X-DAY

永原伊吹(八咫鴉)

第1話 2066年12月17日 23:22

 郊外にある小高い丘の上に佇む、随分昔に廃棄された製造工場。

 趣のある立派な煉瓦れんが造りの壁につた蔓延はびこり、処々ところどころに走るひび割れは得も言われぬ哀愁を漂わせている。

 社名を掲げる看板にはNSHの3文が錆びて朽ち果てる寸前で、冬の凍てついた風にさらされながら、振り落とされぬ様に必死にしがみついていた。

 大小三棟からなるこの廃工場も、全盛期には何百人かの従業員によって活気に溢れ、日々様々な物が製造されていたのだろうが、今では数ある工作機械達も長年放置されたまま埃を被り、二度と来る事のない再起の時を待ち続け永い眠りについていた。

 麓の繁華街では、街路樹のイルミネーションに定番のクリスマスソングが流れ、コンビニやショッピングモールではクリスマスケーキの予約の呼び込みや特売セールなど、クリスマス直前の喧騒に包まれていたが、廃工場の周囲を囲む鬱蒼うっそうとした木々がそれらを阻み、この場所だけが世間から隔絶されているかの様だった。

 そんな場所の、さらに日付も変わろうかという時刻、月明かりの無い澄んだ星空の下に、うっすらと人型の輪郭が浮かび上がる。

 その容姿を一言で言い表すならば、まるで影そのものだった。

 至る所に様々な装備品を付属させた漆黒のタクティカルスーツで全身を覆い、右手に携えられたPDWを含めそのデザインは既存のものより先鋭的でスマートな印象を与える。

 装備一式でかなりの重量になるはずだが、立ち居振舞い、一挙手一投足に至るまでそれを感じさせることは無く、一切無駄の無い所作は優雅でさえあった。

 周囲を警戒しつつ廃工場で一番大きな棟の傍らまで近づき、屋根を見上げその先端に視線を固定する。

 フェイスガードで覆われた顔から表情全体を読み取ることは出来ないが、隙間からのぞく目元は長い睫毛と切れ長の目、凛々しい眉が特徴的だった。

 視線の先に左腕を向けると、タクティカルスーツの手首辺りに内蔵されたアンカーワイヤーが圧縮空気によって射出され、まるでロックオンしたミサイルのように寸分違わぬ位置にアンカーが打ち込まれる。

 ワイヤーを軽く引き、しっかりと固定されたことを確認すると、小さく甲高いモーターの動作音と共にワイヤーが巻き取り、それと同時に思いのほか小柄な体が勢いよく宙に舞う。

 最高到達点に達した後、ワイヤー先端のアンカーが外れ、少しの慣性を残した体は、ほとんど音を立てること無く工場の屋根にとんっ、と降り立つ。

 毛先に少しクセのあるポニーテールがふわりと揺れ、つやのある濡羽色ぬればいろの髪が星々の光を受けてかすかにきらめく。

 工場内部への明り取り用に設置された天窓の側まで足音もなく素早く移動し身を潜め、続いてタクティカルスーツに内蔵されたコーナーカメラを展開する。

 ガラスは既に風化によって割れ落ちてしまっている為、コーナーカメラの先端を窓枠から少し覗かせるだけで中の様子を確認することが出来た。

 カメラからの映像は、タクティカルスーツと生体を接続している腰元の接続端子を経由し、体内に注入されたナノマシンによって処理され、様々な情報と共に直接、視神経へと映し出されていた。

 暗視やサーマル等のモードを切り替えながら工場内を見渡すと、一台の工作機械の側で二人の男性が向かい合って何やら話し合っているのが確認できた。

 カメラをズームし、男達の顔付近を拡大してデータベースに照合すると、程なくして結果が返ってくる。

 ブランド物のロングコートとスーツに身を包み、眼鏡を掛けて神経質そうな表情を浮かべた中年の男は日本政府の高官、それより少し若く、スキンヘッドが特徴的な男はバイオサイエンス関連の研究者というものだった。

 ここからでは距離が離れている為、専用の収音機の無い現装備では直接会話内容を聞き取ることは出来なかった。

 視神経に映し出されたコンソールを視線で操作し、いくつかのコマンドを選択していくと、男達の口元の動きをナノマシンが読唇術どくしんじゅつの要領で解析し、会話内容が視神経に文字情報として表示されていく。


《対象A:本当にこんな研究が行われていたのか?》


 奥に立っている男が、携帯端末に映し出された資料に少し目を通した後、手前に立っている男に向かって質問した。

 手前の男はこちらに対して若干背を向けている位置ではあったが、口元は辛うじてカメラに映っていた為、解析は問題なく行われた。


《対象B:勿論ですとも。予算はまさに青天井。本来なら非人道的と謗られて後ろ指を刺される様な研究を行う我々にとっては、自衛軍様様でしたよ。初期段階こそ大量の失敗作を生み出しはしましたが、一人の天才がチームに加わってからはトントン拍子にステップアップしましてね、そのお陰で最高傑作と呼べる個体を完成させる事が出来ましたよ》


《対象A:その最高傑作とやらの現物はあるのか?》


手前の男がやや興奮気味に、大袈裟な身振り手振りを加えながら長々しく話をした後、奥の男は手短に必要な質問のみを返す。


《対象B:残念ながら行方不明ですね。あと少しでロールアウトという所で、軍の連中がやってきて根こそぎ奪っていったんですよ。あの芸術品とも言える我々の最高傑作を、無粋な軍人が使いこなせるとは到底思えないですが、それでも現行の兵器等より遥かに有用であることは確かです。手荒な扱いをして使い潰すような事だけはしてほしくないですがね》


手前の男は、またしても長々と話をした後、肩を竦めてやれやれといったような仕草で首を左右に振る。


《対象A:まあいい、足取りに関してはこちらで引き続き調査する》


《対象B:最初から完成品を奪うつもりで我々に研究させていたかと思うと業腹ですが、研究自体は潤沢な予算でやりたい放題やってたわけですから、公にされると困るのはお互い様だと思いますがね。そうそう、くれぐれも我々は軍から命令されて嫌々研究していた事にしておいて下さいよ。あんな研究を嬉々として行っていたなんて知られたら、今後私を雇ってくれる所がなくなってしまいますから。》


 どうやら手前の男は話が長くなる癖があるらしく、奥の男の表情が少し苛立っている様に感じられた。


《対象A:わかっている。報酬だ、受け取れ》

  

 そう言うと、奥の男は携帯端末をコートのポケットに入れ、流れるような動作で懐からを抜き、手前の男の額に銃口を突き付け引き金を引くと、パシュっという少し気の抜けた音を上げて、銃弾が手前の男の頭を撃ち抜く。


「うわ…マジですか」


 その様子を屋根からカメラ越しに観察していた声の持ち主は、思わず眉をひそめる。

 今から起きるであろう厄介事に辟易へきえきしたような口調とは裏腹に、その声は澄んだ鈴の音の様なソプラノボイスで、まだ少し幼さを感じさせる少女のものだった。


 大金を手に入れられると思っていた手前の男も、咄嗟の事で何が起こったのかを理解する間もなく、後頭部から血飛沫を撒き散らしながら後ろに少し仰け反った後、力無く膝から崩れ落ちる。

 奥の男はさらに、倒れた男の心臓付近に続けて三発、銃弾を撃ち込む。

 それを見た少女は心底面倒そうに、フェイスガードの下で形の良い唇を少し歪め、軽く舌打ちをする。


 PDWを背中のハードポイントに固定すると、ガラスの無い天窓に頭から体を滑り込ませ、空中で体を反転させる。

 10m程の高さから落下したとは思えないほど軽く着地すると、男に向かって跳躍するように距離を詰める。

 男は急に現れた人影に驚愕しながらも、なんとか銃を構え立て続けに二発撃つが、素早い動きで回避する少女には当たらない。

 男の抵抗も虚しく、ダブルアクション特有の重いトリガープルではここまでが限界だった。

 二人の距離は15mはあったはずだが、少女はたった三歩で男に迫り、驚異的な脚力から放たれる強烈な飛び蹴りを見舞う。

 男は腕をクロスさせてガードするも、直接蹴りを受けた左腕がゴキッと鈍い音を立てて折れ、耐え切れず吹き飛ばされた男は、工作機械に背中から打ち付けられてたまらず呻き声をあげる。

 男は痛みに顔を歪め、こらえながらも何とか立ち上がろうとするが、少女の追撃がそれを許さない。

 体勢を整える暇もなく側頭部に回し蹴りを食らった男は、土の混ざった埃の積もる床にうつ伏せに倒れる。

 男は右腕を背中に回された状態で少女に組み伏せられ、気付けば首元にはナイフが押し当てられていた。


「動けばそのまま首を落とします」


 右手に構えられたナイフの刃先が、軽く首筋に触れただけで皮膚が裂け、じわりと赤い血が滲み出る。


「女だと……!?それよりも、貴様……どこの組織の者だ!?私は政府の人間だぞ!こんなことをしてただで済むと思っているのか!?」


 自分を吹き飛ばす程の力を持つ相手が年端も行かぬ少女であったことに驚愕するも、直ぐに保身の為に虚勢を張る。


「私が何者かは関係ありません。貴方が旧連邦の息が掛かった諜報員である事はもう調べが付いています。全く、連邦が崩壊して民主制に移行してから20年以上経つというのに、まるでゴキブリの様にしつこい人達ですね」


 少女の言葉遣い自体は丁寧だが、男に対して心底侮蔑した様な慇懃無礼な態度が滲み出ている。


「くそっ……私は何も喋らんぞ!」

「別に構いませんよ。それは私の仕事ではないので。精々頑張って耐えてみればいいんじゃないですか?」

「まさか国家安全保障局の……!」

「厳密には違いますが……まぁ、似たようなものです。もっとも、あそこの人達は私ほど優しくは無いですが」


 少女がこの後、男に拷問が待ち受けている事を示唆するような言葉を発すると、男は観念したのかそれとも絶望したのか、顔を伏せて脱力する。


「手に入れた情報はこの端末だけですか?まだあるなら今の内に素直に出しておいた方が、後々苦しい思いをしなくて済みますよ」


 男のコートのポケットから携帯端末を抜き取り、詰問する少女。


「ふん……」

「黙秘ですか。とりあえず、貴方がこしらえた死体のせいで余計な手間を増やされてとても迷惑しています。さっさと連行させていただきますね」


 少しの怒気をはらみながら淡々と言うと、少女は自分の首元に装着されたスロートマイクに左手を添えて無線通話を始める。


「ロザリオからコントロール、対象Aを確保。対象Bは既に殺害された後でした。……いやいや、私のせいじゃないですってば、不可抗力ですよ。……は?正気ですか?別に私は構いませんが、事後処理はそっちでやって下さいよ。……はぁ、了解。解放後に帰投します」


 少女が少し不貞腐れた様にため息をつきながら男の拘束を解き、三歩ほど後ろに下がる。


「貴方は解放されるそうです、良かったですね」


 少女は全くもって良く無さそうな態度でナイフを鞘に納め、左手を腰に当て右手はしっしっと追い払うような仕草をする。


「どういうつもりだ……私を泳がそうというのか?」

「さぁ?私の判断では無いので何とも」

「ちっ……」


 フェイスガードに隠され表情が読めない少女を警戒しつつ、男は吹き飛ばされてひびが入った眼鏡を拾い掛け直すと、酷く痛む体を引き摺る様に立ち上がる。


「忘れ物ですよ。」


 思いがけず少女から声を掛けられたことに男がいぶかしんでいると、少女が男に向かって何かを放り投げる。

 取り落としそうになりながらも、折れていない右手だけで何とか受け取ると、それは男が所持していたリボルバーだった。

 男が手元のリボルバーから少女に向き直すと、既に死体の前にしゃがんで何やらぶつくさ呟いていたが、男に背を向け完全に無防備な状態だった。

 男は一瞬戸惑ったが、すぐさま右手で銃を構え、シリンダーに残った最後の一発を少女に向けて発射する。

 放たれた銃弾は吸い込まれる様に少女の無防備な後頭部へと向かい、まさに直撃する寸前、少女は振り向きもせずてのひらでそれを阻止する。

 銃弾は衝撃による変形を起こさず、掌の中でまるで見えない力場にさえぎられるように空中で静止し、次第に運動エネルギーを失いその場にポトリと落下する。


「何っ!?」

「あー、やっぱり撃っちゃいましたか。そんな骨董品みたいな銃を後生大事に使うくらいなら、自分の命をもう少し大事にした方がいいですよ」

「化け物め……」


 化け物、と言う男の一言にピクリと反応した少女はPDWをハードポイントから素早く取り外し、腰溜めに構えながら立ち上がって男に対峙すると、セーフティを解除しセレクターレバーを2点バーストに切り替えると同時に、男に向かって威嚇射撃を行う。

 タタン、と非常に高い発射サイクルの小口径ライフル弾が2発、男の足元で砂埃を立ち上げる。


「貴方を解放しろとの命令は受けましたが、これ以上抵抗するならその限りではありません。このまま大人しく引き下がっていただけるなら、私としても有り難いんですが」

「……このまま戻ったところで、どうせ私は消される。一思いに殺せ」

「流石に無抵抗な人間を撃つ訳にもいきませんので、どうしても死にたいのでしたら死ぬ気で抵抗してもらえますか?」

「はっ……馬鹿馬鹿しい。銃弾も効かん相手に、満身創痍の状態ではどうすることもできんよ。尤も、五体満足でも結果は変わらんだろうがな」


 少女はあくまで殺すつもりは無いらしく、男は数秒逡巡するが最終的には何かを諦めたように深い溜息をつく。


「私も焼きが回ったものだ。こんな小娘相手に命乞いをする羽目になるとはな」

「あら、引いてくれる気になったんですか?」

「ああ、貴様の気が変わらん内に退散させていただくことにするよ」


 男はリボルバーを懐に仕舞うと、少女の脇を通り抜けて出口へと向かおうとすると、すれ違いざまにまたしても少女から声を掛けられる。


「ところで、私がこんな事を聞くのもおかしな話だと思いますが、今後どうするおつもりですか?」


 まだ何かあるのかと言わんばかりに、男が辟易した顔で少女を睨みつけて答える。


「敵に情けを掛けるのも大概にしておけ。それにり様はいくらでもある。貴様に心配される筋合いはない」

「それはそうですが、このまま死なれても夢見が悪いもので」

「ここまでしておいてよく言う。もう貴様とは会うこともないだろうが、その甘さがいつか貴様自信を殺すことになるぞ」

「ご忠告どうも。それではごきげんよう」


 少女はPDWを再度背中のハードポイントに固定すると、男に向かってひらひらと手を振り見送る。それに対し、男は振り返ることもなく工場を後にする。


 男が運転する、ここに来る際に乗ってきたであろう車が去ったのを見届けると、少女は一つ溜息を付く。


「さて、さっさと後片付けして帰りましょうか」


 タクティカルスーツに付属したポーチの中から多目的シートを取り出す。かなりコンパクトに収納されていたそれは、とても薄手で展開すると3m四方程に広がった。

 見た目に反して非常に丈夫なそのシートに、頭を撃ち抜かれた男の死体を素早く包み込むと、軽々しく肩に担ぎ上げて、アンカーワイヤーを使い天窓から再度屋根に上る。


「ロザリオからコントロール、死体回収にドローンを回して下さい」


 死体を担いだまま再度無線連絡すると、程なくして大型のマルチコプタータイプのドローンが到着し、少女の前でホバリングしながら待機する。


 ドローン下部に備え付けられたカーゴバスケットに男の死体を放り込むと、ドローンは少しバランスを崩しつつもすぐに立て直して、小型アームを少女に向けて伸ばす。

 少女が男から回収した携帯端末をドローンのアームに握らせると、ドローンはアームを器用に扱い本体の収納スペースに端末を仕舞う。


「ロザリオからコントロール。任務完了、報告書は後ほど送付します。では、私は明日オフなので、このまま自宅に帰投しますね。ロザリオ、アウト」


 少女が問答無用で一方的に通信を終わらせると、それを確認したかの様にドローンは高度を取り、そのままどこかへと向かって飛び立っていった。

 少女が右手首の汎用ディスプレイに目をやると、時刻は既に午前0時を少し過ぎていた。


 ふと少女が何かに気付き、麓へと続く道の中腹辺りに目をやると、一台の車が炎上しているのが見えた。

 タイミング的に、先程男が運転していた車だろうか。

 偽装のために自ら火を放ったか、はたまた旧連邦の監視が付いていて口封じに消されたか。真偽のほどはわからないが、少女は心から男の無事を祈りつつ、少しの助走を付けて屋根から大きく跳躍する。

 鬱蒼と繁る森の中へ、少女は闇に溶け込む様に姿を消した。



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