ルール設定の倫理

 将棋のルールを考える上では、ルールの設定自体が正しいのかという問いが立てられるだろう。例えば特定の人に有利に働くようなルールは妥当とは言えない。また、そのルールがあることにより将棋の評価が下げられるようなものは、修正が求められることになるだろう。


 将棋においてもっとも頻繁にルールが設定されるのは、時間についてだろう。プロ棋戦にも様々な時間設定の棋戦がある。例えば順位戦は持ち時間が長く、対局が深夜にまで及ぶのは普通である。これは将棋界では普通のこととなっているが、一つの勝負が朝から深夜に及ぶ競技というのは珍しい。はたして対局者や記録係の体調がこれで守られているのか、中学生棋士が誕生することもある中で、深夜に競技するということが許されるのかなどは問われる可能性がある。

 実際、休憩時間の短縮や持ち時間の計算方法の変更などで、順位戦の対局は以前よりも短くなった。現在ではモバイル中継によってリアルタイムで将棋ファンが棋譜を楽しみようになっており、それも考慮したうえで各棋戦の時間設定や対局実施曜日の変更などもなされていくだろう。


 アマチュア大会や将棋アプリにおいては、秒読みなしの切れ負けというルールが採用されていることがある。切れ負けのいいところは、特定の時間内に勝負が終わるということである。特にアマチュア大会においては対局が長引いて進行が遅れることは避けたいため、運営上の都合で切れ負けの方がいいという事情がある。しかし切れ負けは時間的に有利な方が「詰みさえしなければいい」状態になるため、将棋の内容的にはあまり「美しくない」ものになることがある。棋譜が美しくなければならないか、は価値観の問題ともなろうが、「美しい方がいい」人にとっては切れ負けというルールはあまり喜ばしくないものだろう。

 切れ負けに慣れると、将棋が荒れるということもある。秒読みがあっても、切れ負けの時のように早指ししてしまい、形勢を損ねてしまうのだ。団体戦において、どうしても早指しをやめられず仲間からの信頼を失い、出番が減る人というのもいるかもしれない。切れ負けの将棋が将棋界全体に与える影響が小さくないとすれば、大会のルールから考えていかなければならないことになる。しかし一つ一つの大会の事情によって切れ負けは設定されているのであり、アプリの場合切れ負けの設定を選ぶかどうかは利用者次第である。仮に切れ負けというルールを減らしていくのが良いとしても、誰がそれを導くべきかというのは難問であろう。


 将棋の基本的なルールはほとんど変化がないが、それでも変更されることがある。例えば千日手の規定は、「同一手順」から「同一局面」へと変わった。手順の場合、微妙に動かし方を変え続けて延々と続くことが想定できるため、千日手に認定されるまでにとてつもない時間がかかってしまう可能性がある。そのため、局面で決めるように変更されたのである。そうなっては「良くない」という判断が下された以上、倫理的にルールが変更されたと言える。

 持将棋の宣言法も、「その方が良い」として導入されたルールであろう。持将棋においては駒を点数にして考えることになるが、「まだ取れる駒があるか」というのは非常に主観的な判断になる。どう見ても点数が足りない方が「いや、まだ取れる駒がある」と言い張った時、宣言法以前のルール内では解決できなかった可能性がある。宣言法によって特定の局面になれば持将棋でも勝ちを確定させられるようになったのは、画期的であった。ただし、宣言法自体がややこしく、プロ棋士でも正しく把握していない場合がある。「宣言法の改善」も、今後の課題の一つであろう。


 ネット将棋においても、しばしば細かなルール変更はなされている。例えば将棋ウォーズは、一時期トライルールを採用していたが今はなくなっている。また、場によっては、特定の時間設定はある条件をクリアしなければ利用できない、というルールもある。なぜそのようなことがされるかというと、長い持ち時間ではソフト指しがしやすいため、それ以外のところで棋力を保証しておきたいということだろう。また、前節でも述べたがそれぞれのサイトやアプリによって規約も異なり、アカウント停止になる条件も異なる。いわば、「その場で許される振る舞い」の設定が違うと言える。

 許される振る舞いを決めるということは、運営者が求める「良き振る舞い」があるということになる。それぞれが考える良さが異なるため、規約もそれぞれになると言える。(もちろん技術的なこともあろうが)しかし、「悪しき振る舞い」を認定する方法というものも難しい。例えばこれまでソフト指しを公に告白した人はそれほど多くなく、ソフト指し認定されてアカウント停止になった人の内どれ程が「実際に」ソフト指ししていたかというのはわからない。また同様に、ソフト指ししている人の内どれ程がソフト指しと認定されているのかもわからない。

 私の認識が間違っているかもしれないが、詰みのみにソフトを使う人は、「詰んでいるものを詰ませる」に過ぎないので、指し手の質などからソフト指しと認定するのは相当に困難なのではないか。だが、中盤までの指し手の感じとは異なり、詰みのある局面になると急にバシバシと指してきて、かなり難解な詰みを発見する人というのはそこそこいる。最近は「通報」の機能も充実してきて、初手投了や放置などを簡単に通報できるところも多い。しかし「ソフト指し」に関しては、よほどの確信を持てなければ通報するのは躊躇われる。実際に「終盤だけ鬼のように強い」人はいる。とはいえ、「さすがにそれは詰ませられないだろう」とか、「ここで自玉の不詰みを読み切るか」と感じることは多い。この問題を解決するのはルールや倫理ではなく、「人間に読み切れる範囲を認定する」といった機能を発展させるという、将棋ソフトの進歩かもしれない。



 アマチュア大会では特に、「運営のルール」が大会の質に大きく影響する。予選をするのかしないのか。どのようにするのか。シードを設けるか。その条件は何か。事前申し込み化当日受付か。参加費は何円か。

 大会に参加して楽しいと感じれば将棋は「良い状態」に向かうと考えられる。逆に不快な思いをしたり、「これだったら参加費が高い」と感じる人が多かったりすれば、その大会は良い状態とは言えないだろう。

 中には、「優勝したのに地区代表になれなかった」前例などもある。ルールに代表にふさわしくない条件(県外在住など)が明確に書かれていればあり得ることなのだが、対局態度といったマナーが絡む場合などはどうしても主観的な判断が介入してしまう。子供大会の場合運営者にも教え子がいる場合があり、審判でありながら利害関係が生じていることもある。「私の教室ではマナー違反だ」といった理由で教え子でない子供が失格になった場合、本人や保護者に納得してもらえるだろうか。

 大会によっては運営者が不慣れであることなどから、一部の参加者が不利になるようなトーナメントが組まれることもある。例えば参加人数が分からないうちに端から詰めていくと、予想よりも参加者が少なかった場合、遅く来た人がスカスカの山に入ることになる。またリーグ戦において当てる順番を適当にしたため、後半になって運営がどう当てればいいのかさっぱりわからなくなっている、ということもあった。見たことのない人は驚くだろうが、実際にあることなのだ。できるだけこういうことが起こらないように、リーグやトーナメントの作り方、当たる順番や順位の決め方なども規定として決めておく必要があるだろう。

 ルールをしっかり決めておくということは、将棋をする上での良い環境を作るということでもある。これは逆に言えば良い環境を作ることを意識すればそれがルール作りにも反映されるということで、倫理的判断はルールを作る段階で影響を与えていると言える

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