第15話

「博士? 恵介博士!」

「はっ、はいっ!」


 隊長に呼びかけられ、僕は我に返った。すっかり目の前の光景に圧倒されていたということか。


 淡く青白い光を発する、多数のカプセル。もしリナのように、人間らしさを失っていない個体があれば救出してやりたい。

 現に秀介は、カプセル中の培養液の排出ボタンを探して駆け回っている。しかし――。


「止めろ、秀介!」

「あ? 何言ってるんだ、兄貴?」

「止めろと言ったんだ!」

「どうして? このカプセルにいるのは、皆リナくらいの子供じゃないか! カプセルから出してやれば、人間として扱って――」

「それは無理だよ」

「なんでそんなことが言えるんだよ?」

「これを見てくれ」


 僕は地下空間の奥に歩を進め、あるカプセルに視線を遣った。秀介もまた、そちらに一瞥をくれる。


「この破損したカプセルがどうしたんだ?」

「分からないのか? さっき地上階で戦ったゾンビたちは、このカプセルを内側から破壊して出てきた可能性が高い。つまり、カプセル内にいる子供たちは、もうほとんどゾンビと一緒なんだ」

「そっ、そんな!」


 僕たち兄弟の話し合いが紛糾すると察したのだろう、隊長が割り込んできた。


「では恵介博士、我々は、カプセルからこのゾンビたちが飛び出してくる前に始末する必要がある、ということですな?」

「仰る通りです」

「工兵、この地下空間に爆薬を仕掛けろ」

「何をする気なんですか、隊長まで!」


 秀介は一歩、隊長に詰め寄った。が、隊長は秀介の方を見もしない。


「どうした、工兵部隊! 爆薬が足りないということはないはずだ。地下階層全体を焼夷爆弾で焼き尽くせ! 遠隔操作で、我々が退避した後に起爆しろ!」


 数回に渡って、了解、という掛け声がして、一際大きな背嚢を背負った兵士たちが壁や床面に爆薬を仕掛け始めた。


「兄貴、止めさせてくれ! これじゃあ、リナだって同じ目に――」

「僕だって辛いんだよ!」


 はっとした。今、僕は何と言った? 自分だって辛いのだ、と?

 自分の言動に戸惑いながらも、僕は言葉を続けた。


「この子たちは、主に東南アジアから密輸されてきたんだ。孤児なんだよ。殺されても、誰も悲しみやしない。だったら怪物になる前に、人思いに殺してやるべきだ」


 これは福谷から仕入れた情報であり、確度は極めて高い。しかし秀介にとって、それはどうでもいいことだ。


「んだと!」


 僕の胸倉を掴もうとする秀介。だが、すぐに背後に引き倒された。隊長が片腕で、秀介をむんずと引っ掴み、投げ飛ばしたのだ。


「どうしたんだ、秀介? お前ほど優秀な兵士が取り乱して、挙句恵介博士に楯突くとは……。あの少女を救出して以来、お前はおかしいぞ?」

「そっ、それはっ」


 流石にこの場で、自分がリナに好意を抱いているなどとは言えなかったのだろう。ようやく秀介は口を閉ざした。


「隊長、爆薬の設置が完了しました」

「了解。総員、速やかにこの建物より撤収! 輸送車の停車位置まで後退するぞ」


 こうして僕たちは警戒を続けながらも、速やかに車両へと戻った。


「空対地ヘリ四機、全機が現場空域から撤収を完了しました」

「了解。工兵、起爆せよ」

「了解。カウントダウンは省略、念のため、皆バイザーを下げて爆光に備えてください」


 それから数秒後、ドン、という音が聞こえた気がした。ここまで遠ざかってしまえば、爆音もそう聞こえるものではないようだ。


 これまた微かに、隣から声がした。秀介が悪態でもついたらしいが、具体的に何と言ったかは分からずじまいだった。


         ※


 それから三日後。

 僕は秀介の運転で組織の敷地外に出ていた。


「秀介、今日は大丈夫なのか?」

「ああ、気にすんなよ兄貴。今日はローテーションで、別動隊が警戒監視とゾンビの殲滅にあたるんだ。丸一日暇さ」

「そうか」


 短く応じると、車は最寄りのデパートの駐車場に滑り込むところだった。

 僕たちの目的は、子供用の夏服を購入すること。もちろん、リナのためだ。


 ここ二、三日の間に、秀介は化学工場地下でのことに納得したらしい。今はすっかり以前の様子に戻っている。説得を繰り返した甲斐があったというものだ。

 心の芯から納得してくれたかどうかは分からないけれど。


 車外に出ると、殺人的な日射が降り注いできた。殺し殺される現場には慣れているけれど。


 僕たちは二人共、随分とラフな格好だった。長めのスラックスに半袖のシャツ。互いに色が違うだけで、特にこれといった特徴はない。


 今日買い物に行こう、というのは僕の提案だ。リナのために外着を買ってやらないかと。

 この提案が、秀介の機嫌を直すのに一役買ったのは間違いない。


 いい大人……とまでは言わないかもしれないが、二十歳前後の若い男性が二人、女子児童用の衣類にじっと視線を注いでいるのは奇妙な光景だっただろう。


         ※


 その日の午後のこと。


「あっ、お兄ちゃんたち!」

「よう、リナ」


 片手を上げて応じる秀介に続き、僕は笑顔で頷いた。


「秀介お兄ちゃん、それは?」

「おう、これか?」


 リナは、先ほど買った衣服の紙袋を指さした。今は秀介の片腕に提げられている。


「リナ、お前のために用意したプレゼントだ!」

「開けてごらん、リナ」


 僕は秀介から紙袋を受け取り、中身の紙箱を取り出して、リナに手渡した。

 突然のプレゼントだったにもかかわらず、リナは待ち遠しかったと言わんばかりに紙箱を掴み取った。勢いよく包装紙をびりびりと破いていく。


 そこに入っていたのは――。


「お兄ちゃん、これは?」

「リナのために買ってきたお洋服だ。ワンピースだよ」

「うわあ、真っ白なワンピース! ありがとう、恵介お兄ちゃん!」

「あっ、うん、どういたしまして」


 赤面したのがバレないよう、慌てて距離を取る。そんな僕とリナの間に、秀介が割り込んできた。


「ほら、これもだ!」


 秀介がもう片方の手に持っていたのは、鍔の広い麦わら帽子だった。


「あーっ! これ、あたしが欲しかったやつ! ありがとう、お兄ちゃん!」


 満面の笑みを浮かべるリナの前に、秀介もまたたじろいだ。


「じゃあ、早速着替えて――」

「はーい!」


 そう元気よく手を上げるや否や、リナは唐突に病人用のパジャマを脱ぎだした。


「ちょ、ちょっと待てえい! 兄貴、部屋の外に出るぞ!」

「分かってる!」

「あれ? お兄ちゃんたち、どうしたの?」

「あー、ちょこっとだけ用事があるんだ。すぐ戻るから、着替え終わったらインターフォンのスイッチを押して!」

「分かった!」


 僕と目を合わせたリナが、こくん、と頷くのを確認してから、僕と秀介はリナの個室から緊急脱出した。


         ※


 それから約三分後。

 廊下の壁に背を預け、沈黙していた僕たちの耳を、優しい機械音が震わせた。


《お兄ちゃん? 着替え終わったよ》

「もう入っても大丈夫か?」

《うん! あたしのこと、早く見てほしい!》


 その言葉だけでも殺人的な威力を誇っている。しかしそれ以上に、リナの姿を一目見たいという欲求が胸中で膨らんでくる。

 

「んじゃ、失礼しまーす!」

「し、失礼します……」


 僕はおずおずと入室した。

 しかし最初に捉えられたのは、リナの姿ではなく秀介の立ち止まる気配だった。


「ん? どうしたんだ、しゅう――」


 と言いかけて、僕もまた硬直した。

 

「えへへ、どう、かな? やっぱり変? お兄ちゃんたちの前では、ずっとパジャマ姿だったから……」


 こういう時に対応が早いのは、やはり秀介の方だった。


「いやいや、何を言ってるんだ! 俺は、リナがあんまり可愛いからびっくりしたんだよ! なっ、兄貴?」

「ああ、そ、そうだ! すごく、えっと、似合ってる……」

「えっ、本当? 本当に? わぁい!」


 無邪気というイメージそのものと言った調子で、勢いよく飛び跳ねるリナ。

 真っ白なワンピースは日光に煌めきを与えられ、リナの整った顔立ちや、やや大人びた体型にこの上なくマッチしている。


「さあリナ、お外に出よう!」

「えっ、あたし、出られるの?」

「もちろん! 俺も兄貴もよく外出してるじゃないか。まあ、外に出るっていっても中庭だけどな」

「あたし嬉しい! ずっとベッドから見える範囲しか分からなかったから」


 そうだよな、と僕は胸中で頷いた。

 と同時に、リナがずっと個室に隔離されていた原因もまた明らかだと思った。


 まだ結果が出たわけではないが、さくらさんが科捜研に届けようとしていたアタッシュケースは無事だった。現在、リナの生体観察は科捜研の手で行われており、僕やさくらさんの感知するところではない。


「じゃあ、出ようか! こっちだよ、リナ!」


 秀介の声で我に帰った僕は、すぐに踵を返して二人の後を追った。

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