第15話

 鉄製の両扉を開けると、強い水の香りがした。でもそれは真水の匂いじゃない、塩水の匂いでもない。

 これは私の好きな、雨の匂い。

「ピークさん?」

「あ、はい」

 何故雨の匂いがするのか調べたい気持ちもあったが、班員のひとりに呼ばれてしまった。

「こちらに下へ続く穴があったので、ピークさんにも見てもらおうかと」

「穴?」

「ええ、といっても骨組みはしっかりしていて、後から空いた穴ではなく設備の一部といった感じですね」

「なるほど……」


 説明を受けながら案内された先には、件の穴があった。

 本当だ、過去に破壊や老朽化で空いたものでは断じてない。隣の男性班員の背丈より少しばかり高い正方形の入り口がある。覗いてみるが、道が続くわけでもなく真下に同じく正方形の大穴が空いている。

「どう見ますか?」

 と尋ねられても、解析係だからといって未知の大穴に対しての知見など他の班員と大差は無いが…

「うーん……海水か何かを吸引か排出してそうですね。ほら、見えづらいですけど、しゃがむとあそこに吸水管のようなものが」

「あ、本当だ。隙間から見えますね」

「それから、雨水の匂いが強くなってますね」

「え?」

 隣の班員は空気を嗅いで見せたが、まもなく疑問符を纏った声が返ってきた。

「いや……ちょっと分からないですね。鼻は詰まってないと思うんですけど……なぁ、君。雨水の匂いするか?」

「え?……………いや、何も匂いません」

 男は近くを通りかかった新人の班員に問うが、新しい反応を得ることは無かった。

「あれ……私の鼻がおかしいんですかね?」

「いやぁ、まだサンプル数3ですから。ピークさんはきっと鼻が良いんですよ」

 はははと笑う男性班員。

「とにかく、下を調べるにはもう少し人数が欲しいですよね。俺のグループに招集をかけましょう」

 男は立ち上がって無線機で招集の文言。

 私はしゃがんだまま、表面よりもずっと困惑していた。

 この強い匂いを一切感じないなんて、嗅覚の優劣だけで説明できるだろうか?

 第一これまで私は鼻が良いなんて思ったことも言われたことも無い。

 間もなく男のグループの班員が集まってきたが、匂いの主張を続ければ鼻がおかしい……もとい頭がおかしいと思われてしまうだろうか。

「この人数いれば十分でしょうね」

「よし、下に降りてみよう。梯子を」

 班員達と共に、丈夫そうな梯子に安全帯を着けて足を掛ける。

 結局、集まってきた班員の誰一人として雨の匂いがすると答えた者はいなかった。

 降りていくにつれて雨の匂いが強くなっていくが、それを口にするのはよしておくとしよう……








 同刻 繁華街近郊


「海岸の方、何がありますかねー」

「さぁ、そりゃまだ行った本人達にしか分からんが、新人達はまたゴミ拾いじゃないか?」

「あー……懐かしいですねー。私もゴミ拾いに明け暮れる時期があったなー」

「海岸なら漂流物も多いだろうから大変だろうな。俺が新人の頃は山も多かったけどあれも中々だぞ、不法投棄も多いし」

「おお、エディ先輩もー……やっぱり誰でも通る道なんですねー」

 繁華街班はバスで繁華街付近まで移動した後、徒歩で進行していた。調査地へ赴く道すがら、同班の先輩と軽く会話を交わす。

「こっちはどうですかねー?繁華街が近いからゴミが多そうなイメージですけど」

「いや、繁華街の治安は良いし清掃も行き届いてる。さっき通ってきた時に見たろ?」

「あー確かに?」

「それに調査対象の近郊は昔はまっさらな平地で、最近ぽつぽつと住宅が建ったぐらいだから人通りも少ない。そう散らかってはないと思うぞ」

「へーなるほどー」

「サリア……聞いてるか?」

 間伸びした返事をしていたら、そんなことを言われてしまった。

「聞いてますよ……」

 繁華街近郊調査。

 迷子遺物ユニパーズは何も人気ひとけのない山や海にばかりある訳ではない。

 今日の調査は近郊ではあるが、こうした人の多い街中にだって正体の分からない物品が転がっている。実際、数は多くないが報告もある。

 ただ、見つかるものは小さい物が多く、内容的に危険とはいえないものばかりだ。

 そういった危険性のないものや小さいものは直接回収されてセンター内で解析を行う。こうして調査班を組んで現地へ赴くのはある程度の大きさを持つか、全く未知の遺物の報告があった時だけだ。


「先輩、今回の迷子遺物ユニパーズって……」

「ん?あぁ、サリアはまだ見てないのか」

 これだ、と差し出された写真を受け取る。

「……なんですかこれ?」

 遺物。そうだ、会話の流れからしてもこの写真に写っているものは間違いなく迷子遺物ユニパーズだろう。だが、それを踏まえても一切の理解ができなかった。迷子遺物ユニパーズといえど、その外見には多少は何かしらもち得る概念と一致する部分がある。例えば車輪のような形だったり、引き金のようなものがあったり。

 だがこれは……

「さぁ?俺に聞かれても。とにかく、現地に行ってみんことには何も分からん」

「うーん、そうですよね……うーん……あの先輩、これって」

「ああ、おそらく完全迷子遺物ペルフユニパーズに登録されるだろうな。今日は長くなるぞ」

「げぇ……」

「まぁそう落ち込むな……今度飯奢ってやるから」

「言いましたね?」

 仕方がないなという顔をして、歩きながら近くに良い店はないか物色する。繁華街からは少しばかり離れてしまったから、美味しそうなお店が目白押しという訳にはいかないが、2軒3軒と目にはつく。

「先輩、あそこ美味しそうですね。ほらあそこの店」

「お前気が早すぎるだろ……あっ」


 その時、コロコロと胸に付けていた筈のバッジが勢いよく転がっていった。指を差した瞬間に、指か袖かに引っかけてしまったようだ。

 運が良いのか悪いのか、転がっていく先に人影が見える。

「あっ、やば!」

 素早くバッジを追いかけるが、どうやら間に合わないみたいだ。コツンと見知らぬ人の靴に当たってしまう。バッジが拾い上げられるのと同時に、ようやく追いついた脚を止める。

「あ〜ごめんなさいバッジ落としちゃってー」

「ふふふ、失くさなくて良かったわね」

「あ〜ありがとうございます!……わぁ」

 不意の感嘆に、拾い主は少しきょとんとしてこちらを見る。それは、バッジを拾ってもらったことへの安堵からではない。

 その、美しい薄赤紫の髪に思わず声が漏れたのだ。

「髪……きれいですね……」

「ん?あら、ありがとう。お嬢さんこそ可愛いわよ」

「えへへ、ありがとうございます」

「そのバッジ、総合遺物管理センターの方?」

「あ、はい!そうです!」

「やっぱりそうだ、お嬢さん優秀なのね」

「えっ?いやーそんなー私なんてまだまだですよー」

「ふふふ」

 そんなことないわ、と言って女性はまた微笑んだ。その笑顔は軽快ではつらつとしている様にも、優しく包み込んでくれる様にも思える。

 すごく、綺麗な人だ。

「じゃあ、そんな優秀なお嬢さんにひとつ聞いてもいい?」

「?——はい!なんでも聞いてくださいっ」

「管理センターにね、緑色の目をした女の子って居るかしら」

「えっ?うーんそうですねー。緑色の目の女性なら先輩に一人いますけど……女の子?ではないですかねー」

「そっか……」

「人探しですか?」

「ええ、返さないといけない物があるの」

 そう言って、彼女は手提げの鞄から小さな円筒を取り出した。

「水筒?」

 でも、と彼女は続ける。

「名前どころか何処の誰だったかも覚えてなくて……情報がこれだけじゃ人探しの依頼を出せないし、掲示板を使ってみても全然ダメで」

「うーん、そんなことが……緑色の目は珍しいですけど、流石にそれだけだと厳しいでしょうねー。遺失物として預けるぐらいしか……」

「……そうだよね。お時間とらせちゃってごめんなさい、ありがとうね。」

「いえいえー!あ、帰ったら一応その先輩に水筒失くしたことないか聞いてみますね!」

「ええ、ありがとう。もし何か分かったらここに連絡してちょうだい」

 彼女がペンを走らせて数秒後。手渡された薄褐色のメモ用紙にはTEL番号と、その下には『ルフォンス・ベーグエリア』と書いてあった。

「おーい」

「ママー」

 新しい声がふたつ。左の方から3、4歳ぐらいの女の子を抱えた男性が見えた。

「いま行くわ」

 ああ、どうやら彼女が「ママ」のようだ。

「家族が呼んでるわ、もう行かなくちゃ。えっと……そうだ、お名前聞いてなかったわね」

「サリアです!サリア・カリスト。何か分かったらご連絡しますね、ベーグエリアさん」

「おーいサリア!行くぞー」

 いい加減、こちらも呼ばれてしまった。


 では、と互いに微笑んでお別れ。またすぐに会えるといいな。

 再び歩みを進める途中に、振り返って彼女の方を見る。旦那さんは結構力持ちみたいだ。左腕では子供を抱きかかえ、右の肩には食材の入った袋を掛けている。けれど、その先の右手は薄赤紫の彼女の手にしっかりと繋がれていた。

 なんと微笑ましいことだろうか。

「……何ニヤニヤしてんだ?」

「なんでもないでーす」

 調査から帰ったら、すぐに水筒のことを聞こう。

「見つかるといいな」

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