第19話 あけび姫

 秋久は雪平と別れた後、大内裏の近くに屋敷に住まう妻の元を訪れていた。


 帝が退位したらすぐに、妻を後宮に入れる予定だが、それはもう少し先になるだろう。


 それまでは秋久が妻の元に通うしかない。


「何か良いことがありましたか?」


 妻、あけび姫は右大臣の親戚で六つ年下の秋久の幼馴染だ。


 まだ十四歳の少女と言っていい年齢である。


 黒く艶やかなな髪、小さな顔、可憐な容姿に似合わず、実はかなり気が強い。


 おかげで、他の姫に手を出すこともできない。

 そんなことをしようものなら、この苛烈な姫は何をするか分からない。


 今の問い掛けも『どこかで女に手を出して来たのか?』という意味が含まれている。


「あぁ」


 肯定すると幼い妻の瞳が不安そうに揺れるのが見て取れる。

 秋久はその様子がとても好きなのだ。


「久しぶりに兄に会ったのだ。元気そうで何よりだ」


 そう言えば分かりやすく胸を撫でおろす妻に秋久は苦笑する。


「そんなに不安かい? 私が余所の女の元へ行くかもしれないと?」


 秋久は少女を抱き寄せて黒い髪を撫でる。


「…………貴方は私と契りを交わして下さらないではありませんか」


 恨めしそうに言うあけび姫は眉根を寄せて俯いてしまう。

 そんな妻を見て秋久は苦笑する。


「そなたは裳着を済ませたと言ってもまだ十四。焦ることはないよ」


 会うたびに大人びていく彼女はまだ成長の途中だ。


 月のものがあっても、成長している間は身体は成熟していない。

 昔から身体の弱かった彼女は成長途中の未熟な身体では妊娠出産に耐えられないかもしれない。


 早過ぎる妊娠と出産で命を落とす女性は多いと聞く。


 命がけの出産とはよく言うが、彼女にはまだ早い。

 子供と引き換えに彼女を失うかもしれないのだ。


 本当であれば、裳着を済ませるのももっと遅くていい。しかし、せっかちな彼女の親は初潮を迎えてほどなく裳着を行ったため、秋久は焦った。


 可憐で見目の良いあけび姫は都でも噂になっていて、裳着を済ませた途端にあちこちから大量の恋文が送られてくるようになった。


 手の早い公達に取られては堪らないので、秋久はすぐに動いた。


 文のやり取りをして、三日間毎夜、屋敷に通い、所顕の儀を終えて正式な夫婦となった。


 しかし、身体の成長を考えると本当に契るのはもう少ししてからの方がいいに決まっている。


「……ですが、私は貴方の妻ですのに」


 そう言ってあけび姫は秋久胸に額を寄せて呟いた。


 秋久の苦悩など露知らず、屋敷を訪れる度に秋久の理性を切り崩しにくるものだから困っている。


「心配しなくても大丈夫だ。私は他の誰の元へも行かないよ」


 秋久は幼い妻を宥めるように額に口付け、小さな頭を撫でる。

 不満そうな表情を見せるが、それ以降はその話に触れることはなかった。


「兵部卿の宮様にお会いなさったと仰いましたね」

「あぁ。噂の雅近殿の子、千歳と一緒だったよ」

「兵部卿の宮の魔を退けたという、お方ですか?」


 既に噂はここまで届いているらしい。


「彼が兄の警護に当たっているようだ」


 兄が快癒してくれれば、東宮などという重い役職から退けるのに、と秋久は考えている。


 しかし、あけび姫の前ではそれを言うのは躊躇われた。


「お元気……だったのですね」

「あぁ。嬉しいことだよ」

「そうですわね……」


 心底嬉しいと思う秋久に対してあけび姫の表情は暗かった。

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