この雨がまだ続けばいいのに

白黒灰色

前編

 分厚い黒い雲が、空を覆っていた。

 雨や風が迫ってくるような勢いで、教室の窓を叩きつけている。

 おまけに雷まで落ちて、私は思わず読んでいた本から顔を上げた。

「水島さん。さっきの雷……近かったね」

 机を挟んで向かいに座っていた森下さんと目が合った。彼女も私と同じように本を読んでいたが、雷に驚いて中断したらしい。顔を強張らせて、肩を丸めている。体型が小柄なこともあって、まるで怯えた小動物のように見えた。

「そうだね。天気予報だと雨のピークは2時頃で、それから弱まっていくはずなんだけど……」

 時計を見ると、時刻は4時過ぎ。帰りのホームルームが終わって1時間以上粘っているが、雨は弱まるどころか激しさを増している。今では、小型の台風でも近付いているのではないかと思える程、成長していた。

「はぁー。雨、止まないにしても、弱まったら走って帰ろうと思っていたのに……。こんなことになるなんて……」

 思わず溜息が漏れる。朝、天気予報を確認したのに傘を忘れてしまった自分の間抜けさが憎い。そういえば、占いコーナーでも運勢が最下位だったと、嫌なことも思い出してしまった。

「ごめんね、水島さん。私まで傘を忘れちゃって……」

 森下さんは申し訳なさそうに頭を下げた。私はともかく、しっかり者の彼女まで傘を忘れていたのは意外だった。

「森下さんが気にすることじゃないよ。私が帰れなくなったのは自業自得だから」

「でも……」

 森下さんは何かを言おうとして、結局は口を噤んだ。心配そうな顔で窓の外に目をやる。

 少しして、森下さんは何かに気付いたように「あっ」と声を上げた。

「ねぇ、水島さん。今、思ったんだけど、先生に相談すれば傘とか貸してもらえたのかな?」

「どうなんだろう? そういう話は聞いたことがないけど……」

 とはいえ、少なくとも何かアドバイスはくれるだろう。雨が止めば帰ればいいと、楽観的に考えていたせいか、私も単純なことに今更気が付いた。

「水島さん。傘、貸してもらえたらそれで帰る? このままだと、何時に帰れるか分からないよ?」

 森下さんが提案する。私も窓の外へと目をやった。

 真っ暗闇の中、風が生き物の呻き声みたいな音を立てている。

 天気予報が当てにならない以上、森下さんの提案も一理ある。だが、私はこの状況で外に出る気はなかった。

「……まだ最終下校時刻まで時間あるし、私はもう少し教室で粘っていたいかな。どうしようもならなくなったら、仕事帰りのお母さんに車で迎えに来てもらってもいいし」

 安全に帰る手段があるなら、それに越したことはないだろう。私は教室に居たい。

「……そうだね。それなら、安心だね」

 森下さんは、ほっとしたように息を吐く。

 でも私には、その顔が何故か残念がっているようにも見えた。

「やっぱり、この天気で傘を差すのは危ないよね」

「私もそう思うよ。風で飛ばされそうだし、それに雷がしてたら、傘が避雷針になっちゃうんじゃあ――」

 私の言葉に、文字通り引き寄せられてしまったのか――一瞬の閃光の後、殆ど間を置かずに轟音が鳴り響いた。

「きゃあああ」

 森下さんが悲鳴を上げた。私も悲鳴こそ上げなかったが、鳥肌が立ち、体が強張る。明らかに、さっきの雷よりも近かった。

「嘘でしょう……。冗談だったのに」

 それにしても、タイミングがドンピシャだった。傘を忘れて、予報が外れて、雷まで落ちて、今日は運が悪い。神様にからかわれている気分になった。暇な神様だ。

「みっ……水島さん。かっ……雷、すごい近かったけど……大、大丈夫……だった?」

 森下さんが私を心配して声をかけてくれたが、体を震わせて涙目になって、明らかに彼女の方が大丈夫ではない。私の不運に巻き込んでしまったみたいで、申し訳ない気持ちになった。

 森下さんは帰ろうと思えば帰れたはずだ。先生に傘を借りることも、少し考えれば直ぐに思い付けただろうし、ホームルーム直後なら、傘を借りられれば普通に帰れる状況だった。

 私が教室に残ると言ったから、彼女も一緒に残ってくれたのだ。私から誘ったわけではないが、正直に言えば、この展開は少し期待してもいた。

 ――できれば傍に居てほしい。

 声に出さなくとも、私の想いが彼女に届いてしまったのだろう。だからこそ、余計に罪悪感を感じる。

 私は立ち上がると、椅子を持っていって、森下さんの隣に座った。

「……? 水島さん?」

「私は別に、かっ、雷が怖いわけじゃないけど、でも……隣に座ってもいい?」

 実際に、私は雷がそこまで怖かったわけではないが、敢えて『私も怖かったけど我慢しています』みたいな言い方をした。森下さんの不安を少しでも軽くしたいと思ってはいるが、私は残念ながら、頼れるお姉さんのようなタイプではない。『私が居るから安心して』みたいな言い方はしづらかったのだ。自分でも、フォローの仕方が不器用だと思う。頼りない。

 だが、森下さんは嬉しそうに微笑んで頷いてくれた。

「うん! いいよ。水島さん」

 その直ぐ後に、森下さんは小声で「ありがとう」と続ける。頬を赤らめて言われると、こっちも恥ずかしくなった。

 森下さんは、読書を再開する。私も続きを読もうと思ったのだが、さっきの雷で集中力が切れてしまったのか、内容が頭に入ってこない。

 仕方がないので、私は少しの間、ぼんやりして過ごすことにした。

 

 私が森下さんと友達になったきっかけは、1年生の体育の授業だった。柔軟体操で2人組を作る際、余った私達が組むことになったのだ。それからも、班決めの時は大抵一緒になり、段々と話をするようになっていった。

 仲が縮まったのは、彼女の家に遊びに行った時だろう。

『水島さんをお母さんとお父さんに紹介したいんです』

 そう言われた時には何事かと思ったが、詳しく話を聞くと、森下さんは中学校時代に友達がいなかったらしく、高校で上手くやっていけるか両親に心配されていたらしい。友達ができたと言っても半信半疑の態度だったため、証明のために家に来てほしいとのことだった。

 森下さんの部屋には、沢山の本があった。母親が読書家で、本を買いたいと言えば、お小遣いも多少融通してくれたらしい。2台ある本棚には本がぎっしりと並べられ、1冊取ると後ろにも本がある。それでも入りきらずに、押し入れにも本が並んでいる。漫画や絵本もあったが小説も多く、これだけあると普段本を読まない私でも、興味が沸いた。森下さんは、何冊か私が気になった本を貸してくれた。

 私も森下さんもあまり積極的に話す方ではないし、1人で没頭できる読書は相性がよかったと思う。無理に話をしなくてもすむし、無言でも間が持たないということもない。

 ――ひとりは好きだが、孤独は嫌い。

 我ながら面倒くさい性格だと思うが、森下さんも同じタイプなのだろう。だから一緒に居て安心するし、友達でいられるのだと思う。


 友達か……。

 心の中で呟いただけでも、何だか少しこそばゆい。

 2人きりの教室に雨音だけが響く。

 私の不運に巻き込んでしまったことは申し訳なく思うが、この時間が続くのなら、もう少し雨でもいいかな。これ以上、雷が落ちなければだけど。

 ――もう邪魔しないでね、神様。

 雨音に耳を傾けながら、私も物語の世界に入っていった。

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