第4話 ウォーミングアップ

 俺はキャンプに置いてあった油を男達が就寝するテントの周りに撒いて火を放った。


 第一王子候補であるエオルトンを殺した後、すぐ逃げずにキャンプを張る余裕があるということは、王子が攫われた地点からかなり遠くまで連れきたのだろう。乾いた薪と油を持ち歩いてるとは随分用意がいい。長旅を想定していたのだろうか。こいつらを殺す前に現在地を聞き出さなければ。


 暫くしてテントの中から混乱した悲鳴が聞こえてきた。男達が慌てふためき、テントのあらゆる所から出ようともがいている。

 馬の鎧に括り付けてあった弓を拝借していた俺は、テントの真上に枝を伸ばす木の上で待機していた。悲鳴が聞こえてきたタイミングで馬に乗せた荷物に火矢を撃った


 俺がまだ、女の尻を追いかけることに時間的意義がないと悟る前の25歳の頃、その当時狙っていたブロンド髪の女がアーチェリーのインストラクターだった。俺は彼女のハートを射止めるべく、健気にも彼女の職場である大人の趣味クラブに足繁く通い、ついにインストラクターの腕前を抜くまでに上達した。オリンピックアメリカ代表になれるよ! と褒めそやされた俺には、例え60メートルの距離があろうと的を狙うのは訳なかった。


 男が1人テントから飛び出してきた。


 テントの入り口は狭くて低く、頭の軌道が読みやすい。俺は頭の高さに括り罠を設置しておいた。

 男がそこに首を通した瞬間、俺は縄の端を持って木の上から飛び降りた。これは全体重をかけて思い切りやることが肝要だ。

 縄はみるみる円を小さくし、間抜けな男の首を絞め上げて宙吊りにした。勢いよくやれば、脊椎骨を折り、延髄を損傷させることで短時間で人を縊り殺すことができる。


 着地した俺の目の前に、テントから駆け出てきた男と目が合う。

 男は明らかに動揺し震える指でこちらを差している。こいつは確か王子の胸に穴を開けた男だったな。こいつは暗殺対象者の王子にとどめを刺した人間だ、3人の中のリーダー格に違いない。


 リーダー格の男は握っていた剣を鞘から抜き、暗殺の仕事を完遂しようと大上段に構えた。男は既に残忍な顔を取り戻している。王子が生きてることに適当な理由を見つけたのだろう。

 リーダー格の男がこちらに走り寄ってきて俺の頭に剣を振り下ろした。俺の着地点とテントの間に張っていた括り罠が、男の足を捕らえる。火のついた馬の牽引力で引っ張られた男は、剣を手から零して真横にすっとんでいく。俺はかつて見たピットブルを思い出して笑ってしまった。

 縄は枝の上に通しており、男は上空へと運ばれていく。火あげて走っていた馬が転び、男はそこで固定された。


 残りは後1人。


 後は簡単だ。狙う必要もタイミングを見計らう必要もない。俺はキャンプに火を放つ前から、男達の焚いた火を使い、熱湯を沸かして事前準備しておいた。後は鍋を手に取り、待ち構えているだけでいい。

 最後の男が炎にまかれてテントから出てきた。俺はそのトロい男めがけて煮えたぎった湯をかけた。耳をつんざくような男の叫び声と共に、当たり一面が湯気で見えなくなった。

 俺は剣を手に取り、湯気を払う。地面にのたうち回って茹で蛸のようになった男の横に立った。こいつは今、深度Ⅱの熱傷を全身の約30%に負っている。このままこいつを放っておいても死ぬが、暫く動ける余力はある。あのリーダー格の男に尋問する時に邪魔をされては興醒めだ。


 俺は足で男の胸を押さえて、剣を振り上げる。あぁ、こんなに思う存分やれたのは久しぶりだ。久々に股間に熱を帯びて濡れてしまっている。

 俺は剣を男の首に軽く当てて軌道を測ると、一刀のもとで切断するべく首に振り下ろした。


 名刺とは男のペニスだ、と言ったのは誰だったか。

 大手総合商社に勤めていた俺は役職のかかれた巨大ペニスを披露するのも、年収自慢で貧乏人にマウントをとることにほとほと飽きていた。拳を固めて、組み敷いた相手の頬に打ち下ろす。そんな暴力の彩を体が求めてならなかった。

 社会の枠組みの中で許された名刺交換のような暴力の代用品ではなく、うちから湧き上がる純然たる暴力への憧憬。それこそが動物たる人間がひた隠しにしている本性ではないのか。道徳感情と先祖返りする忌避感に阻まれているが、暴力こそこの世を治める真の力ではないのか、そんな考えに囚われてならなかった。


 この世界に来て良かった。力が物を言う世界。俺の人間の証明を邪魔する奴はいなさそうだ。


「スリザス・ディスレプト」


 その一声が頭の上から降ってくると、振り下ろした筈の剣が跳ね上がった。いや跳ね上がったというより、自ら跳ね上げたのだ。手にも力が入らなくなり、剣を手から零してしまった。

 声が降って来た上を見上げようとすると右足が上がってしまう。足で抑えてた男が暴れ出しので、足を下げようとすると、寄り目になって舌が出てしまう。神経回路があべこべになり、脳と体のセッションが断ち切られてしまった。


 そうこうしてる内に茹で蛸になった男が立ち上がった。白い泡がこびりついた口から呻き声をあげた。俺が落とした剣を拾い上げ、猿のように興奮している。


「早くそいつの首を落とせ!」


 頭上にいるリーダー格の男が喚いた。


 まずいな。不死身になったといえ、首を落とされたらどうなるのだろうか。最悪そのまま死ぬか。はたまたプラナリアみたいに、首から胴が生え、胴から首が生えて、俺は2人になるかもしれない。


 茹で蛸男は剣を振りかぶり、俺の首を刎ね飛ばした。

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