第5話 別離

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「なぁユラ。何をそんなに怒ってるんだ? そろそろ俺は帰らないとダメなんだろ? こんな風に別れたくないんだが……」

「……愛しいアキ。いや、まぁ……君が悪いわけじゃないのは分かってるんだ。好きにやれと言ってしまったのも事実だし。そもそも君の自由な行動を観測するのも、運営側だったり別の班の研究の一つなんだろうしね。ただ……ごく一部の範囲とは言え、この世界の未来に、恣意的に影響を及ぼすような真似をして欲しくないだけ」


 ユラは大人。グッと飲み込む。彼女の仕事……長いスパンでの文明の興りと衰退を……この世界の独自の文化を観測する研究に参加している。


 そんな彼女の目の前でアキは、“外”から与えられた不死という特性を担保に、現地で影響力のある者に接触するという……ユラが行えば一発アウトとなるような行動を取ったのだ。研究者としての彼女がイラッとするのも仕方あるまい。


「ふぅ……ねぇアキ。愛しい人。別れ際に嫌いにならないで欲しいんだけど……私の懺悔を聞いてくれない?」

「……懺悔? は、はは。ま、まぁユラならば、たとえ浮気をされても……ゆ、許せるかな?」


 気を取り直して……からの真剣なユラの言葉に、思わずアキは冗談まじりで返してしまう。過去のトラウマ故にその声は震えていたが。


「はぁ……まったく……私がアキ以外に心と体を許すと思ってる? ……いや……私のやったことも、人によってはソレと同じくらい信頼を損ねる行為ではあるけど……」

「え? い、一体……な、何をしたんだ……?」


 世界を超えての別離を前に、愛し合い、十年以上連れ添った相手の懺悔とは……アキの動悸が激しくなる。


「実は……つい最近まで我慢してたけど……とうとう見てしまったの。アキの……鹿島秋良の向こうの世界での記録ログを…………本当にごめんなさい」


 神妙な顔で目を伏せるユラ。いつもの余裕のある態度ではなく、小さく縮こまっている。まるで叱られるのを恐れる幼い子供のように。


 ただし、そんなユラの告解は、アキからすれば拍子抜けもいいところだったが。


「は、はぁ……? ログ? 鹿島秋良の記録のことか? 向こうの世界の? えぇと……むしろ、ユラは知らなかったのか?」

「あ、当たり前だ! アキは私をそんな女だと思っていたの!? か、勝手に愛しい人の過去を覗き見るなど……卑劣な行為だ……!」


 ここに来て認識の違い。ユラの常識としては、相手の過去ログを許可なく閲覧するというのは許されない行為だ。その行動が全て知られてしまうのだから。


 実のところ、シミュレーション世界においては、プレイヤーと言えども厳しく制限されている行為でもある。もっとも、ゲームとして一般開放されているエリアやその登場人物はその限りではないが……アキはその対象ではなかった。


 ただし、彼は世界を超えてまでの被験体であるため、人物周囲の過去ログの閲覧は一部のプレイヤーには許可されていたのだが、ユラは自制心によって閲覧しなかったということ。出逢った頃はただのマナーとしての自制。そして、愛し合うようになってから……愛しい人の過去を知りたいと願うのは当然の欲求でもあったのだが、実際に見ることが出来るという状況で、彼女は己のプライドに掛けて耐えていたのだ。見たら負けだと。


「お、おう。そう言われるとそうだが……俺はもうとっくに知られていると思っていたから……別にどうということもないぞ? それに……いまはこっちの世界の“アキ”こそが俺だという自覚もある。鹿島秋良の頃については……ドラマや漫画、映画のようなモノだと感じているからな」

「……ゆ、許してくれるの? こんな私を……」

「まぁ……許すも許さないもないんだが……そうまで言うなら、俺はユラの行動を許すよ。気にしなくてもいい」


 二人は語り合う。

 アキが元の世界に戻った後のことなどを。

 残された時間を惜しむように寄り添って過ごす。



 ……

 …………

 ………………



 ベッドの中で微睡まどろむ二人。

 意識は目覚めているが、身体はまだ起きたくないと駄々を捏ねている。ある意味では至福の時間。


 アキの目に映るユラの姿は出逢った頃から変わらない。美しくも麗しい。この世界においては、寿命という概念がないハイエルフという種であり、世界への介入者。プレイヤー。上層世界のアバター。正真正銘チートな存在。


 一方でアキは歳をとった。二十年という年月は長い。この世界においては魔力の助けもあり、元の世界より加齢の影響は緩やかではあるが、その見た目や精神性は確実に老いた。


「老いがあろうが、所詮はデータ……か」

「ん? どうしたの……愛しいアキ?」

「いや……かつてそんな風に想うことがあったな……と、ふと思い出した」


『どうせ自分はNPCノンプレイヤーキャラクターだ』……と、アキは自暴自棄になったこともあった。その上で死ねない。死んでも甦るという常軌を逸した仕様まで与えられていた。無間地獄だ。


「ふふ。“仮初かりそめの苦悩”ね」

「あぁ、確かそんな風に言ってたな」


 仮初の苦悩。

 自身がプログラムによるシミュレーションデータであることを知り、“実体”を持たないことへの拒否感や忌避感を抱く心理状態。


 世界の秘密を知った者が陥る苦悩。

 上層世界の者でもそれは同じく。

 技術の発展が意識のメカニズムと宇宙の法則を解明し、人と宇宙をプログラム上で再現するに至り、人が創生者となったとき。


 人々は疑問を抱く。


『我々の宇宙もプログラム上のものではないのか?』


 疑問と同時に気付くのだ。自分たちこそが起源オリジン文明であると……そう信じるに足る証拠が何もないことに。


「私が生まれたときには、既に宇宙が……自分たちが、更に高次な存在によるプログラム上のものだと認知されていたから。“苦悩”は大規模な社会問題ではなかったかな。ただ、黎明期には宗教の大転換が起き、戦争にまで発展したと学んだ」

「……ユラは“ユラ”であることにも違和感がないんだろ?」

「もちろん。ユラである私も間違いなく私。他にも私は居るけど……アキを愛しく思うのはユラだけのモノ。この気持ちは他の私にだって譲れない」


 ユラはユラであると同時に、本体を含めて他のアバターも持つ。そしてそれらは同時並行で処理され、その人格は個別のモノ。


 アキはどうしても“本体”と“アバター分身”という意識に引っ張られるが、上層宇宙の住民は『複数の自分』を持つのが普通であり、その上で本体とアバターに上下の区別はない。どれもが本物であり別物。


 何なら自分達の宇宙とアキ達が存在する宇宙にすら区別がない。どちらも“現実”であるという認識。


「複数の自分というのは、俺なんかには流石に理解が及ばないな。……ただ、目の前にいるユラと一緒に居たいと願うだけだ。……ずっと一緒に過ごしたかったよ」

「…………私も。許されない、無理だと知りながらも……イロイロと足掻いていた」


 軽く唇が重なる。

 避けられない別離が迫っていることを知っている二人。名残惜しさだけではないナニかを、唇を通じて分け合う。


「愛しいアキ。君は元の世界に戻る。まずはちゃんと離婚しなよ? 寂しくもあるし、嫉妬もしてしまうけど……君が元の世界で誰と結ばれても祝福する。ただ、あの鹿島麻衣だけは駄目だ。……思い出すだけでも腹立たしい……!」


 ユラの昏い怒り。彼女は「鹿島秋良」のログを見て、その半生を知った。幼き日のこと、両親の死去のこと、麻衣とのこと。


「はは……俺としては今さらという感じだ。死と甦りによる影響なのか、不思議と細かい所まで鮮明に覚えているんだが……既に別人の記憶のように感じる」

「何を呑気に構えているんだ! アキはその別人の記憶に対峙しなくちゃならないんだから! 当人として! あの女はアキから“奪う”ヤツだ。愛も想いも労力も金も時間も……あらゆるモノを奪おうとする。それが当然と考えてるヤツ!」


 普段は穏やかなユラの怒りに、アキとしては嬉しさ半分、若干腰が引けてしまう。


「お、おう。と、とりあえず、麻衣とのことには決着をつけるさ。あと、戻ったら管理者マスター……運営側からの説明とかもあるんだろ?」

「……恐らく。流石に放置ということはないと思う。ちょっと昂ってしまったけど……愛しいアキ。鹿島麻衣を許す必要はないけど、決着と言いつつ、いきなり殺したりしないでよ? 運営側もあくまで世界の一部を間借りしているようなものだから……現地の法を逸脱しないようにね?」


 いまのアキは、倫理観や死生観が余りにも「鹿島秋良」とは違う。ユラの心配はそこだ。ただ、アキは何らかの被験体として引き込まれた以上、運営側からのサポートもそれなりにあるはずだと……彼女はそういう期待もしている。


 その上、いまのアキは狡賢ずるがしこく、自身に不利となる状況を作らないように立ち回るくらいはする。一時の感情に流されるほど馬鹿でもない。……と、一抹の不安を抱えながらもユラは自分に言い聞かせている。


「おいおい。俺をなんだと思ってるんだよ? この世界の論理をそのまま実行に移したりしないさ。それに元の世界へ戻ったら、『死んでも甦る』というこの特性は流石に無くなるだろ?」

「当然にそうなると思う。あくまで『この世界の異物』としての限定的な処置のはず。向こうでは普通に死ぬから。ただ、元の世界の概要を見る限り、いまのアキなら個体としてはなかなか死なないとは思うけど……気を付けて」


 個体として中々に死なない……アキとしては引っ掛かる。


「……待ってくれ。ということは、俺は記憶はともかく、今の“能力”を持ったまま元の世界に戻るのか? 元の世界に『魔力マナ』や『魔法』なんていうバカげたモノは無かったはずなんだが……?」

「はは。愛しいアキ。それは認識の違いだよ。確かにこの世界はかなり偏った設定ではあるけど、君の世界にだって同じパラメータはある。偏り具合が違うだけで、宇宙の仕組みは厳密には同じなんだ」

「元の世界にも魔法が実在するのか? い、いや……怪しいオカルトしか思い浮かばないんだが……?」

「ふふ。その辺りは運営側から説明があるはずだよ。それに、この世界での特性……パラメータを持ち帰らせるところまでが実験だと思う。一連の実験や観測はアキにとっては腹立たしいことかも知れないけれど……私としてはどんな理由であれ、君と出逢えたことに感謝している」


 ユラの真っ直ぐな瞳。その瞳に嘘はない……と、“いま”のアキは信じている。いや、もうそんなことは些細な事だと切り捨ててさえいる。彼女がどうであれ、自分の想いとは関係ないのだと。アキはただユラを愛している。


 彼とて当然に考えていた。彼女との関係までもが実験だったのではないかと。この世界の全てが仕組まれているのではないかと。


 そもそもの異世界転移スタートから、アキは良くも悪くも大人だった。世の全てが善意である筈もない。さりとて悪意が全てという訳でもない。酸いも甘いも当然にあるのだと知っていた。信じるばかりでも要られないが、疑えばキリもない。


『優しい嘘でも良い。ユラが自分を騙していても構わない』


 結果として、色々なモノを飲み込み、アキはいつからか素直にそう思えるようになっていた。自分で選んだ。


 かつての世界で、鹿島秋良は確かに麻衣を愛していはいたが、その愛に見返りを求めていた。お互いが想いを返し合う関係。


 この世界において、アキはユラを愛したが、彼女に見返りを求めることはなかった。お互いが自分の好きなように相手を想う関係。


 その違い。

 それは精神的な成長なのか、諦めや妥協の産物なのかはアキ自身にも分からない。二つの関係性に優劣もないし、ユラと麻衣の存在にも序列があるわけでもない。……いや、いまのアキ個人としての物差しでは、比ぶべくもなくユラの圧勝ではあるが。


「愛しいユラ。この世界に来て後悔するコトも多かったが……君に出逢えたことは無上の喜びだ。……おかげで別離わかれが辛いがね」

「ふふ。もう私は辛いとは言わない。この先のアキの幸せを願うよ。……出来るだけ早い内に“ユラ”のアバターを向かわせるから」

「……だが、それは“いまのユラ”とは別人なんだろ?」

「……うん。向かわせるとは言ったけど、“彼女”は厳密にはアバターじゃないんだ。流石に許可が下りなかった。私が操作したり情報を共有したりはできないし、“彼女”がアキとどういう関係を育むかは私には分からない。そもそも出逢わないかも知れないしね。ただ、君のログはもう閲覧できなくなるけど、“彼女”のログの閲覧許可だけは下りたから……まったくもって下劣な行為ではあるけど……“彼女”を通じて、折に触れて君の近況を知ることを……許してくれない?」


 ユラのアバター。彼女の人格をベースに創られるが、当然“いまのユラ”自身では有り得ない。ログの閲覧以外の接続もない。その外見もだが、中身もあくまで別人。似て非なる者。本質は確かに似ているだろうが、性格や考え方という『表層に出てくる部分』はまるで違う可能性もある。


「もちろんそれが可能であるなら構わないさ。俺の向こうでの生活ってのもユラには知ってもらいたいからな。……本当は『何が何でもユラのアバターを見つけ出す!』とでも言えれば良いんだが……探すには探すが約束はできない。それに、俺が愛するユラはここに居る君一人だからな」

「ふふ。愛しいアキ。ありがとう。そうだね。私とアキとの関係はこの世界だけのもの。元の世界に持ち帰らないでここに置いて行って欲しい。そして、元の世界では新たに「鹿島秋良」として生きて。運営側のちょっかいもあるだろうけど、ただただ幸せになって欲しい」


 ユラの願い。アキは疑わない。彼女の想いを受け止める。この先、ユラの側からアキの様子を確認する術はあるが、アキが……鹿島秋良がこの世界のユラの様子を知る術はない。もしかすると運営側、管理者マスターのお目こぼしがあるかも知れないが、その可能性は無いに等しいとユラからも聞いていた。


 別れたとしても、麻衣であれば再び会うことも、知人や祖父母を通じて様子を知ることもできるが、ユラに関しては完全な別離。愛を抱きつつの別れ。


「俺は「鹿島秋良」として幸せに生きる。麻衣と別れて新たな人生を歩むさ」

「うん。私もこの遠い地から君の幸せを祈っているから」



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