将棋とルール

ルールと倫理的態度

 将棋において最も重要なのは、ルールを守ることである。これができなければ、そもそもゲームが成立しない。

 将棋のルールには、いくつかの種類のものがある。最も大切なのは、駒の動かし方などの「ゲームの進め方」であろう。これを間違えると反則負けとなる。もちろん友達同士や初心者を指導する段階では、少しぐらいの反則は見逃して「待った」をするかもしれない。しかしきちんとした対局においては、ルールは絶対なのである。

 将棋には二歩や王手千日手などの反則に関する特殊なルールも存在する。特に二歩は、プロでも幾度もなく出てきた反則であり、決してルールを知らなかったり、気付かれないならばとわざと行うから生じたりするルール違反ではない。駒を飛び越える、裏返しに駒を打つ、などの珍しい反則もある。初心者の内においては四段目で駒を成る、一段目で歩や桂馬、香車を成らないといった反則をよく見かける。

 これらの反則はルール上即負けであり、ゲームとしては特別倫理的問題にすることではないと思われるかもしれない。しかし、反則はあるよりもない方がいいという考え方がある。つまり、「やってしまったら仕方ない」ではなく、「できるだけ反則をしないようにしよう」という心掛けがプレイヤーに求められるのではないか、ということである。単に反則勝ちした方がラッキーというわけでなく、反則の生じないようにお互いが「善処する」という意味では、ここにはルールに関する倫理が存在していると言えるだろう。

 また、場所や大会によって変化するルールもある。多くの人が経験したことがあるのが、「王手と言わなかったので王将は取れない」という指摘であろう。これはとてもローカルな場においてのみ通用するもので、どこにも明文化されていないルールである。そうである以上、正式な将棋のルールとは言えず、積極的に守るべきであるとは言えまい。むしろ王手を言うということの方が将棋をする上ではふさわしくない、そもそも私語を慎むべきであるという考え方もあるだろう。

 変化するルールの中には、持ち時間というものがある。アマプロ関わらず、正式な対局は時計を使うものがほとんどである。切れ負けの場合もあるが、多くの場合持ち時間があり、それが切れると秒読みになる。そして秒読みでも時間を使い切ってしまうと、その時点で負けということになる。

 時間切れ負けに関しては、避けた方がいいと言われてもどうしようもない場合が多いだろう。考えた挙句間に合わないという場面はたくさん見てきた。時間切れ負けもない方がいいと考える人もいるだろうが、こればかりはどうしようもないかもしれない。

 千日手や持将棋も変化するルールである。アマチュアの大会によっては運営時間の関係上、千日手が複数回現れると後手勝ちになることがある。また、団体戦では個人の勝者を必ずしも決めなくていいため、二回の千日手で引き分けになることがある。持将棋には24点法と27点法があり、24点法の場合は指し直しがある。同じ局面でもどちらのルールかによって指し直しだったり勝敗が付いたりするのである。さらには宣言法というものもあり、プロでも持将棋に関するルールは完全には把握していないこともあるようで、アマでは「覚えていなくても仕方がないルール」と言えるだろう。


 また、盤面以外のルールも存在する。指した手で時計を押す、持ち駒を駒台に置く、反則の第三者の指摘の可否などである。特に最後のものは対局者以外にも関係するルールであり、もめ事の種になりやすい。将棋は対局者だけでなく、周囲で観戦する人にもルールの遵守が求められるゲームなのである。

 また、反則をどのように認定するかという問題もある。特にアマの場合、ずっと誰かが対局を見ているとは限らない。反則が指摘されても、その反則があったかどうか審判が確認できないことがある。言ったもの勝ちになってしまうと、反則を捏造して勝ちに行く者も出てきてしまうだろう。特に「待った」や「指したのと反対の手で時計を指す」などは、後からは確認しようがない反則である。対局相手として見れば明確に反則があったと認識しているのに、反則裁定がくだらないということも生じる。これらのことを防ぐには、「対局者はできるだけ反則はしないようにする」しかない。

 将棋は勝ち負けを競うものだが、ゲームでもある。対局者や運営者が気持ちよくその場を楽しむためには、決してわざとでなくても、「反則のない対局」を皆が目指すということが求められるだろう。

 では、「反則をなくそう」という倫理的態度はどうすれば皆に定着するだろうか。まずは、「ルールを守るのは良いことだ」という一見当り前のことを、皆の共通理解としていくことが第一に求められるだろう。中には「反則負けが起こるのは仕方がない」「気づかれなければラッキーなこともある」「同じ負けなんだから詰まされるのも反則負けも同じ」と考える人もいるだろう。しかしそれでは皆が気持ちよく将棋を楽しむことにならないし、反則裁定をする人の負担が増えることにもつながる。

 また、対局という場を取り仕切る側が、ルールの裁定をきっちりするということも求められるだろう。同じ状況なのに反則にしたりしなかったりという態度では、対局者が困惑してしまうし、必ずルールを守らなければという気持ちを生じさせはしない。対局者によって態度を変えるのももちろんよくない。きちんとその場のルールを提示し、反則に対してはしっかりと認定する。皆がこれを徹底することにより、ルールは守るべきものという考え方が浸透していくことになる。

 厄介なのが、「ルール以内ならば何をしてもいい」という考え方の対局者とどう向き合うかである。これはマナーの問題になっていくが、ルールについて厳しい姿勢を見せるほどに、「ルール内の限界行動」に挑戦しようとする人のやる気が刺激される。マナーは反則負けにつながらないため、どうしてもやめさせたいことがあるならば新たにルール化するしかなくなる。果たしてそのようにルールを増やしていくことがいいのだろうか。

 例えば学生棋界では、非常に特殊な前例がある。大学の団体戦においては対戦ごとに出場メンバーを変えられるが、上から書いた順にしか出場させることはできず、途中で名前を書き替えるのは反則である。実際書き換えの反則も起こっており、反則負けのみならず一定期間の出場停止という処分も下されている。そんな中、「第1試合出場メンバーだけ書き込み、残りの控えメンバーは他チームのオーダーを見てから空欄に書き込む」という作戦を採ったチームがいる。「書き換えは行っていない」という主張である。私は厳密には「空欄を書き換え」ており、第1試合に「メンバーを明示していない」という反則に当たると思うが、ルールには解釈の余地があり、反則でないと考える人がいるのも理解できる。

 問題は、そのようなことをして「場がうまく進行する」と考えていたかである。「いやあ、ルールの隙間を突かれたなあ」とみなが納得して進めばいいのだが、どう想像してもそのようなことはあり得ない。実際大会の進行は中断され、協議の結果「くじ引きで決めたオーダーで参加する」ということになった。反則による参加取り消しにならなかったのは、(空欄を利用するのは予測困難とはいえ)ルールの方に不備があった、と運営側がある程度認めた結果だろう。単にルールを守るということのみならず、「何のためにルールが用意されているのか」が考慮されていれば、このような事態は生じなかったはずである。

 

 本来ルールに明記する必要がないが今日問題になっていることに、「自力で指す」ということが挙げられる。どんなゲームでも本人がプレイするのは暗黙の前提だが、今ではコンピュータソフトの発達により「誰でもとてつもなく強いプレイヤーの助言を受けられる」状態になったのである。ボードゲームでは、1996年にチェスのソフトが世界チャンピオンに対して勝利した。現在は将棋や囲碁でも、ソフトはプロをしのぐ強さとなっている。このソフトを利用すれば人間相手にはほぼ勝てるという状況であり、ネット上では「ソフト指し」は大きな問題となっている。

 対面上の勝負でも、ソフト指しが疑われる事例はある。プロ棋界においてもソフト指し疑惑は話題になったが、アマにおいても時折疑われる事例がニュースになる。現在スマホのスペックでも将棋ソフトはかなりの強さであり、「勝ちさえすればいい」という人にとっては、ソフト指しはとても甘美な誘惑となっていることだろう。

 そしてソフト指しが勝利のためには有効であるために、ルールの方も対応を迫られる。プロ棋界においては、対局場への電子機器の持ち込みが禁止された。アマにおいては大会においてまちまちだろうが、やはりソフト指しを避けるためのルールの追記が必要となったものが多いだろう。本来ソフトに助言を求めるのは「明らかにモラル上よくない」のだが、それでも誘惑に駆られて実行に移す人がいる以上ルール化せざるを得ないのだ。

 しかし電子機器の発達によって、やろうと思えばいくらでもソフト指しをできる状況は生じてくると考えられる。現状でも通信機能のある眼鏡や時計は開発されており、さらに小さく目立たないものが、もしくは体内に直接埋め込むようなものが開発されれば、視認だけでは違反を確認できなくなる。プレイヤーがルールを守るという前提が成り立たなければ、審判側の負担は果てしなく膨らんでしまう。

 このようにプレイヤーが勝利のためにルール違反を行うかもしれない状況では、それをチェックするためのコストは増加し、最悪対局をする場の運営が成立しなくなる恐れがある。これを避けるためには、将棋をする人々がルールを遵守するという倫理的態度をとることが求められる。「反則をすれば負ける」という条件だけでは、安心できる対局の場は保証されないのである。



参考資料

清水らくは「どうぶつ化するポスト将棋」https://kakuyomu.jp/works/1177354054917496276/episodes/1177354054917498755

同上「強さとは何か(電王戦リベンジマッチ)」https://kakuyomu.jp/works/1177354054917496276/episodes/1177354054917499594


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