あるパイロットの記憶

 やつれた男がひとり、焼け原を歩く。

 歩けど歩けど、何も無い。

 こういう場合、大抵は積み重なった瓦礫とかそういうものがあって尚 "何も無い" という言葉を使う。

 だが、この目には本当に抉れた地面と焼けた土しか映っていなかった。

 これを作り出したのが自分だなんて、到底信じられない。空の上から、スイッチを押しただけなのに。

 反響が無いものだから、風が吹かないと辺りはしんと静まりかえる。そんな空間で姿勢を崩して座り込み、それはそれは小さな声で呟いた。

「──────どうしてだ……」





 暫く座り込んでいると、静まりかえっていた空間から少し音がした。

 姿勢は変えず、その音に耳を澄ます。

 ─ジャリジャリ──…ゴロゴロ──……ガタガタ─────

 砂を擦る音に、何かが悪路を転がるような音。なんだろう、車輪だろうか?

 少しずつ、左の方から音が近づいてくる。

 視線をそちらにやると、車椅子の男がひとり焼け原を進んでいた。よく見ると、右目に眼帯をしているし、同じ側の首筋はひどい火傷の痕が残っている。

 ……この惨劇の被害者だろうか、かなりの重傷だったようだ。生きているだけでも、幸運なのだろうが。

「……っ」

 男は、彼を見ていられなかった。

 理由は、その身体が痛々しいからではない。

 すぐに目を逸らそうとしたが、それは出来なかった。車椅子の彼が岩に引っかかって動けなくなってしまったのだ。

「あっ!あーくっそ、なんでそう上手い具合にハマっちまうかな……よっ、ほっ、あー……こりゃ時間かかるな」

 彼はキョロキョロと辺りを見回すと、やがて座り込んでいる男を見つけた。

「あっ、俺以外に人がいるとはな……なああんた、悪りぃがちょっと手伝ってくれねぇか」

 頼まれなくとも助けようとは思っていたが、この状況で頼まれてしまっては動かざるを得ない。

「あ……はい」

 その声が聞こえたか聞こえなかったか定かではないが、男は立ち上がって彼の下へ向かった。




 ぐっ……ガタッ

「お、抜けた抜けた。ありがとよ、助かったぜ兄ちゃん」

「いえ……」

「ほんと、俺以外に人が来てるとは思わなかった。アレが落ちてから、真っ平になっちまったからな」

「……そうですね……綺麗な街だったのに」

「ああ、本当にな。焼け原になったとは聞いてたが、何かねぇかと思って来てみたんだが……無駄足だったな」

 彼はため息を吐いてそう言った。車椅子で一人でここまで来るなんて、大変どころの話じゃなかっただろうに。

「兄ちゃんはなんでこんなとこ来たんだ?」

「…………!」

 そう言われて、心臓が跳ねた。

「え……ああ……そうですね……その……」

「……ああいや、無理に言わなくていい。聞いて悪かった」

「いえ……」



 暫しの沈黙の後、話始めたのはまた彼からだった。

「兄ちゃん、名前なんてんだ」

「ああ……アルバン・ハニッシュと言います」

「へぇ俺はロドニー・メイス、薬師をやってる。こんな身体になってからは、仕事もまともにできちゃいねぇがな」

「……その身体の方は、あの爆弾で……?」

「ああ、飛行機も見たよ。俺はたまたま水の中に居たからこれで済んだが、一緒にいた奴らは皆んな死んじまった」

「……そう……でしたか」

「……」

「……ごめんなさい」

「……?なんで兄ちゃんが謝るんだ」

「あっ……いえ、なんでもないです……」

「……そうかい」

 言えない。

「はー、あれからもう4年か?時間が経つのは早えな……知り合いに18の嬢ちゃんがいるが、成長を見てると余計に早え」

「へぇ……」

「その嬢ちゃん、研究者なんだがよ。元々天才だったが、どんどん賢くなるし、出世もするし、おまけに美人になってる」

 背は伸びてなかったがな、と言いながら彼はワハハと笑った。

 その笑顔は、強かった。生きる輝きを持っていた。こんな身体になったのに……したのに。

 また、見ていられなくなった。

 ただ、今度は目を逸らす必要はなかった。

 ─────ポタ

「……兄ちゃん?」

「いえ……大丈夫です……なんでもないですから」

「……そうかい」

 またそう言う彼のその目は、憂いと微笑みを帯びていて、それは涙越しでも感じられるほど優しかった。




「……そろそろ帰るかねぇ」

 泣き止んでから暫く経って、彼はそう切り出した。

「さてと、今度は岩にハマらないように気をつけねぇとな……じゃあな兄ちゃん」

 お元気で。と返して、車輪でジャリジャリと砂を擦りながら進む後ろ姿を眺める。

 何も無い焼け原を去っていくのを見ていると、彼は突然車椅子を止めて、顔をだけをこちらへ向けた。

「兄ちゃん」

「……?」

「生きろよ」

「…………」

 返事ができないまま、視界から彼がいなくなるまで立ち尽くした。

 ふと気がつくと、ポケットに入れていたハンドガンがなくなっている。

 男はまた座り込み、顔を覆った。

「……───…─────」

 やがて、雨が降り出した。見たこともないほどに、透明な雨だ。

 男の小さな声は、雨音に掻き消された。

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