第12話 百束一門

:-:-:-:-:-:-:-:



 道場。

 袴を含めての合気道着を身に纏った少女が一人。

 傍から見れば、ただ突っ立っているだけのように見えるが、彼女の身の内に『気』が巡っている。紛れもない修練の最中であり、尋常ではない集中力を持って彼女はその場に挑んでいた。


 じっとりとした汗を感じながらも、少女は『気』の循環を止めることはない。身体の隅々に巡らせる。もっと強く、もっと早く、もっとスムーズにと。


 修練は、道場の入口に佇む人の気配を感じても尚続いていた。


 静寂の中での修練。『気』が巡るだけのことではあるが、少女のその制御は同門である者からすれば、彼女がかなりの使い手であることを知れる。


「流石は宗家のご令嬢だな」


 しばらくは沈黙のまま、少女の集中する姿を眺めてた人の気配……入口に立つ少年が口を開く。


「健吾……その程度で私の集中は乱れないよ?」

「別にそんなつもりで声を掛けたわけじゃないさ。総代と若頭が呼んでるから迎えに来ただけだ。この分だといつまで経っても終わりそうにないから」

「お祖父様と父様が? ……もう、だったら早く言ってよ」


 即座に集中を解き、少女……桃塚ももつかあおいは動く。そんな彼女に向けて少年……犬神いぬがみ健吾けんごがタオルをふわりと投げ渡す。


「ありがと。それで? 総代の用件は?」

「知らない。それを伝える為に葵を呼んで来いって言われたんだからさ」

「もう。何となく、こう……あるでしょ? こんな用件かな? ……っていうのが」

「いや、そりゃ『鬼』関連だろ?」

「……健吾に聞いた私が悪かったわ」


 丁寧に手入れされた古式の日本庭園を眺めながら、道場から連なる長い廊下を歩く二人。


 一部の“裏”を知る者たちにとっての総本山。

 異能を悪用する『鬼』を取り締まる異能集団、百束ももつか一門いちもんの宗家たる桃塚家の本邸。


 もっとも、“表”の事情しか知らぬ者からしても、地方都市とはいえ、広大な敷地と邸宅を持つ桃塚家は古くからの地元の名家として有名ではあった。その真の実態を知る者が多くはないというだけ。


「悪かったな。考えなしで」

「えっ!? お、 驚いた……自覚あったんだ?」

「あのなぁ……」

「ふふ。ごめんごめん」


 いつものやり取り。

 犬神健吾は、当然ながら犬神家に出自を持つ少年。犬神家とは百束一門の中でも、主に桃塚家の守護家としての役割を持つ家。


 幼き頃から、宗家直系たる葵に仕えるために傍に居る。時代錯誤ではあるが、正確には主従の関係だ。ただし、当人同士はそのような認識は薄く、周囲も主従を強く押し付けたりもしない。流石に時代にそぐわないということは大人たちも理解している。


 いまでは『兄弟姉妹のような幼馴染』という関係性で落ち着いていた。


 少年少女は廊下を歩みながら、和やかな雰囲気を醸し出しているのだが、紛れもなく“裏”に精通している者でもある。呼び出しの用件が、高校生たる二人への勉強の促しなどではないことは、当人たちが百も承知していた。


 異能によって法を犯す輩。『鬼』。

 時には、人知れずにそんな鬼を誅することすらある百束一門。その宗家と御三家の直系である葵と健吾もまた、『気』を操り異能を使う者。


「健吾です。失礼します。葵を連れてきました」

「葵。参上しました」


 広めの和室。座卓を前に胡坐をかいて座っている、百束一門の総代……つまりはボス。異能者を取り締まる側の異能者たちをまとめる組織の長。


「おう。来たか二人とも」


 桃塚ももつか正蔵しょうぞう

 人好きのする優し気な雰囲気を纏う葵の祖父。


「まぁ掛けなさい。総代からの内々の話とは言え、特に形式ばった場でもない」


 そしてもう一人。葵の父であり、若頭の一人。桃塚ももつか啓介けいすけ

 百束一門の組織は地域によっての分業制が進んでおり、若頭はいわば支部長のような役職であり、実務上では地域一帯のトップと言える。むしろ実務においては、直接指揮を執ることのない総代の方が名誉職のような形となっている。


「はい」

「分かりました」


 葵にとっては実の父と祖父母であり、立場はさておき、健吾にとっても親戚のおじさんのような気安さのある相手。無礼な振る舞いをすることもないが、過度に緊張することもない。用意されていた座布団に、招かれた二人は正座で座る。


「若頭が言うように、特別に形式ばった場ではないのだが……用件が用件だからな。一応はこうして呼び出させてもらった」

「お祖父様。当然に用件は『鬼』関連でしょうが……総代という立場から直々に……ですか?」


 健吾は特に疑問を持たなかったが、葵は多少の違和感を覚えていた。ただの一門の仕事……お役目であれば、このような呼び出しはまずない。


「うむ。別にそこまで畏まることでは無いのだが……二人は、最近この界隈に出没している正体不明の『鬼』の話は聞いているか?」

「あ! 俺、聞いたかも知れません。もしかして『黒いヒトガタ』のことですか?」

「健吾? なにそれ? 『黒いヒトガタ』?」


 総代の問いに対して、若い二人は正反対の様子。

 ちらりと若頭に目配せをして、総代が説明を促す。


「その名の通り、真っ黒いヒトガタの異能者だ。何らかの認識阻害系の異能を発動させているため、そのように視えるというのが解析班の見解だ。ちなみに、健吾は誰から聞いた?」

「え? あ、はい。ええと……俺は田口さんの班の人から『任務の途中で出くわした』って話を聞きました。……その際、班の一人がやられたとも……」


 総代と若頭の双方の瞳が鋭くなるのを察し、健吾はどうしても答える声が尻すぼみになってしまう。


「まったく。いまはまだ機密だと通達していたものを……ペラペラと……」

「若頭、そう言ってやるな。同じ班員がやられるのを、指を咥えてみているしか出来なかった他の班員の悔しさも理解はできるだろう? そもそも噂が流れるのは承知の上だったはずだ」


 総代達は健吾ではなく、情報を漏らした側に対して思うところがあった模様。

 困惑する若い二人に若頭が改めて説明をする。


 黒いヒトガタ。

 近隣に出没する謎の鬼……異能者。一門衆が追いかけていた鬼を、いきなり現れて横から拐っていくという事案が続いた。


 その上、一門の者も既に三人がその命を奪われるという由々しき事態。


「一門衆が三人も……それは大問題では? 何故に情報を制限しているのですか?」


 葵からすれば当然の疑問。

 むしろ、このような場で伝えられるような話ではない。若頭が管轄する地域一帯の一門衆全員に注意喚起と、その黒いヒトガタとやらを捕らえるように促すべきだ。彼女は憤りを覚える。仲間が三人もやられて何を悠長にと。


「その通りではあるが、問題は被害者の方だ。拐われた鬼は重罪人……つまりはその命をもってしての処断対象ばかり。そして一門衆の三人は……“懐刀”による内部調査を進めていた者たちだ。それも詰腹つめばらを切らせるほどのな」

「……つ、詰腹を……それほどの……?」


 内部調査の上で詰腹を切らせる。つまりは一門の三人も処断する予定だったということ。


 百束一門は厳しい規律にて自らを律してはいるが、『気』や異能という超常の力を用いる者の集まりだ。己の欲のままに……という者も居ない訳ではない。まだ若い二人には馴染みが薄いが、一門の中からも『鬼』は出る。出ない筈もない。


 怪物と戦う時は自らも怪物とならぬよう心せよ。深淵をのぞく時、深淵もまたこちらをのぞいているのだ。


「……黒いヒトガタは、こちらの調査能力を一部で上回っている可能性がある。単独ではなく、組織的な背景があるのかも知れないが……残念ながらこちらはそんな事すら掴めていない。そして昨日、一門の警察関係者が『解決屋』と呼ばれる者と接触した。我々が黒いヒトガタではないかと当たりを付けていた者なのだが……こちらなら葵も聞いたことがあるのでは?」

「ッ! か、解決屋って……え、ええ。そっちは聞いたことがあります。ここ一年ほどで急に都市伝説みたいになってる……」

「そうだ。我らの総本山たるこの地でな。ふん。まったく……舐められたものだ」


 嘆息するのは総代。彼が現場で指揮を執っていた現役の頃であれば、黒いヒトガタも解決屋などと名乗る輩も……すぐにでも苛烈に潰しに掛かっている。異能を取り締まるのは、政府のお墨付きを得ている百束一門の専売特許。勝手な真似を許すと、第二第三の模倣犯の台頭を許すことになる。最初が肝心。


 しかし、現状は総代の感覚からすれば手緩い対応であり、その調査や仕掛けも中々に成果を上げられていない。更に恥の上塗りなのが、縄張りを荒らす件の解決屋から一門が逆に情報を貰うという有様だ。


「……此度、解決屋は間接的にこちらに助力を申し出てきた。例の女子中学生の行方不明事件だ。解決屋の情報を基に調べたところ、空間系の稀有な異能が使われた形跡も見つかった。警察からせっつかれ、こちらも動いていたのだが……またしても先を越されたということだ」


 若干の苛立ちを見せる総代と違い、若頭は淡々と情報を羅列していく。

 ただ、葵も健吾も話の終着点が見えない。

 

 一門衆にすらその正体を明かされないという“懐刀”による内部調査。

 一門から『鬼』を出してしまった事実。

 更には、その『鬼』を処断する前に、部外者に横槍を入れられるという恥辱。

 部外者は黒いヒトガタという異形の異能者であり、裏には組織が付いている可能性まである。そして、巷で噂される解決屋が同一人物かあるいは同じ組織に属する者という目星。ただし、現時点では解決屋の正体がそもそも不明。

 その上で、女子中学生の行方不明事件の解決の糸口となる情報提供。


「そ、それで……結局のところ、俺と葵は何故に呼び出されてまでそんな情報を伝えられているんですか……? あ、いや……もちろん内輪でも迂闊に伝えられない情報だっていうのは承知してますけど……」


 それぞれが重要な情報ではあるが、葵と健吾からすれば、自分達の関与する部分が不明なまま。


「……ふぅ。総代としてではなく、ただの祖父としてはこんな事を葵に頼みたくはなかったのだがなぁ」

「葵への頼み……ですか?」

「…………」


 口を開いた総代には諦めがある。それだけで葵は察してしまう。


「……此度の女子中学生の行方不明についてなのだが、実は一門の“懐刀”たる者が関与している可能性が出てきた。……葵の『異能』をその“懐刀”と、解決屋に対して使用して貰いたいのだ」

「解決屋はともかく……私の『異能』を一門の者にですか……?」


 総代と若頭は長々と前提を説明していたが、結局のところは葵に異能を使わせるというだけの話。


 ただし、それは決してまともな判断ではないということ。封じられて厳重に秘された。総代と若頭の裁可が無ければ決して使うことを許されていない。ソレが桃塚葵の異能。


 彼女の異能を知る者は、一門の中でも総代と若頭……そして側付きである犬神健吾のみ。つまりはこの場に居る者だけ。一門の秘密を知る葵の母や祖母、弟……家族にすら知らされていない。


 犬神家の者として……葵の側付きたる健吾には、総代と若頭からの要望は受け入れ難きこと。


「ふぅ。如何に御二人であっても……葵に『異能』を使わせようとするなら……俺は側付きとして葵を守護する義務がある……ッ!」


 健吾の気配が変わる。幼馴染みから、桃塚葵の守護者としての顔が出る。『気』が巡る。到底敵う筈もない。しかし、彼は葵を守る為であれば、彼女の祖父や父であろうが、一門の総代であろうが……牙を剥く。それが守護者として、犬神家の者としての在り方。


「ふっ。仔犬がいっちょまえに吠えよる」

「まったく。犬神家の者は相変わらず融通が利かんな」


 総代と若頭。彼らは主の前に出る若き忠犬のことを、溜息混じりではあるものの微笑ましい気持ちで迎える。ただし、その身に巡る『気』は洒落にならないほど本気。


「け、健吾……ッ! 止めて! 私は大丈夫だからッ! もう! お祖父様と父様もッ!」


 当人を置き去りにして血気に逸る馬鹿ども。止めるのは葵本人。彼女からすれば『何故に自分のことでこんな無駄な負担を!?』と疑問に感じるのも当然だろう。


「葵! で、でも……ッ!」

「でも……じゃないからッ! 健吾、お願いだから私に“命令”なんてさせないでよ?」

「うっ……わ、分かったよ」


 忠犬は主のために牙を剥くが、主が言うならその牙をキチンと収めもする。


「なんだつまらんのぅ」

「お祖父様!」


 むしろ悪ノリする大人の方が度し難い。


「まぁそれはさておき……葵。総代が言われたように、お前の異能の使用許可を出す。対象は解決屋と呼ばれる者と、一門の“懐刀”である早良さわら勇斗ゆうとだ」

「……はい。承知いたしました。……解決屋と同一人物かも知れないという黒いヒトガタは?」

「それは現実的に無理だ。解決屋は手順を踏めば接触できることが確認されたが、黒いヒトガタは基本的に荒事の場でしか確認できていない。葵の異能は、流石に鉄火場で使用することはできないだろう?」

「……えぇ。それはそうですが……」


『裁定』

 肝心要な彼女の異能。過去の発現者は、百束一門の長い歴史の中でも片手で数えるほどしか記録に残っていない稀な異能。


 善悪を判断し、その者の本質を裁定し、一切の言い訳が利かぬ問答無用な審判を下すという能力ちから


 悪を絶ち、善を活かすと言い伝えられているが、善を活かした実例は伝承や伝説に存在するのみ。


 百束一門においては、『裁定』は悪を処断する異能だと認識されている。


 使用された相手からすると、己の“悪”の度合いにより、いきなりその命を絶たれるという理不尽極まりないモノ。


 ただ、その善悪や本質というものは曖昧であり、ときには発動者である葵自身にとっても意味不明な結果をもたらすこともある。また、発動者自身にも準備と代償が必要であり、おいそれと使用することは出来ない。ましてや戦闘の最中に軽々に発動できるような代物ではない。


「……本来であれば、他の異能、証拠の積み上げ、科学捜査……等々によって、第三者にもつまびらかにしたかったのだが……そうも言ってられなくなった」

「黒いヒトガタないし解決屋は、それほどまでに早急に対処する必要があると?」

「それもあるが……総代や私が懸念しているのは、“懐刀”である早良勇斗の方だ。二人には当然に知らせていなかったが、奴はまだ十七歳という若さだ。その上で、内部捜査で動かしていた他の“懐刀”が二人消息を絶った」

「まさかッ!?」

「嘘でしょう!?」


 葵と健吾に浮かぶのは驚き。それもその筈。そもそも一門においての“懐刀”とは、総代や若頭の直下の者たち。その実力と特殊な異能、人物を吟味されて迎えられるいわば精鋭。通常であれば、一人前となってから十年以上の研鑽と実績を持って選抜される。


 それを飛び越えて十代……葵や健吾の同級の者が“懐刀”に選抜されていることが異質。


 その異質……早良勇斗の実状が示すのはただ一つの事実。


「そ、総代は……そいつを“懐刀”だと認めた? これまでのしきたりを飛び越える程の実力者だと?」


 他を圧倒するナニかを持っているということ。数は極々少ないが、そういう来歴を持つ“懐刀”がいるという噂は、葵たちも耳にしたことがあった。


「……そうだ。奴は一門とは理の違う技と異能を持つ、生まれついての異能者だった。我々が奴を把握したのが三年前。そこから、その人格や実力を含めて慎重に吟味した結果として……一年前に“懐刀”へ選抜した」

「あ、有り得ない……」

「それが有り得たのだ。奴を見出したのが、同じく特異な“懐刀”だったのも大きい。もっとも、そちらの情報に関しては二人に伝えることはできないがな」


 葵と健吾が知る由もないが、早良勇斗を見出したのも十代の“懐刀”の少女だった。彼女自身の実力は葵や健吾を多少上回る程度ではあるが、その異能の特性によって抜擢されたという来歴がある。


 驚愕はしているが、実のところ葵自身も『裁定』という特殊な異能を持つため、桃塚家の生まれでなければ、勇斗たちと同じように十代の頃より“懐刀”へと抜擢されていた可能性もあったのだ。


「とにかくだ。今回の行方不明の女子中学生を保護する段取りはできた。彼女のケアを含めつつ、もう一段証拠を積み上げた上で……“懐刀”である早良勇斗に『裁定』を使用してもらいたい」

「し、承知いたしました。で、では……いまから準備に?」

「いや、まず葵には被害者と思われる少女のことを確認して貰いたい。『裁定』の判む別が何を基準にしているのかは不明だが、情報が多いに越したことはないだろう。今回の救助作戦には、指揮系統は別になるが早良勇斗も参加させる。基本的に表舞台には出ないが、もし奴が出ざるを得ない事態になれば……現場で確認しておいてくれ。それに……もしかすると解決屋ないし黒いヒトガタも現れるやも知れん」


 百束一門。

 彼らは彼らで動いている。



:-:-:-:-:-:-:-:

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る