ウィンターコスモスからの花束

綾嵩氏

プロローグ 三伏


 ───夏の日差しが産声を上げている。


ぎゃあぎゃあと地球に母を求めるように、せわしなく、だらしなく、ずっと太陽が鳴き続けてる。


けれど、地球には聖なる大地の母はいるものの。

生憎、宇宙の母はいない。


それでは、太陽は産まれたばかりのヒヨコか何かなのか。


もう、何十億年も地球の誕生より前に産まれたはずの太陽。


未だに新生児ぶって、地球を母だと決めつけてハイハイで近づいてくる。


なるほど。


───だから、今年の夏はこんなにも暑いのか。


「おい!大丈夫、か?」


虫のざわめきと太陽の熱しか入ってこない頭に、人の声が乱入してきた。


それは、深海から戻ってきた溺れる寸前で救助されたダイバーの気分だった。


「あっ…大丈夫…」


脳と視界がうまく繋がってない。しっかりと返答できたのかもあやふやだ。


身体が中途半端に動く。


「危なそうなんで、保健室連れて行きます。いいっすか先生?」


「ごめんな、頼んでいい?」


「了解です」


運ばれるらしい。

まず安静にしてからのほうがいいんじゃないかな。


と思いながら、ゆっくりと意識が今度こそ深海に沈んだ。


 目が覚めたときには保健室のベットの上にいた。


首が痛く、いざ上体を起こそうとしたら全身のだるけでまた、ベットにダイブしていた。


おそらく熱中症。

今回は深刻かもしれない。


「…せんせい。今、音したよ」


「えっ嘘!…ごめんなさい。どこで?」


「んっ」


生徒が視線かあるいは指差しをしたのか、ギシッと椅子の音が鳴り。


コトコトと、歩み寄ってくる音がする。


もう一眠りしたかったのだけど、俺の心の声は届かないらしい。


白いカーテンの前まで音はやってくると、サーッとカーテンが開いた。


生憎、首が痛くて先生の方は向けない。


「起きた?体調はどう?」


身体のあちらこちらが鈍痛の嵐だ。

だが、弱音を吐くつもりも元気もなかった。


「いい方です」


「まだ、立ちくらみとか頭が重いとか熱がある。とか、あったら言ってね」


「はい。…首が痛いくらいです」


「首かぁ…冷やしすぎかな?もしものことがあるかもしれないから、もうちょっと安静にしておいたほうがいいね」


「分かりました。授業は出ないほうが…」


「それは、そう。絶対安静、健康が一番大事」


そう言うとカーテンが閉まった。


奧村先生には、伝えておくからゆっくり休んでね。と付け足してコトコトと音が遠ざかる。


もう一度まぶたを閉じる。

ちょうど、授業も出れないんだしゆっくり休もう。


少し、熱中症に感謝しながら眠りについた。


 だるさも身体から離れ、ようやく身体の自由を取り戻したのは6時限が終わる頃だった。


「症状じたいは、軽かったけど君は熱中症だったこと忘れないでね」


「分かってますよ。気を付けます」


「じゃあ、お大事に。明日もとりあえず、ここに来ること」


「はい。ありがとうございました」


お礼を言って、保健室のドアを閉める。


キンーコンーカーンコーン。


授業が終わる合図が閉めたと同時に鳴った。さぁ、とりあえず教室に戻ろう。


首に気を遣いながら、2年B組の教室がある二階に向かう。


足はほんの少し重い。


別に熱中症のせいだからではなく、このまま帰りたいと思ってしまったからだ。


でも、心残りが一つあるから仕方ない。


はぁ、とため息がもれそうなのを堪えて階段に足を運ばせる。


ガヤガヤと階段を登っている最中、止めどなく騒いでる声が聞こえた。


どうせ、うちのクラスだろう。


今度こそ、ため息がでそうなのを無理矢理飲み込む。


そのまま、吐いたら、踵を返して家に豪速球でとんぼ返りする。


2年B組は、厄介ごとが多いから、それに付き合うのは二度とごめんこうむる。


教室の目の前までくると、掃除の準備をしてた女子が


二間ふたま君、帰ってきたよ!」


と大きな声でクラスに言う。そんな、遠征から帰ってきたみたいに声を張り上げなくてもいいのに。


その声に反応して、どどどっと、そんな擬音に近い音をだして駆けてきた奴がきた。


「大事ないか!」


とても、うるさい。何で6時限目までそんなに元気なんだこいつ。


「元気だよ、おまえが無事保健室に運んでくれたから。…その節はありがとう」


「なら、良かった」


まぁ、とにかくお礼が言えてよかった。


ほっとした気持ちもつかの間、つい気が抜けて少しよろめいてしまう。


「本当に大丈夫なのか、昔からこの手のものになると心配になるんだが」


「心配いらない。まぁまぁ元気だよ」


「危なかったら、まずオレに言っていいからな」


「分かった、そうならないように気を付ける」


これ以上心配はかけられない。


心配されるのは、どうもむず痒くて嫌だ。


借りも作りたくないし、一個人に対する借りならもっと自分が辛くなるから嫌だ。


とおる。まじで大丈夫か?」


「うん、本当に大丈夫だよ」


教室に入る。

掃除を手伝おう、リハビリにはもってこいだ。


 掃除も終わり、談笑に時間を奪われる。


そうしている内に外はじっくりと橙色に染まっていった。


学校の窓から見る夕焼けになりそうな空は、乙なものだ。


部活ができないせいかそんな感傷に浸ってしまう。


でも、そんな条件下でなくともきっと思ってしまっただろう。


久しぶりにまじまじと、空を見たんだから仕方ない。


もう少し見ていたいけど、先生に注意されるのもめんどくさいし、外も帰れと言っているし帰ろう。


さぼっている奴らとわかれて階段を降りる。


部活に行く生徒やだらだら会話している生徒と交差して歩いていく。


気がつけば、下駄箱まで来ていた。思ったより、ボーッとしていると我ながら思う。


靴に履き替え、そそくさと生徒用玄関を出る。


いつもより一便早めのバスに乗れるのは、大変よろしい。


うちの学校は、バス通の生徒が多い。

かくいう自分もその一人で、朝と帰りどちらも使う。


朝のほうが少々うるさいが、帰りも例外なく生徒はうるさい。


部活で普通だったらやつれているはずなのに、元気が残ってる。


そんは、さぼっている奴がいるからだと思う。


今日はそんな奴らより早く帰れる。


うるさくないし、お気に入りの座席に座れる。


これ程安心することはない。


そして、近道して座席を押さえとく必要もない。

実に快適かつ、心持ち朗らかに帰還できる。


嬉しい。

心の安寧はとても大切なのだ。


バス停まで特に何事もなく着いた。

後は、バスの待ち時間までスマホでもいじって待機でもしていれば、5分程度でバスは来るだろう。


それまでもうすぐ夕焼けになる空でも見ていよう。


夕焼けに沈む町並み。

眠るように落ちていく夕日。


近づいてきている足音にも気づかずに、俺はいつまでも三伏の始まりである夕日を眺め続ける。


そうして、何事もなく夏の1日が終わった。


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