第19話 左手で指切り

 ロルナの港からシデンの王都へ行くまでの間に経由した街、シルベリアの街の宿でレイトは考え込んでいた。


 我らに突撃を命じるなら、赤い花火を二度上げよ。ノルスウェートの国王が寄越した返事だ。単純に考えるなら、炎の魔法を上空で爆発させれば良い。だが、現時点で炎の魔法を使える者がいない。クレアが得意とするのは風属性の魔法だ。フェリオから作られた擬似人格であるルリは水属性や、そこから派生する氷属性の魔法を得意とする。ヒスイも魔法を使うことはできるが、治癒系や補助系の魔法しか使えない。ちなみに自分も含め、マリーやエリン、ハウエル、フェリオの五人は魔法は一切使えない。これでどうやって赤い花火を上げろ、というのか。


 方法がないわけではない。魔物を一匹、上空で血祭りに上げれば良い。だがそれを実行するにはかなりの危険が伴うし、一匹だけでは隠れて待機しているであろうノルスウェートの国王が確認できないかもしれない。だからといって血祭りに上げる魔物を増やすのも危険だし、失敗する確率のほうが高いだろう。


 魔物達が言っていたらしい「厄介な女魔法使い」に賭ける、という方法もあるが、その女魔法使いが炎の魔法を使える保証はない。それに会えるかどうかわからない相手に頼るというのは無謀のような気がする。


 クレアやヒスイ、ルリに炎の魔法を覚えてもらう、ということも考えたが、現実的ではない。現段階では魔物を血祭りに上げる、というのが妥当だろうか。


「……レイト?」


 不意に名を呼ばれ、声のしたほうに顔を向けると、マリーが不安げな面持ちでこちらを見つめていた。


「マリー、どうしたんだ? てっきりもう寝たと思っていたぞ」


 レイトはロビーの隅に設えられている椅子に座ったままマリーを見上げた。先程まで眺めていた外はすっかり暗くなっている。


 マリーはレイトの問いかけに答えず、無言でテーブルを挟んだ向かい側の椅子に腰かけた。その間も不安げな表情のままだ。


「……何かあったのか?」


 レイトは優しい口調で再度問いかけた。


「……レイトはネスヴェルディズナの王都を取り戻した後は……どうするんだ?」


 マリーは普段より低い声で聞いてきた。

 また随分先の話だな。レイトは思ったが、口にはしなかった。そんなことが言える雰囲気ではない。彼女にとってはとても大切なことなのだ。

 マリーは俯いてレイトの返事を待っている。答えを聞くのを怖がっているようにも見えた。


「……オレと一緒に旅するんだろう?」

「……!」


 マリーは弾かれたように顔を上げた。レイトは笑みを浮かべたまま続けた。


「最初に言っただろ? オレは気ままな一人旅だから、お前さえ良ければオレに断る理由はないって……」


 彼女をネーリスの村の領主から助けた時に言った言葉だ。今もその言葉に嘘はない。というよりも、以前より共に旅をしたいという思いは強くなっている。


「……うん! 私、もっとレイトと旅したい!」


 マリーは目を輝かせた。


「どこに行きたいんだ?」

「えっ……?」


  問いかけると、マリーは意表をつかれた顔をして考え込んでしまった。具体的に決まっていたわけではなかったのだろう。


「そんな深く考えるなよ。王都を取り戻したら何がしたいんだ?」


 質問を変えると、マリーは首を傾げながらポツリと呟いた。


「……グリノスの丸かじり?」

「は……?」


 ネスヴェルディズナの王都で、ドルアドがドライフルーツとして売っていた果物だ。だがあれは人の頭ほどもある大きな果物だ。皮もそれなりに厚いし、丸かじりは難しいと思うのだが。


「グリノスは大きいんだろう? 一度かぶりついてみたい」

「た、確かに大きいけど、皮は結構厚い。丸かじりは難しいと思うぞ……?」


 昔自分も一度試したことがあるのだが、危うく歯を折りかけた。


「でも、やってみたい」

「……まあ、やりたいならオレは別に構わないけど……。なら行くか? 生のグリノスが食べられるインズバーグ帝国に」


 レイトは内心溜め息をついた。それは諦めに似た感情だった。何となくマリーはこれぐらいでは諦めないだろう、と思っていたのだ。


「うん、行く!」

「……!」


 マリーは目を閉じて笑った。前に僅かな笑顔を見たことがあるが、その時よりも今の笑顔のほうがずっと魅力的だった。


「レイト、約束! 忘れちゃダメだからな!」


 マリーは左手の小指を立てて差し出してきた。


「ん? 何で左手なんだ? お前右利きだろ?」

「だって、レイトは左利きじゃないか。なら私も左手で指切りする」


 マリーの言葉にレイトは例えようのない感情を覚えた。これが一体何なのか、レイトにはまだわからなかった。だが、悪いものではない気がした。

 レイトは僅かに頬を紅く染め、指切りをした。


     ★  ★  ★


 ロルナの港から船に乗り、再びシャロンナイトの港町に戻ってきた。初めてここに来てからまだ半月ほどしか経っていないのに、すごく久しぶりのような気がする。


 ロルナの港でも、ここシャロンナイトの港町でも、ネスヴェルディズナの王都が魔物に乗っ取られたことは既に知れ渡っていた。特にシャロンナイトでは、魔物がここにもやってくるのではないかと気が気でないようで、住民達はピリピリしている。常駐している兵士達の詰め所では寝ずの番をしろ、などと無茶苦茶な要求をしている者もいた。


 レイト達は旅の支度を手早く済ませると、急ぎ足で港町を後にした。


「……この辺ならいいだろう」


 町からある程度離れると、レイトは背後を振り返って呟いた。


「それでレイト殿、どうやって王都を奪還するつもりなのじゃ?」


 ハウエルはレイトを信頼しているが、さすがに心配なのだろう。表情には不安が見え隠れしている。レイトは彼のそんな感情に気づかないフリをして答えた。


「ネスヴェルディズナの王都には、正面の入り口である東門と北門、南門の三つ入り口があります。東門のほうはノルスウェートの兵達に任せます。オレ達はパーティーを二つに分け、北と南から侵入します」

「戦力を分散させて大丈夫なのか?」


 マリーが首を傾げた。


「逆に一塊りになって侵入するほうが危険だよ。大所帯だと目立って戦闘になりやすい。少人数のほうが戦闘を避けて進むことができるんだよ」


 レイトが答えてあげると、マリーは「なるほど」と頷いている。


「ではどうやって分けるのですか?」

「……クレア、お前ならどうやって分ける?」

「えっ……?」


 話を振られるとは思っていなかったのか、クレアは僅かに動揺した。だがそれも一瞬で、すぐに俯いて考え始めた。


 初めて出会った時から思っていたが、やはりクレアは冷静な性格だ。焦って動揺しても、すぐに冷静さを取り戻すことができる。まあ、フェリオが踊り子だと知った時はキャラが崩壊するほど驚いていたのだが。


「……そうですね。一つはレイトさん、ヒスイさん、ハウエル様と私。もう一つはフェリオさん、ルリさん、マリーさんとエリン。こんな感じでしょうか?」

「ああ、オレが考えていたのもそんな感じだ」


 リーダーとなって皆を率いていくタイプではなく、側に控える副官タイプだ。レイトはクレアに返事を返しながら思った。


「レイトお兄ちゃんやおじちゃんとも一緒に行けないの……?」


 話を聞いていたエリンが悲しそうな顔をした。レイトはエリンの頭を撫でた。


「王都を取り戻すまでの辛抱だ。みんなの言うことちゃんと聞けるよな?」


 優しく問いかけると、エリンは悲しさを堪えるように口を真一文字に結んで頷いた。


「……うん……」

「いい子だな。終わったらご褒美あげるからな」

「……ホント?」

「ああ。何がいいか、考えておけよ」

「うん!」


 エリンはようやく笑顔になって頷いた。


「レイト殿、本当にこの分け方で良いのか……?」


 ハウエルの表情は未だ晴れない。不安もあるだろうが、緊張もあるのかもしれないとレイトは思った。


「大丈夫です。フェリオのほうに戦力が集中しているのは、彼らにはノルスウェートの兵達と同様、魔物を引きつけてもらうからです。オレ達はその間に脱出に使った通路を使い、城に侵入します」

「城に……?」

「はい。レオナルドの性格を考えると、城内の謁見の間にいる可能性が高いです」


 魔物を率いる王様気分。そんな子供じみた考えは持っていないだろうが、彼の本当の目的のためにそこで待っている可能性が高い。


「…………」


 ハウエルは王都の方角へ顔を向けた。

 レイトは空を仰いだ後、ハウエルと同じように王都のほうを見つめた。

「……行くぞ。ここが正念場だ」

 低めの声で皆に告げる。

 一抹の不安は赤い花火だ。それさえ上げることができれば、勝機はあるのだ。

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