第一章 濁った瓶の底(4)最悪の出来事

 惑星世界カディンが空冥術くうめいじゅつと出会ったのは、千年ほど前になる。栄光の歴史が始まったのはそこからだ。空冥術を駆使することで、カディンは人や動物の力を越えた仕事ができるようになったのだ。


 「大空の秘術てだて、虚空のわざ」とされる奇跡――空冥術。

 それを行使するための道具を「星のきらめき」――星芒具せいぼうぐと呼んでいる。

 星芒具は『連繋言語』と呼ばれる特別な宝石を介して、空冥術の叡智へと接続するのだ。


 九百年かけて、幾度も戦争を繰り広げ、争い、奪い合い、殺し合い、惑星世界カディンは術を洗練させていった。そして出来上がったのが、カディンの統一政府だ。政府は空冥術を利用して、惑星じゅうに構造物を建設し、何階層にもおよぶ積層型の資源循環型都市を作り上げた。


 この積層型都市は、カディンの過剰な人口を支えるために考案されたものだ。カディン人はもはや、惑星カディンの地表が支えられる何倍もの数にまで増えていたのだ。


 けれども、百年前に、突如として状況が変わった。惑星世界ヴェーラの星辰同盟軍の艦隊が大空を覆った。カディン軍はそれまで大気圏外で戦うすべを持たなかったが、急いで宙を駆ける船――星辰船せいしんせん――を建造した。


 だが、カディン軍は敗れた。惨敗だった。どの方面の、どの戦いをとってみても、少しも勝てたものはなかった。そのころのカディン人は知らなかったことだが、ヴェーラの文明は何千年も前から星々を渡り、戦い続けてきたのだ。年季が違うのだから勝てるはずはない。


「カディンでは、何もかもが三流以下だね」


 そんなふうに、ルーはよく、うそぶいていた。


 そんな歴史を歩んできたカディンだからこそ、ルーは自分の父親がヴェーラ軍のカディン方面軍の軍人であるということを誇らしく思っていた。


 しかし、その父親が殉職してから、メセオナ家は誇れるものを失ってしまった。


 ルーは不良グループの頭目であるキングと付き合うことで、自身の没落を帳消しにしようと考えた。なにせ、キングは亡き父と同じく、惑星ヴェーラのカディン方面軍に属しているのだから。


 ルーの試みは実現した。彼女はキングの女になったのだ。惑星世界ヴェーラが一流の文明で惑星世界カディンが三流の文明なら、キングは三流の中で一流だ。これ以上に誇れることは、ルーには思い当たらない。


 あたしはうまくやってる。


 ルーはそう、心の中でつぶやいた。


 そうだ。あたしはうまくやってる。あたしは全力を尽くした。なのに、あんなことになるなんて、間違ってる。


+++++++++++


 正直なところ、ルーは艶めかしい薄着の格好をして、下劣な男――キングに肩を抱かれるのは気持ち悪いと思っていた。それでも、この三流だらけの世界で少しでも上に登るために、我慢していた。


 それなのに、キングは別の女――ナルマに近づくようになり、いつの間にか、ナルマの肩や腰を抱きながら部下に指示するようになった。


 ここまでくれば、ルーにもわかった。キングは女を乗り換えようとしているのだ。そうなれば、彼女の計画はご破算だ。キングを踏み台にしてより高みを目指そうという試みが終わってしまう。



 その夜遅く、キングの部屋に入ると、ルーは彼に問い質した。

 

「いったいどういうわけ? ナルマのことベタベタ触ってたじゃない」


「悪いかよ」


「開き直らないで。クイーンはあたし。あたしはあんた好みの女になろうとしてきたし、あんたの望みはなんでも聞いてきた。それがなに? どういうことなの?」


 キングは表情を歪める。


「お前さ。俺が呼んでも来ねえ日があったよな。それも何度も。望みはなんでも聞いてきただと? 笑わせんな」


「そ……、そりゃ、あたしにだって、都合の悪い日はあるじゃない」


「ナルマには都合の悪い日がねえんだよ」


「……ッ!」


 ルーは歯噛みした。これまで、ルーはキングにとって都合のよい女であろうとしてきた。彼女自身、それは常軌を逸しているほどだと思っていた。しかし、その点ではナルマは彼女の上をいっていたのだと知った。


「ナルマは俺にご執心なのさ。お前もそうだろ。だったらそれなりの努力を見せろよ」


 キングの物言いに、ルーはカチンときた。これまでしてきた努力を否定されたように感じたからだ。


「ふざけないで。あたしは最大限の努力をしてる。こんなにも好みじゃない服を着て、好きじゃないことに付き合ってる! 全部全部あんたに合わせてんのよ! それを――」


 容赦のない平手打ちが飛ぶ。


 一発で、ルーはベッドの上に倒れ込んだ。丸太のように太い腕での一撃。大男の平手打ちを頬に受けて、彼女が平気なはずはなかった。頭がクラクラする。視界は半分ほどちらついている。


 ルーはなんとか身を起こそうとしたが、どこに地面があるのかさえはっきりと見えないありさまだった。彼女は、こんな仕打ちをしたキングをにらみつける。正直、彼女にはキングの位置さえ正確に掴めなかったのだが――。


 一方のキングは、そんなルーに色っぽさを見いだした。乱れた髪、鋭い眼光だがどこを見ているのか怪しい目つき、荒い息――。ルーの弱々しさ――命の危険信号を、色気と受け取ったのだ。


「お前、そのままそこでジタバタするなよ」


 キングはルーの両腕を組み伏せ、彼女に覆い被さった。



 ルーはずっと、天井を見て放心していた。そして自問する。


 あたしは何をしているんだろう。何をしてきたんだろう。


 となりではキングが大きな寝息をたてて眠っている。


 ルーはベッドから這い出すと、ふらふらと立ち上がり、床に転がっていた服を拾いあげた。


 彼女は振りかえる。キングは眠ったままだ。彼女の上で思う存分暴れて疲れたのか、目を覚ます気配は全くない。


 彼女は服を捨て、そのまま洗面所に向かった。そして、鏡を見て初めて、自分が鼻血を出していたことに気がついた。鼻から口へと伝っていた血はもう乾いていて、固まっていた。


 彼女は深く溜息をつく。


 こんな顔をした女を相手に、いつもよりも熱心になるなんて、あの男は何を考えているんだろう。


 ルーは蛇口から水を出し、鼻の下を水で拭う。少しこすれば、鼻血のあとはなくなった。


 彼女はクローゼットに向かい、自分が最初のころにこの家に持ち込んだ服を着た。ズボンにそれを覆う長いスカート。首までの上衣とそれをしっかりと包むジャケット。そして長いブーツ。どれもこれも、先ほどまで着ていた、キングの趣味の露出度の高い薄着とは異なる。


 いつものくせで左腕の籠手を締め上げようとしてはじめて、自分が星芒具――籠手型の端末――をベッドサイドに置いて来たことを思い出した。星芒具は自己の証明であり、信用であり、通貨だった。この惑星カディンにおいて、星芒具がないことは社会的権利や自由を喪失することに等しい。


 ルーは仕方なく、キングが眠っているベッドまで戻る。そこでは相変わらず、キングが寝息をたてている。ルーは悲しくなった。


 成り上がるためにすべてを犠牲にして、全然好きでもない下劣な男に尽くしたのに、あたしはすべて失って捨てられるんだ。


 そう思った瞬間だった。


 ルーは自身が認識するよりも早く、ベッドサイドに置いてあったビンテージものの高価な酒瓶を掴むと、それをキングの頭めがけて振り下ろしていた。


 激烈な鈍い音がして、酒瓶が割れた。中から琥珀色の液体が飛び出す。部屋にアルコールの匂いが充満する。


 彼女は別に、キングを葬り去るべきかとか、そうするなら今しかないとか、そういったことに思いを巡らせたわけではなかった。ただ、これまで耐えてきた強烈な嫌悪感に蓋をできなくなり、感情があふれ出しただけだ。


「え――?」


 重い酒瓶でキングの頭を殴打した自分がそこにいることに、ルーは気づき、そして後じさった。肩が震える。


「あたしは――何を――」


 ルーは自分の手が酒瓶を持っていることさえ信じられなかった。彼女はただ、自分以外のがキングを殴打しているのを傍観していただけだ。……そのはずだった。そのが自分だとわかるまでは――。


 だが、幸か不幸か、キングは生きていた。うめき声を上げながら、震える手で頭を覆う。顔じゅうに酒をかぶっていて、目がしみるせいで瞼は開けられなかった。


「だ、誰だ、畜生、痛え……」


 キングは身を起こそうとする。しかし、なかなかうまくいかない。目も開けられない。目を開けられたとしても、これだけ酷く頭を殴りつけた直後だ、ちゃんとものが見えるかどうかも定かじゃない。


 というのに、ルーは割れた酒瓶を持ったまま、一歩下がった。ほとんど無意識だった――今度はきちんと考えたのに。。そう考えたうえで、足が勝手に退却を始めたのだ。


 なんて身勝手な身体だろう。殺そうと思っていなかったときは殺そうとしたくせに、いざ殺すかどうかを考えると怖気づくのだから。


 キングが吠える。


「お前か! お前か! ルー!」


「う、うわああああああああああ!」


 ルーは割れた酒瓶をキングに向かって投げつけると、床を転げるようにして彼の部屋を出た。そこからはまず、あてもなく闇雲に走った。できるだけ遠くへと。


 キングの目は酒のせいでまだ開いていなかったから、彼がルーと叫んだのは当てずっぽうだった。だというのに、冷静さを失ったルーは、自分が犯人だと知られてしまったと思い込んだのだった。


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