六、あなたの世界

 『万引きは犯罪です』というポスターが貼ってあった。ふちがめくれ、色はあせていた。

 でも楽しい。レジでピッてしてないのに手の中に品物がある。赤いお花のついた髪留め。かわいい。

 それに、ほんとに盗られたくないなら監視の目をきちんとしてタグでもつけとけ、と思う。ブーブーなるやつを。


 カラスの声を背中に浴びながら、商店街を出てすぐビニールを破いた。よく見ると安っぽい。お花はプラスチック。クリップは薄っぺら。もう興味がなくなったのでかばんに放りこんだ。ほかのごみたちとカチャカチャ仲良くお話をしてればいい。


 北風が強い。耳が痛い。うちに帰って部屋に入るとすぐにファンヒーターのスイッチを入れる。灯油はまだありそうだった。ポットをゆすいで湯を沸かし、インスタントのココアを作った。甘くて熱い。飲んでいるうちに部屋も暖まってきてやっと宿題をやる気になった。

 計算問題は簡単で、途中から作業をしている気になる。国語は古文を読み、線を引かれた言葉を調べる。辞書とネットを頼った。

 カップの底でチョコのかすが固まっている。洗っていると母さんが帰ってきた。ただいま、おかえりのやりとり。買い物袋の仕分け。今夜はお鍋、準備を手伝った。


「飲んでみな」

「お父さん、やめて」本気の口調ではなかったので一口だけ含んでみた。苦い。炭酸はいいがまずい。息を止めてやっとのどを通った。二人は笑っている。

「ひどーい」咳をしながら水を飲んだ。

「まだまだお子様だな」父はそういって一息で空にしたグラスを振る。お代わりを注いだ。


 食後はだらだらとテレビとスマートフォンを交互に見て風呂に入り、おやすみをいった。


 変な夢を見た。歯磨きした後もはっきりと覚えていた。いつものとちがって起きて支度しててもぼやけないのが妙だった。まるで体験したことのように思い出せる。しかし、夢だった。


 きなこのしっぽに赤いお花の髪留めをつけた。にゃーにゃー鳴きながらくるくる回る。母さんが笑いながらそろそろやめてあげなさい、といい、取ってやると気になるのかはさんでいたところをいつまでも舐めていた。お詫びにおやつをあげた。


 でも、きなこは去年死んだ。進学直後だった。制服のひざにのせると毛がついたのを覚えている。悲しかったけど、生まれる前からいた子だから覚悟はできていた。最後に抱くと軽かった。しばらくは障子や室内のドアをきちんと閉めない癖が残った。


「いってきます」頭のなかではまだきなこがくるくるしていた。髪留めの赤があざやかに目に浮かぶ。

 かばんからきのうの髪留めを取りだした。いま手のひらの上にあるのと、夢の赤はおなじ色だった。きなこのしっぽはかぎしっぽだった。


「なにそれ、かわいい」

 一時間目が終わり、教室移動もない。席でぼんやりしていた。気になったのでまた手のひらで髪留めをころがしているとななめうしろから声がした。

「うん、ちょっとね」

「ああ、エモノ」

 わざと変なイントネーションでいう。こいつは知っているし、こちらも知っている。おなじ遊びをする者同士。いつの間にかおたがいを知るようになった。

「どこ?」

 店の名前を教えてやった。「品数多い、目は足りてない、タグもない」情報を付け加える。

「ありがと、試してみる」

「調子乗んなよ」

「わかってるって」

 でも、こいつはわかってない。欲張りさんだ。値打ちものをねらう傾向があるので危なっかしい。前に転売してたのを見つけて注意したことがある。またやったらもう知らない。


 次の時間。当てられたので黒板に数式を書く。宿題きちんとやっておいてよかった。xはかぎしっぽのように曲げて書く。このxは5とマイナス5だ。グラフはy軸で折り曲げるときちんと重なる。ゆがみのない対称形で実につまらない。


 ずっとつまらない気持ちのまま学校を出た。帰り道、騒ぐ小学生を横目に駄菓子屋による。ここも目が足りてない。スーパーやコンビニエンスストアほどしっかりしていないので時々利用する。ガムを買うついでに量り売りの飴を一粒。家に着くまでになめてしまう。甘くて体に悪そうな味がして楽しかった。


 その夜の夢はおばけだった。子供のころ絵本で見たおばけ。寝ないと連れていかれてしまう。でも夜更かししていっしょに飴をなめた。おばけは絵本のままの表情で、ぺちゃぺちゃ音を立ててなめている。起きても消えない夢。でもガムは出てこなかった。


 学校で考えてみた。盗みは楽しくて心に強く残るので夢に出てきたのだろう。髪留めと飴。買ったガムは出てこなかった。なぜだろう。自分なりに悪いと思っているのだろうか。ま、悪いことではあるけど。

 それに、いまさら夢に出るようになったのもわからない。髪留めが最初ってわけじゃないし。つまらないのはずっと前からだし。


「見てー」

 あいつだった。腕時計を見せる。女の子向けアニメのキャラが媚びた笑いを浮かべている。安物のプラスチック製品。子供の小遣いで買えるていどのものだろうが、やりすぎだ。

「そんなの、ばれるぞ」

「だいじょうぶ。怖がりなんだから。おなじことなら高いのねらわなきゃ、タッセイカン、とか、ジュウジツカン、ていうのないじゃない?」また変な発音をした。

「そうやって使える店をなくしていくの、やだな」

 時計なんかなくなってるのすぐにわかる。そうなれば目が増える。またひとつ遊び場が消える。

「だからだいじょうぶだって。あそこばあさんしかいないじゃん。目は足りてないどころかダミーだった。クモの巣かかってたし」

「それでも遊び場減らすようなことすんな。もう教えないぞ」

「ほんっとに心配性なんだから。でもわかった。もうしない」

 笑う。二人で笑う。もうしない、ってなにについてだろう? もう盗らない? いや、目立つものは、という意味だろう。

 でも、あの駄菓子屋を教えるかどうかはしばらく様子を見よう。


 数日後、帰りに覗いてみると、『万引きは犯罪です』ポスターが貼り換えられていた。指さしている芸能人が最近の人になっている。鏡も取り付けられていた。やはりそうだ。店番はばあさんだろうが、安物とはいえ腕時計を持っていかれて気づかないわけがない。

 これで遊び場がひとつ減った。いや、商店街全部が用心するようになる。駄菓子屋だって。つまらない。


 つまらない、の反対に、楽しい、がある。だから駄菓子屋によってみた。こっちはまだ目を増やしていなかった。楽しいことをした。口の中にねっとり残る下品な甘さのグミ。

 小学生たちの話をうんうんと聞いているおばさんはなにが楽しいのだろう。畑ばかりの帰り道、おばさんの笑顔を思いうかべる。自分もあの笑顔ならできる。あれは装甲板の笑いだ。中身を隠し、守るための表情。


 やっぱり夢を見た。グミを放り投げて食べる。あいつもいたが、へたくそで一粒も口に入らない。ぽろぽろこぼしては拾ってまた投げ、こぼす。でもあいつは笑っていた。こっちは投げて食べるのに夢中で無表情だった。


 朝食をとりながら夢を再生する。ぼやけず、はっきりした夢。盗ったものがかならず含まれる。なんだろう。

 牛乳を飲む。トーストにはなにも塗らないか塩で食べる。きょうはなにもなし。この頃は食べたものがそのまま腹回りに行く気がする。もうすこし背のほうに行ってほしい。


 登校中、歩きスマホをする。危なくなんかない。車どころか自転車だって通らない。

 転売サイトを見まわる。あいつはばかだから前に注意した時のアカウントをそのまま使っている。消せといっても聞かない。めんどくさいっていう。


「すぐ取り消せ」

 休み時間、廊下の隅に追い詰めて画面を見せながらいった。あの時計を出品していた。今朝で、まだコメントとかはついていなかった。

「だいじょうぶだって」

「……じゃねえよ」わざと低い声でいう。

「いいじゃん。迷惑かけないから」

「ごちゃごちゃいってないで取り下げろ。アカウントも消せ」

「なんで? なんでそこまで命令されなきゃなんないの?」わずかに抵抗する。けど、本気じゃない。

「命令じゃない。心配してる」

 こっちの顔を見る。うなずいて目の前で出品を取り下げ、アカウントを消した。またこっちを見る。許しを乞う幼児の目。

「じゃ、いいこと教えてあげる」あの駄菓子屋。「おばさんが小学生の相手してる時がねらい目」

「ありがと」

「でも、おなじ商店街だし、いつまで遊べるかわかんないけど」

「そのときはまた遊び場さがすんでしょ?」わかりきったことのようにいう。

「おまえもさがせよ」

「あんたのほうが勘いいもん。こういうの得意じゃん」

「ほめられてもうれしくねえ」

 笑う。ばかだけど、この子の笑顔は本当にかわいい。


 帰りは遠回りした。別の店を探そうと思う。あの商店街では遊びすぎたかもしれない。いろんな店で新しいポスターにぴかぴかの鏡が備えられてきている。

 想像してみる。レジに記録のない品物がなくなっているのに気づいたらどんな気持ちになるだろう。でもぴんとこない。商店街の店を見るかぎり、その気持ちはポスターを貼り換えたり、新しい鏡を置いたりするほどだが、タグや監視カメラを設置するほどではない。その間のどこかなんだろう。


 遊べそうな店はなかなかない。ふらっと出入りできて、適度に混んでて、細かい品物が多く、目が足りてない。雑貨屋とか駄菓子屋がいいのだが、そういうのはもうほとんどコンビニになってしまった。


 しかし、探せばあるものだ。神社の隣で、木の影を借りられるほどすぐそばだった。中から子供の騒がしい声がしていた。そういえば子供のころ買い食いをした覚えがある。ここもまだコンビニになっていなかったのか。

 駄菓子、雑貨、おもちゃがならべてある。原色の駄菓子、アジアのどこかの国で作らせた雑貨、おもちゃは電源をつかわないものばかりだった。ぺらぺらのプラスチックに印刷で色がつけてあるがずれていた。

 あーあと心でため息をつく。ここまでだとかえって警戒する。わざとレトロチックにしているのかもしれない。マニアがくるような店。それなら目はたくさんあるはずだ。ちょっと見まわしただけではわからないが、隠し方がうまいのかもしれない。

 そこで、遊ぶのはちょっと脇に置いといて品物を見て回った。気にいったのがあればちゃんと買ってもいい。子供たちは買った足で隣の神社に行って遊ぶのだろう。


 小さい水鉄砲があった。透明な緑のプラスチック。キーホルダーになっていて手の中におさまるほどだった。ほんのちょっぴりしずくを飛ばせる。いたずらにちょうどいい。値段も手ごろで、これなら子供のお小遣いでも無理なく買える。


 どうしよう。遊ぼうか、それともレジでピッてしてもらおうか。最近つまらなすぎるので遊びたい一方、迷うのならやめておけという用心が頭でぐるぐるしている。


 腕輪が目にとまった。やわらかいプラスチックチューブでできていて、中に液体ときらきらする薄片がいれてある。はめて動かすと揺れて漂う。二個セットでまとめてあった。


 それをレジに持っていく。ピッ。水鉄砲はポケット。


 隣の神社で手水をつめて試射。思ったよりまとまってまっすぐ飛ぶ。三十センチほど先を濡らした。三発撃てた。つまらない気分はどこかへ行っていた。


「冷たっ!」

 翌日、うしろから首筋に撃った。

「なにそれ」手でぬぐいながらこっちの表情を読む。「ああ、エモノかぁ」ちょっと暗い顔になった。「あんた、最近遊ぶペースすごくない?」

「そおかな」

「そうだよ。まえは十日か二十日に一回くらいで、おたがいたまに見せっこするくらいだったよね」

 そういわれると返す言葉がない。

「あたしの転売注意してくれるけど、あんたもそろそろ抑えなきゃ。値打ちがあろうがなかろうがいいことしてるわけじゃないんだし」

「お説教?」

「あたしだって、あんたのこと心配なんだから」

「ふうん。ありがと」


 きょうはまっすぐ帰る。ふと気づいたが水鉄砲の夢を見ていない。なぜかわからないけど。見なくなったのならそれでいい。

 けれど、つまんない気分はどこへも行かない。心にどっかりとあぐらをかいて居座っている。畑を通ったとき、用水路の水を詰めて撃ってみた。でも最初のときほど楽しくない。もうこの行為の効き目も薄れてきたのかな。新しい『つまんない対策』を考えなきゃ。


 三発撃って空にし、しずくを切っていると、小学生くらいの女の子がこっちを向いて立っていた。顔は制帽を深くかぶっていてはっきりしない。スカートだけがそよ風に揺れていた。ひとりで水鉄砲を撃っている変なお姉さん、そう思われているのかな。

 水気が取れたのでポケットに入れ、また歩き出す。


「ピッてしてなくても撃てるんだ」


 すれ違う時、つぶやきが聞こえた。お腹がきゅっとなったがなんとか無視できた。振り返りたいのをがまんする。気のせいかもしれないが、肩甲骨の間に圧力を感じた。視線に押されている。そうとしか思えなかった。でも、曲がり角まで前だけを見て歩けた。

 どうしようか、と一瞬だけ考えけど振り返った。そんなのにきゅっとなったまま角を曲がってしまうのは嫌だったし、くやしくもあった。


 まだこっちを見ている。目深にかぶっていた帽子を上げた。


 そこにいるのは自分。小さい自分だった。


 それでわかった。これ夢なんだ。時々見るとても現実味のあるやつ。しかも自由に動けるんだ。いや、そう思ってるだけ? なんかややこしくなってきた。


 ほほ笑みながらその子の方へ行く。しかし、近づいた分逃げていく。笑った。楽しい。走り出したので水鉄砲を構えて追いかけた。


 商店街の方へ行くようだった。他人はこちらを完全に無視。まるでちゃちなゲームの背景のように突っ立っているだけだった。

 でも、追いつけない。足を緩めると距離は開くのに、速度を上げても縮まらない。常に手の届かない間隔。思い切って一瞬だけ短距離走のように走ってみたが息が切れかけただけだった。


「待って」商店街に入ったとき、声をかけたが無視された。自分だったら、と思いなおしてもう一度口を開く。「お願い、待って」

 止まった。ちょうど髪留めを盗った店の前だった。その子は首を振った。そっちを見ろということか。


 店内は鏡だらけになっていた。それらがおたがいに映しあい、天井、床、壁、商品棚どうしが無限の奥行きをもっていた。それにあらゆるところから目が生えている。作動中のランプが小さく赤く光っていた。さらによく見るとあらゆる商品に白いタグが付いていた。そのせいで陳列がごちゃごちゃしている。どこもかさばっていた。

 その子に続いて店内に入る。自分が無数に増えた。鏡のせいで明るく、影がない。目を細めながらついていく。見た目以上に奥行きがあった。いつのまにか鏡を通り抜けたのだろうか。


 棚にいっぱい赤い髪留めが積んである部屋に着いた。倉庫みたいだった。いかにも夢っぽい。先に入っていたあの子が口を開いた。

「この泥棒」

 にこにこしている。なにか冗談をいおうとして、いっている自分が先に笑ったという印象だった。

「それが?」あえて突き放すように返した。

「悪いことなんだから」

「見つからなきゃ悪じゃない」

 いつも思っていることをいった。善も悪も現れなきゃなんでもない。何にもなり得ない。

「お店の人困ってるよ」まだおかしげだった。

「そう? 大して困ってないんじゃない? こういう商売の人ってちょっとぐらい盗られるのも織り込み済みでしょ?」わざと挑発する。

「馬鹿じゃないの」

 そのいい方がむかついたので蹴っ飛ばした。子供はアニメのように吹っ飛んで棚にぶつかって倒れ、落ちてきた髪留めを浴びた。あ、これは楽しい。こちらを見て笑っている顔をまた蹴る。小さい自分の顔が痛みにゆがむとぞくぞくした。


 それでもまだにこっとしているのでまた蹴ろうと足をあげたとき、ぐらりと姿勢が崩れた。日頃運動をしていないのが夢にまで祟ったのか。肩をうしろに引っ張られたようにこけて尻もちをついた。


「なにぼーっとしてんの。寝てた?」

 昼休みの教室。あいつが肩を揺さぶっていた。

「うん、お腹いっぱいになったらふぅーって落ちた」ポケットに手をやると水鉄砲の感触があった。

「なに? なんかそういう病気?」

「ちげーよ」撃つ。

「冷てっ。しつこいよ。ガキか」笑った。

 手をのばし、その笑顔の頬のしずくをぬぐう。濡れた指をなめるとあいつは一瞬真顔になって微笑んだ。

 もうつまんなくない。楽しい。


 小さな自分を殴る、蹴る。夢なのにその感じが拳やつま先から全身に伝わっていく。解像度は高く、背景の隅々までぼやけたところもない。けれど殴った拳は痛くないし、人々はこちらを無視する。都合よすぎ。

 朝起きると楽しい気分に満ちている。楽しいからなにも盗らない。そんな夢を見るようになり、おとなしくなって一か月にはなる。

 不思議なことに、あいつも盗らなくなっていた。まあ、単に自慢しなくなっただけかもしれないし、見つからないように転売する知恵がついたのかもしれない。そうだったとしても目につかなくなったのだから進歩といえる。


 雲ひとつなくきれいで深い青空の下、のんびりと帰っていた。畑の間をまっすぐ通る細い道にはだれもいない。きょうも楽しいので商店街ではなにもせずただ通り抜けた。鏡や目のようすなど確かめもしなかった。

「ちょっと」

 うしろから声。振り向かなくても分かったが無視する。

「撃つよ」

 振り向くとあの水鉄砲を構えていた。小さい緑。にやにやしながら引き金を引くが届かない。走って近寄ってきたが相手にするつもりなどない。また歩き出した。

「待ってよ」

 大股でずんずん行く。それでも気配で近くに来たな、と思った時だった。首筋にひやりとした感じがした。手をやると濡れていた。かすかに生臭い匂いがする。そこらの用水路の水だ。

 振り向きざまに蹴った。足の裏を使って地面にたたきつける方向に。足から全身に重い衝撃が伝わっていく。

 小さい自分が道に大の字になって転がる。転がった水鉄砲を踏みつぶした。

 地べたから見上げている。笑顔のまま。「友達になろうよ」

「ふざけんな」

「つまんない気分、みーんな消してあげるよ」

「おまえ、なに?」

「夢」

「なら、出るとこまちがえてる。起きてるから」

「知ってる。あんた馬鹿だから違うと思ってるんだ」

 もう一度蹴りを入れようとしたがやめた。「おなじなんだ?」

「そう。寝てるのと起きてるの、夢と現実、大して変わりない」

 緑の水鉄砲を握っていた。破片は破片で散らばっている。「撃つよ」

「盗ったのはひとつだけだぞ」

「もらった」

「誰に?」

「あたしがあげた」あいつが農具を置いておくような物置小屋の陰から出てきた。道にぴょんと跳んで上がったときに立てかけてあった鍬を倒す。「なおしとけよ」そういったが無視してこっちに来た。

 笑っているそいつの顔から目をはずさないまま、小さな自分が握っている水鉄砲を指していった。「その店はまだ教えてないけど」

「あんたの行った場所ならわかるよ。神社のそばだろ」

「三人そろったんだし、遊ぼう」小さな顔が地面から見上げている。

「いつまで寝転がってんだ。起きろよ」あいつがそういって引っぱり起こした。水鉄砲はこっちを狙っている。

「遊ぶって、何して?」二人を順に見る。

 あいつは両の握りこぶしを突き出し親指を立てる。「いっせーの、でもやる?」

 首を振った。やはり馬鹿だ。

「殺し合い!」小さいのがかん高い声で叫ぶ。

「水鉄砲で?」と返すと畑の方に撃った。鈍い発射音がして十メートルほど向こうで小さく土がはじけとんだ。

「すげぇけど、みんなの分がない」

「じゃ、盗りに行こうよ」

「やだよ。めんどい」

「なら、あんたはなにがしたい? いっつもつまんないつまんないっていって、いまも否定ばっかりじゃん」あいつはそういってしゃがんだ。地面にお尻はつけない。

「楽しいことしたい」二人はぽかんとしている。「なにが楽しいのかは分かんないけど」

「じゃ、なにもいってないのとおなじだ」小さいのがいった。あいつはうなずき、続けていう。「あんたはあんたが思ってるほど中身詰まっちゃいない」

 二人をにらむ。でも、はっきり違うといい返せない。

「ここは現実だよな」さっき蹴ったときの衝撃を思い出しながら聞いた。

「いったじゃん。大して変わらないって」水鉄砲をいじっている。

「それ、こっちに撃ってみな」

 小さい自分は狙いをつけようと片目だけつぶろうとするができない。「そのまま撃てよ。狙いつけるほど離れてないだろ」

 さっきとおなじ音がして、お腹を平手でたたかれたような感じがした。「すげえ」とあいつが立ち上がっていった。間をおいて腹と背中が熱くなった。貫いたようだ。鉄の臭いがする。

 次の瞬間、それらすべての感覚は消えた。「ね」と小さい自分がいった。

「あたしも、そうなの?」

 こっちに近づきながら、あいつが答える。

「じゃあ、あんたはずっとかんちがいしてたんだ。自分は起きてる側だって」

「あたしはだれで、ここは、なに?」

「もうわかってるでしょ」また撃った。こんどは水だった。

「じゃあさ、なにをしたところで本当じゃないんだ」

「そうだけど、なんでもできるわけじゃないよ。ていうか、当然だけど、あたしらは自由には動けない」そう説明するあいつの横に小さいのが行き、手をつないだ。

「おまえら、そういうのいつ分かった?」

「いつって、はじめからに決まってる」

「じゃあなんで教えてくれなかった」

「そんな義務はないよ。かんちがいしてる奴はかんちがいさせといたほうがいい。でもあんまり調子に乗ってるみたいだからさ。そろそろ教えといてやろうかなって」あいつは横の小さいのと目を合わせて笑った。

「あたしを夢見てるのがどっかにいるってか」

「いるんだろうね。どんな奴かは知りようがないけど」

 頭がこんがらがってきた。いつの間にか、道が地平線まで続くようになっていた。少しずつ絵が変わっていく動画みたいだった。

「じゃあ、いまのこれはなに? この会話も誰かの夢?」

「それはそれ。さっきいったろ。たいして違わないって」小さい自分が割りこんできて答えた。

「わたしたちに自由はないのに、自由に話したり行動したりできるってこと?」

「おまえ聞いてばっかりだな。ガキじゃあるまいし。なんで、なんでって繰り返すばかり。聞いてどうすんの」

「だってさ、夢と現実がたいして変わんないなら、そっちでも遊びたいじゃん。なんとか現実の方に行ける手はないかなって」

 歩き出す。道は元に戻っていた。二人もついてくる。畑を抜けた。もうすぐ自分の家だ。


 様子が違う。すれ違う人々、周囲の人々すべてがこっちを見ている。その場から動かないけど、じっと見ている。


「あんた、見られてるよ」あいつがうしろからいった。「見られてるね」小さい自分もいった。

「撃ち殺せ」振り返らずに返事した。

「撃てるけど、殺せないよ」発砲音がして、血が飛び散ったがすぐ復旧した。さっきみたいに。


 家に着いた。二人は手を振って去って行った。「ばいばい。また明日」

 角を曲がるまで見送った。そのあとは知らない。見えなくなったら消えたもおなじだ。あいつらからしたらこっちがそうなのだろう。存在してるってそのていどでしかないのだろうか。


 目が覚めた。カーテンが朝日で光っている。引くと一瞬で頬が暖まるくらいの朝日が飛びこんできた。さあ、これは現実か夢か。目覚めたのか別の夢が始まったのか。それともそんな区別はつけなくていいのか。

 机の上にペンが転がっている。あれでこの手を突いたらどうだろう。

 どうだろう、って……。やってどんな結果が出たところでなんの証明にもならない。夢か現実か、夢だっととしてこの手はだれのものか。どこかで寝てるのは自分なのかまったくの別人なのか。そもそも自分を定義できない以上どうしようもない。きのうまでは夢と現実は別で区別できると思っていたから、なんとなく自分は自分だと考えてた。でも小さな自分とあいつが区別できないしする必要もないと感づかせてくれた。

 仮にどこかに夢見てる存在がいて、自分はその夢の中で活動しているのだからなんの意思もないのだとしても、その証明は不可能だ。考えているのか、そのつもり、なのか。

 考えていると時間がどんどん経っていく。日が高くなり、窓枠の範囲を超えた。でもだれの声もしないし、呼びにも来ない。もう遅刻だ。

 お腹はすかない。いつの間にか制服になっていた。かばんを持って。


 畑の真ん中のまっすぐな道を歩いている。だれもいない。日は高い。寒いのでポケットに手を入れると水鉄砲があった。緑で小さい。用水路の水を詰めた。

 商店街の時計は七時四十五分だった。遅刻はしなくて済みそうだ。

「おはよ」あいつが眠そうにいう。「おはよ」と返した。授業が始まった。窓の外では日が空に貼りついていた。まったく位置が変わらない。


 関数がどうのこうの。つまらないので撃った。対称のグラフが先生で真っ赤になった。悲鳴が上がる。一番うるさいところにもう一発。泣き声がした。

 教室はすぐ空っぽになったが、あいつと小さな自分が残っていた。笑っている。

 窓の外から声がする。銃を捨てなさい、ゆっくり出てきなさい。もう一発外に撃った。弾切れ。水筒の茶を詰める。水鉄砲だけど、いいよね。


 警官が扉の外にまで来た。なにかいってるけど分からない。茶を詰めた水鉄砲をくわえた。最初に用水路の水を詰めたから汚いかなと思ったけど、思い切って引き金を引いた。


 商店街に立っている。店には『万引きは犯罪です』というポスターが貼ってあった。ふちがめくれ、色はあせていた。まわりの建物はすべてなにかを売っている。モノかサービスを、お金と引き換えに。

 考えてみると万引きもつまらない。モノしか盗れない。手に取れないサービスを黙って持っていけはしない。例えばあそこの手もみマッサージは万引きできない。こっちの髪留めはできるのに。

 つまらなくないことってなんだろう。ずっとずっと面白いこと。撃つのだってつまらなくなった。他人だろうが自分だろうがもう刺激はない。引き金を引く作業にすぎない。轟音がしてちょっと痛いだけ。


 ここが夢だか現実だか知らないが、いまいるところ以外に行く手はないだろうか。そっちはこんなつまらない世界じゃなく、ずっと面白いはずだ。

 そう思ったからこれを書いた。


 これを読んだ人、どうだろう。そっちへ行ってもいいだろうか。読めるくらい賢いなら想像したり夢見たりできると思う。だから、どうかずっとこのことを考え、夢見てほしい。そうしてくれたらこっちからその夢を探して、見つけたらたどって、あなたの世界に行く。


 とっても面白いんでしょう? あなたの世界は。


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