第3話 悪魔

 弥太郎は直弼のこの無謀な「西の海に出航する計画」で大きな手柄をあげることは不可能だと考えていた。直弼が計画を話し終えた後、弥太郎は香とナーに真剣な顔で語りかけた。

 「良いか。これは非常に危険な計画であり、死ぬかもしれない。それを承知の上でこの計画にも賛成してくれる人間だけを参加者として招き入れるんだぞ。」

 ナーが直弼と弥太郎の顔を交互に見つめた後、男勝りな口調で話した。

 「じゃあ私は総舵手や兵士、町人たちの中から付いて行きたい方々を調べておきます。香は城の蔵の中に余分な食糧がどれくらいあるか調べておいてくれよ。」

 「分かったわ。ついでに出航可能な船や武器の状態を確認しておくわ。」

 香とナーは賢い。しかし、時折、直感で行動してしまう癖があった。今回も直弼の提案は危険で危ういものだと感じていたが、弥太郎もある程度賛成しているようなので何とかなると判断してしまった。

 ナーは花魁街の方向へ、香は城の方へと優雅に歩き始めた。

 「何人集まるのか。」

 弥太郎は呟いた。

「香とナーが調べた結果、参加希望者が少なければ直弼も諦めるだろう。多ければ綿密な計画を立て確実な成果をあげなくては。」

弥太郎は色んな考えを頭の中で反芻しながら直弼とともに城に帰った。

この日、直弼の部屋にある地球儀を眺めながら、2人は夜遅くまで話し合った。



 直弼と弥太郎、香とナーが計画を話し合った日から1ヶ月が経ち、10月になった。蒸し風呂にいるような暑い夏が徐々に和らぎ、日本人町では亥子餅(いのこもち)の焼いたこおばしい香りがした。餅を嬉しそうに食べている香とナーに弥太郎は話しかけた。

 「直弼様の計画に賛同するものはかなり多いそうだな」

 「はい、町の人たちは皆、新しい交易路や貿易相手が出来るのではないかとワクワクしてるよ。ぜひ自分も歴史に名を残す大イベントに参加したいと考える男が3000人。女が1500人の総勢4500人です。武器はご先祖の刀を持っていくってさ。刀が無い人たちは武器商人から鉄砲や槍を買って船に乗り込もうと意気込んでたよ。おかげで武器屋は大盛り上がりですって。去年の飢饉で景気が冷え込んでいたから、物流が活発になったことを喜んでいる人が多いよ。」

 ナーは元気に笑いながら弥太郎に報告した。ナーがこの唐突な計画をすぐに町中に広めた狙いは経済の活性を見越してのことだった。可愛らしい愛嬌たっぷりのこの少女は、外見からは想像できないほど利発で抜け目がなかった。


 利発な少女が一通り報告を終えた後、香が話し始める。

「船については、大型貿易船が1隻、中型船が3隻、小型船が25艘余っていましたわ。城の大砲5門と砲弾1貫、銃や鉄砲に使える火薬が5斤、兵糧が200石(こく)、このくらいの量なら持ち出しても全く問題ないと思うわ。町の下賤なオランダ商人たちは、イギリス人に遭うと悪魔に取り憑かれると口々に言っていたわ。イギリス人をコケにする根拠の無い話だろうとは思うけど、少し気になったから一応心にとめておいてね。」

 悪魔が憑くというデマはとりあえず今は聞き流した。

 ナーと香の情報は詳細だった。ナーの情報に至っては参加希望者がどんな身分でどんな体格、家族構成などもまとめられていた。参加者の中には直弼でなく、井伊家の発案だと思う者もいた。

 外国の新たな土地に町を築き貿易を活発にしたことが江戸幕府の飛躍的な発展に貢献した。この考えは日本では今や一般的になっていた。

 この頃の直弼たちが住むマラッカの都市人口は100万人。各地の日本人町を含めた江戸幕府の人口は4000万人を超えていた。ちなみに、この頃のイギリスの人口が2500万人、アメリカの人口が1000万人だったことを考えると、江戸幕府は世界有数の大国家だったことが良く分かる。


 ナーと香が動いたことで町中の人が直弼の計画を知るようになった。父、直中も当然直弼の計画を知っていた。父は初めは驚き、無謀な計画だと思った。しかし、息子が自分で計画し信頼できる家臣に話し、成し遂げたいことを具現化していっていることを知り嬉しくなった。将軍からも天皇からも一目置かれているこの名君も所詮は人の親なのである。我が子には甘い。

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