第31話

「誰か車に乗って。あたしがあのビルの基盤を壊す。そこに突っ込んでくれれば、あのビルを倒して怪物を落とせる。榴弾砲の射程範囲に入るでしょ」


 そのリナの声は、固くてまるで別人だった。ネオンの逆光で顔色を窺うことはできない。


 戸惑ったのも一瞬、僕は装甲車の運転席に足を掛けていた。


「お、おい、兄貴? 自分が行くつもりなのか?」

「頑丈なんだろう、この装甲車は。誰が行っても結果は同じだ。なら、秀介が残れ。お前の方が武器弾薬の扱いに長けてる」

「いや、でも……」

「僕を困らせるなよ。怖いのは一緒だ。でも、リナを信じる気持ちだって同じはずだ。リナは僕たちを信じた。僕はお前を信じる。いいな、秀介?」


 僕は秀介のヘルメットを軽く小突いた。


「隊長、装甲車をお借りします」

「了解。どうぞご無事で、恵介博士」


 僕は隊長に向かって大きく頷き、今度こそ装甲車に乗り込んだ。


 装甲車の取り扱いは、僕だって数回レクチャーを受けている。運転に支障はないはずだ。

 外部ディスプレイを眼前に展開させる。すると、すでに怪物の取りついているビルは基部が歪み、僅かに揺れていた。


「頼むぞ……」


 誰にともなく呟き、唇を湿らせる。そして僕は、ゆっくりとアクセルに足を載せた。

 即応性に優れた装甲車は、その重量に反して機敏に動き出した。このままあのビルに突っ込めば、間違いなく崩落させることができる。


 その時、ガツン、と何かが側面に衝突した。怪物が、目のない顔でこちらを睨んでいる。そんな気がした。まさか、作戦を読まれたのか? 

 一瞬だけ振り返ると、装甲車の後方のキャビンに大きな亀裂が入っていた。怪物の舌で斬りつけられたのだ。


 冷や汗がぶわり、と滲み出てくる。

 このままではやられる。だったらこちらからやるしかない。

 前方に味方がいないことを確認し、僕は思いっきりアクセルを踏み込んだ。


 がたん、がたんと揺さぶられる車体。歪んだアスファルトの上を跳ねるように走行する。


「何のこれしき!」


 唸り声を上げながらギリギリまでアクセルを踏み込み、真正面の上方に陣取る怪物を睨みつける。


 僕がぐっと歯を食いしばった直後。

 身体がシートベルトにぐいっと押さえつけられ、前後に揺さぶられた。


 直後、装甲車の外壁から内部にかけて、前後・上下左右問わず硬質な衝撃音が轟いた。がらんがらんという振動が車体を揺さぶる。

 僕は自分が洗濯機に押し込まれたかのような錯覚に陥った。


 意識を失っていたのは、おそらく十秒ほどだったのではないか。はっとして目を開けると、間の前に真っ赤な液体が滴っていた。


「う、うわっ!」


 僕は負傷したようだ。だが、どこを? どの程度の傷を負ったのか?

 手足をばたつかせ、シートベルトを外す。確か後部座席に医療キットが――。


 いや、待てよ。これだけ動けるなら、四肢も内臓も大丈夫そうだ。ということはさっきの血はどこから流れてきたのか。


 僕は口内に違和感を覚え、もごもごと舌を動かしてみた。何か固いものがある。掌に落とすと、それが自分の歯であることが分かった。

 そうか、あれは歯茎からの出血だったのか。


 痛みはあるが、止血している暇はない。一刻も早く脱出しなければ。怪物の舌で微塵切りにされてしまう。


「通信装備は……生きてるな」


 秀介のボディカメラに接続し、外部の様子を確認する。

 地面に下り立った怪物は、別なビルによじ登ろうとしていた。そこに飛来したのが榴弾砲だ。


 自動小銃の弾丸とは比較にならない威力と量の特効薬が撃ち込まれ、怪物がたじろいでいる。

 一発、二発、三発と次々に撃ち込まれる榴弾。怪物は当初の勢いをだいぶ削がれつつあった。


 よし、このまま銃撃を続けてくれ。心の中で願ったが、しかし榴弾がこれ以上発せられることはなかった。

 はっと思い出す。さくらさんが作ってくれた榴弾は、確か四発。あと一発か、あるいは全弾撃ち尽くされてしまったか、そのどちらかだ。


「くそっ!」


 僕は思いっきりコンソールを殴りつけた。あともう少しなのに……!

 その時、ごろん、と後部座席で何かが転がった。再びそちらに身を乗り出すと、そこには榴弾発射筒と特効薬の榴弾が転がっていた。

 最後の一発がこの車内にあったとは。


「よし!」


 僕は痛みを無視して立ち上がり、発射筒に榴弾を込めた。セーフティをかけ、瓦礫に埋もれた装甲車内から通信を試みる。


「こちら恵介、榴弾砲を確保! これより装甲車を出て、怪物の頭部に向かって砲撃します! 援護願います!」

《りょ、りょうか……って兄貴! 無事なのか?》

「秀介! 僕の怪我はどうってことはないんだ、早く援護射撃を――」

《何言ってるんだ! こちらからは装甲車は確認できないぞ!》

「何だって?」

《瓦礫に完全に埋もれてるんだ、兄貴はそこから出られない!》

「じゃ、じゃあ……」


 せっかく榴弾があるのに、これでは宝の持ち腐れではないか。

 僕が再び悪態をつこうとした、次の瞬間だった。がぁん、と鈍い音がして、僕は装甲車内を転げ回った。ディスプレイに側頭部を強打。


「ぐ、あ……」

《兄貴ッ!》


 ひび割れたディスプレイには、怪物が瓦礫の山を掘り返し、この装甲車を蹴り飛ばす様子が映し出されていた。

 榴弾が暴発しないよう、ぐっと握り締める。僕にできるのはそれだけだ。周囲から銃撃を受けているにもかかわらず、怪物はこの装甲車に執着している。


 榴弾をこれ以上喰らうまいと、必死なのかもしれない。だが、必死なのは僕だって同じだ。せめて僕が装甲車から脱出するまで、怪物が動きを止めてくれたら。


 僕の願いが通じるはずもなく、怪物は勢いよく足を掲げ、装甲車を踏みつけた。


「うわああああっ!」


 後部座席がぺしゃんこになり、実質装甲車は前半分しかなくなってしまった。

 衝撃で発射筒が僕の腕をすり抜け、転がり出す。僕はどうにか肩掛けの部分を掴もうとするが、既に怪物は二回目の踏みつけ体勢に入っている。


 ああ、ここまでか。


 僕が死期を悟った、その時だった。

 怪物の動きがぴたり、と止まった。


「一体何が起こって……」

《リナ!》


 秀介の声に、僕は状況を察した。リナが怪物の動きを封じてくれているのだ。左腕を翳すようにして。

 この機を逃すまいと、僕は発射筒を引っ張り出し、後部から転がるようにして装甲車を脱出した。


 怪物の口が、僅か頭上二メートルほどのところにある。だが、大して驚かなかったし、怖くもなかった。


 榴弾砲のセーフティを外し、狙いをつける。怪物の舌が僅かに蠢いた、次の瞬間だった。


 バシュン、と勢いよく放たれた榴弾は、ちょうど怪物の口内で炸裂した。

 と同時に、僕は皆に銃撃を再開するよう要請し、自動小銃を背負って匍匐前進。頭上を無数の弾丸が飛来し、薬莢が散らばっていくのを感じながら、どうにか味方の下へ辿り着いた。


「兄貴!」

「あ、秀介……」


 秀介に引っ張り立たされる。振り返ってみると、怪物は大きく筋組織を抉られていた。あれが一発目から三発目までの榴弾の成果だろう。

 

 リナによる拘束を解かれたのか、怪物は再び動き出した。だが、明らかに弱っている。

 かと思えば、突然横転して四肢をばたつかせ始めた。特効薬が回っているのだ。その四ヶ所の傷口に、情け容赦なく弾丸が撃ち込まれる。


「これが最後の弾倉だ!」


 そう言いながら、秀介もまた銃撃している。それを見て、僕は何故だか呆然とした。


 あの怪物は、香藤玲子によって造られた。いわばリナの兄弟分なのだ。確かに生かしておくわけにはいかないが、殺すにしてもこれはあまりにも残酷ではないか。

 いや、こんな怪物を生み出した香藤こそ、悪逆非道だというべきなのだろうが……。


 怪物はだんだんと動きを鈍らせ、最期に、コオオオッ、と木枯しのような音を発してがっくりと頭部を横たえた。


《目標沈黙。総員、警戒を怠らずに包囲を完了せよ》


 隊長の声がする。

 ヘルメット内に警戒音が鳴り響いたのは、怪物の絶命が確認され、その死骸が蒸発していった時のことだ。


《何事だ?》

《所属不明の民間ヘリが現場上空に侵入! 機種は不明! 警戒されたし!》


 全身の打撲に呻き声を上げながら、僕はその通信を聞いていた。

 見上げると、ネオンの向こうに確かにヘリの機影が見える。しかし僕は、このタイプのヘリを見たことはない。

 一つ確かなのは、少なくとも味方ではないということだ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る