怖していた。だが実際、彼女が本来心配すべきなのは、心臓の音などではなく、公安局内に張り巡らされている監視装置のほうだったのだが。


 パニックの最中にあって、彼女はいまだに、キングの発言を真に受けていた。つまり、自分がキングの罪を被らされ、投獄されるのではないかということだ。


 けれど、実際には、公安局の人間は誰もルーのことを危険視していなかった。そもそも彼女は犯罪被害者というていでここへやって来たのだ。だからこそ、公安局の職員は立ち入り禁止区域に入った民間人である彼女を探していたものの、本気ではなかった。彼女を探すために割り当てられた人員はごくわずかだったのだ。


 そんなことさえ知らないルーは、いつまでこの倉庫に隠れていればいいだろうかなどと考えていた。一方で、こんなことがいつまで通用するだろうか、とも――。



 ルーが見やると、倉庫の奥には、箱が置かれていた。雑然としたこの倉庫内で、その箱だけが明かりに照らされて、意味ありげにたたずんでいたのだ。


 彼女は立ち上がり、その箱からはみ出しているものへと近づいていった。次第に、それが人の手の形をしているのだとわかってぞっとしたが、すぐに籠手ガントレットだと理解できた。


 星芒具だ。


 その星芒具は倉庫の奥の壁――上方に設置された明かり取りの窓から差し込む、薄明かりに照らされていた。まるで、彼女をここで待ち受けていたかのようだ。


 得体の知れない星芒具だったが、ルーにとって、それはないよりマシなものに感じられた。星芒具はこの惑星カディンでは生活必需品だ。この星芒具に据え付けられた連繋言語の中にもクレジットや身分証明が入っているかもしれない。


 それにもしかしたら、戦闘用のチューニングが施されているかもしれない。そうだとしたら、公安局から脱出するのに少しは役に立つかもしれない。……いや、多少の武力を持ったところで、こんなところで荒事を起こしでもしたら、すぐに制圧されるのは目に見えているのだが……。


 ルーはその籠手ガントレット――星芒具をコンテナから引っ張り出し、左手に装着した。悪くない。手首と肘の二カ所、ベルトで固定すると、付け心地は問題がなかった。


 彼女はさっそく星芒具の連繋言語を起動し、どのような機能が利用可能かをざっと調べることにした。しかし、残念なことに、クレジットはゼロで、身分証明もなにもなかった。戦闘機能も皆無。ほとんど新品で、何も搭載されていない代物だった。――ただ一点を除いては。


『あら、あなた、ちょうどいいところに来たわね』


 そんな声がして、星芒具から光のかたまりが飛び出して来たのだ。光は人の形になり、紫色の髪をもつ、羽の生えた少女の姿になった。だが、その大きさはルーの手のひらに載る程度だ。


「妖精――ッ?」


『当たらずも遠からずなのだわ。アタシはヴェーラ星系生まれの妖精型空冥術行使支援ユニット。型式L-L1M、通称エル=リム。カディンの野蛮人どもが廃棄しようとしていたところ、あなたがちょうどよく通りかかってくれたのだわ』


 妖精エル=リムは両手を広げ、ルーの手首の上でくるりと回転してみせた。可愛らしい容姿に反して、言葉遣いがやや乱暴なのに、ルーは違和感を覚える。


「廃棄って、なんで」


『アタシのせいじゃないわよ。カディンの原始人どもが、アタシを間違えてポンコツ星芒具に組み込んだのよ。あの類人猿どもときたら、アタシがすでに入っているこの星芒具に、あとから機能を載せることすらうまくできずに、半年悩んだ挙げ句にゴミと一緒に捨てることを選んだのよ』


 エル=リムが惑星世界カディンの人間を指すときに使う言葉は、数秒おきに、野蛮人、原始人、類人猿と悪質になっている。


 妖精型空冥術行使支援ユニットは人間の道具なのに、エル=リムは完全にカディン人を見下していた。カディンの宗主国たるヴェーラ星系の出身であることを異様に誇っている様子だ。


『それで、あなたもカディン人? ま、カディン人は知能程度があまりよろしくはないけれど、あたしをここから逃がしてくれるのなら、力を貸してやらないこともなくてよ』


 なんていけ好かない支援ユニットだろう。ルーはイラッとしたが、もとより追い詰められている状況だ。もし少しでも役に立つのなら、使わない手はない。


 エル=リムは笑いながら口元を押さえる。


『あら失礼。性根が妖精なもので、ついつい人間をからかってしまうのよ。すぐに慣れてちょうだいね』


 ルーは目頭を押さえる。


「妖精型空冥術行使支援ユニット……、聞いたことがあるよ。ヴェーラでは何千年も前から、妖精をとらえて星芒具に組み込むことで、連繋言語の性能を引き出していたってこと……。カディンには妖精はいないから、見たのは初めて」


『やっぱりそうなのね。アタシもこんな田舎に来たのは初めて』


 なぜエル=リムが廃棄されそうになっていたのか、ルーには解った気がした。


 ルーは深く息を吐いてから、大きく息を吸い込む。気分を入れ替えるためだ。それにしても、エル=リムはいい意味で雰囲気を壊してくれた。キングの強迫のせいで起こったパニックは、いまや影を潜めている。


 エル=リムはこれまでとまったくトーンを変えずに、切迫した内容をルーに伝える。


『公安局の連中、ようやく重い腰を上げて監視網を確認したようなのだわ。ここももはや連中に見られているのだわ』


「なんでそんなに落ち着いているのさ。それじゃあもう逃げられないじゃない」


『それについてはアタシに任せればいいのだわ。まずは武器ね。そこに落ちている金属の棒を拾って』


 エル=リムに言われたとおり、ルーは金属棒を拾い上げる。パイプ状の物体だったが、中身が半分ほど詰まっていて、これで殴られればひとたまりもないだろう。


『じゃあここを出ましょう。ドアを開けて』


 ルーはロックを解除し、ドアに手をかけた。しかし、まったく動かない。公安局側に遠隔操作で施錠されてしまったようだ。


「ダメだ、これじゃ出られない」


 何度も試したが、ドアはびくともしなかった。このままではどうしようもない、とルーは思った。


 しかし、エル=リムはドアのほうへと飛んで手をかざした。ドアはふんわり光ると、すぐに元通りの冷たい板に戻った。


『もう一回やって』


 ルーが半信半疑でドアに手をかけると、今度は簡単にドアが開いた。施錠が外れていたのだ。


「これって……」


『アタシ、ここにいる間にこの施設の施錠術を解読していたのよね。だから、どこへでも行けるわけ』


「ほんとに!?」


『それだけじゃないのだわ。公安局の監視網にも逆侵入できているから、どこに追っ手がいるのかも丸見え』


 これなら行ける、とルーは思った。すべての扉を開けることができるなら、逃走経路なんて選び放題だ。



 ちょうどよく、公安局の職員がこちらに向かって駆けてきているところだった。


「動くな! 公安局内への侵入の疑いで、拘束する!」


 心臓が跳ねるのをルーは感じた。そして、来た道を引き返そうと見やる。しかし、エル=リムは逆方向――公安局の奥へと飛ぼうとする。


『こっち! 入口の方は固められているから、こっちから出るの!』


 エル=リムにそう言われてはそれを信じるしかない。拾った金属棒を手にしたまま、ルーは公安局の奥へ続く廊下をひた走る。


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