第2話 出会いと呼ぶにはお粗末な 1


「お前さあ、バッカじゃねえの?」

「…………?」


 突然、そんなとんでもない言葉が聞こえてきて、戸惑ったわたしはつい辺りを見回す。けれどこの部屋に居るのはやはり、わたしと目の前の美少年の二人だけ。


 呆然とするわたしを鼻で笑うと、彼は続けた。


「俺が今すぐお前を殺してここにある金目のもの盗んで、このまま逃げるとか考えないわけ? あんな大金払って」

「ころ……?」


「さっすが金持ち貴族のお嬢様だな。頭の中はお花畑かよ」


 目の前の少年はどかりとソファに背を預けると、身長の割に長い足を組み、肘をついた。


 何故彼は、こんなにも偉そうなのだろうか。あまりのことに驚きすぎているわたしは、言葉に詰まってしまう。


 ……わたしは今、出会って数時間の、それも大金を叩いて買った美少年によって罵られていた。訳がわからない。



 一体、どうしてこんなことになってしまったのか。


 そもそもの原因は二日前に遡る。




 ◇◇◇




 わたし、ジゼルは12歳の時にハートフィールド伯爵家に引き取られた。


 平民であり踊り子だった母は絶世の美女と呼ばれていて、そんな母に一目惚れしたハートフィールド伯爵が必死に口説き、その結果出来たのがわたしだった。


 けれどわたしが産まれてからと言うもの、伯爵は姿を現すことがなくなり、母は一人で必死にわたしを育ててくれた。本当に、薄情で最低な男だと思う。


 そんな母も、流行病であっという間に死んでしまい、一人残されたわたしは、貧民街で暮らし始めたけれど。


 その数日後、伯爵は突然わたしの目の前に現れ、養子として引き取ると言い出したのだ。




「気持ち悪い、平民の売女の血が流れているなんて」


 義母からは毎日のようにそんな言葉を浴びせられ、妹には冷たい視線を向けられる日々。些細な嫌がらせは後を絶たない。びっくりするほど、わたしは歓迎されていなかった。


 かと言って、父もわたしと進んで会話をしようともしなければ、助け舟を出してくれることもない。


 なぜ、わたしはこの家に引き取られたのだろう。そう思いながら二年が経った、二日前の晩のことだった。



「ああ、本当にあの子の顔を見るだけで吐き気がするわ」

「仕方ないだろう、サマンサがロドニー様に嫁ぐよりはマシだ。あの子が居なくなれば困る」

「……確かにそうだけれど」


 なかなか寝付けず、何か飲もうとキッチンへと向かう途中で、お父様の書斎から聞こえてきたのはそんな会話で。


 そして、ようやく全てに納得がいった。


 何故音信不通だった父が、今更になってわたしを突然引き取ったのか。何故あんなにもプライドが高くわたしを毛嫌いしている義母が、引き取ることを許したのか。


 義母と妹は毎日のように嫌がらせをしながらも、どうして絶対にわたしを追い出そうとはしなかったのか。



 ──すべて、義妹の身代わりにするためだったのだ。



 ロドニー様には、数回会ったことがある。確かわたしよりも40は歳上の大金持ちの侯爵で、いつもじっとこっちを見ては「フヒヒィ」「可愛いネェ、順調においしそうに育っているネェ」などと言っていて、気持ちが悪いと思っていた。


 どうやらわたしは、このままだとあの侯爵に嫁がされてしまうらしい。冷や汗が止まらない。


「あの子の18歳の誕生日まで、あとたった4年なんだ。我慢しなさい。とにかく、身体に傷は付けるなよ」

「はあ、わかったわ」


 やがて足音がこちらへ近づいてくることに気が付いたわたしは、慌ててその場を離れると、キッチンには向かわずにそのまま自室へと戻りベッドに潜り込んだ。


「…………ど、どうしよう」


 宝物であるボロボロの「やさしい大魔法使い」という絵本をぎゅっと抱きしめながら、わたしは一人、必死に頭を回転させていた。


 たった数日だけだったけれど、貧民街での生活は本当に本当に辛いもので。おいしい食事と温かく柔らかいベッドがあるだけで、義母や妹からの多少の嫌がらせや悪口なんて、いくらでも耐えられると思っていたけれど。


 流石にあの侯爵だけは無理だ。死んだ方がマシだけれど、やっぱり死にたくもない。どうにかしなければ。


 かと言って、わたしがここを出ていく場所などない。母方の親戚など知らなければ、まともに仕事をしたことだってない子供なのだ。雇ってくれる場所なんてないだろう。



 ──そして悩みに悩んだわたしは、決めたのだ。


 あの変態侯爵に嫁がされる18歳の誕生日までに、必死に出来る限りの準備をして、この家から逃げ出すことを。

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