第10話

 1両編成……といっていいのか、大人7〜8人程で一杯になるような小さな車輌。港から伸びる路面産業鉄道だ。

 今は全く使われていないが、元々乗客が必要に応じて動かしていたもので、燃料さえあれば無人でも半刻程で藍針鉱アズリカイト鉱山へ連れて行ってくれる。



 車輌の状態はといえば、窓なんて最初から無かったのではないかと思う程に硝子は綺麗に割れていて、車内は見事に吹曝だ。

 無尽蔵に潮風が入ってくるものだから、あちこち錆だらけ。

 幸い、備え付けの長椅子は丈夫だったらしく、褪せてはいるが座るには十分なようだ。

 風を受けながら仮眠をとり丁度半刻、目を開けば、ここ数年ではおそらく私だけが見慣れているだろう景色が映る。



 藍針鉱アズリカイトはその名前の通り藍色の針が重なったような結晶を持つ鉱石だ。硬度が高く劈開も明瞭なので、宝石として加工されることが多いそうだ。

 産出地としてこの鉱山も一時期は賑わっていたようだが、資源というのは掘れば当然なくなるもの。十数年前に枯渇して廃坑となったらしい。



 フェンス扉の鍵に手をかける。自分で掛けたのだから、当然開くのだけれど。

 入り口からは、遠近法のお手本のような木枠を岩壁が這っている。それをつたって、少しづつ陽光から遠ざかっていく。

 地下、大人が10人入っても座ってくつろげるぐらいの空間に踏み入る。廃坑になる前は坑夫たちにとっての休憩所兼物置きといった所だったのだろう。

「s───」

 入り口から見て左奥の角。

 片腕でも抱えられる大きさのそれは、いつものように深緑の布を被って佇んでいる。

 布を取り払って目盛りを確認。

 硝子内の液体の量は、適量に保たれているだろうか。視差に気をつけて顔を低く、水平な視線を意識する。

 機械的なところは?配線は?

 大丈夫、正常だ。

 目立った傷や打痕も見当たらない。

 あとは本当に、外に持ち出して起動させるだけだ。

 少し重いが、この軟弱な体でも十分に持ち上げられる。



 入り口の階段を昇って地上に上がろうとしたその時だった。

「……おい、そっちは何かあったか?」

 声が聞こえる。誰だ?

「いや、藍針鉱アズリカイトの屑とボロ布に工具の破片とか……」

「本当にただの廃坑だな」

「ああ、もう早いところ帰ろうか……あっそこの地面、扉みたいなのがあるけど?地下の小部屋か?」

「ん?」

 まずい。

 どこかに隠れなくてはいけないと思ったが、そんなところは何処にもない。

 ギィ……

 慌てる暇もない内に天井扉が開いた。

「あ……子供?」

「ん?誰かいるのか」

 赤い軍服が目に入った。

 敵軍の兵士だ。

 何故こんなところにいる?

「お嬢さんどうしたんだい?こんなところで。この国じゃあ少女が一人で廃坑に来ることはよしとされてんのかい?ん?」

「いや……その、道に迷って……」

「へぇ、そうかい……道に迷ってねぇ……ところで、後生大事そうに抱えてるその機械はなんだい?ちょっと見せて欲しいな」

「触るな……!」

 男が『雨』に手を伸ばしてきた時、つい反射的に強い言葉を放って手を弾いてしまった。

「は……」

「おい、その子の襟のバッチ……研究所の人間じゃないか?」

「え、そうなのか?」

「お前知らないのか?国の機関の科学者は梟の翼をあしらったバッチをつけるんだ。世界共通。多少デザインは違うが、俺たちの国だってあるだろ?」

「でも、この子供が研究者?」

「そういうことだろ。となると……その機械が俄然気になるな」

 2人はより鋭くなった眼差しでこちらに向き直る。

 それから『雨』がこの手から離れるまで、そう時間はかからなかった。




「あ、俺です……ああ、収穫は藍針鉱アズリカイトの残りカスと、俺にはよく分からん機械なんですが……はい、とにかく持ち帰ります。ええはい……子供にひとり遭遇しましたが、まあ、問題ないです。そちらの方は?……了解。……はい」



 薄れる意識の中で男が話しているのが聞こえる。

 右の側頭部から血の流れる感覚。今すぐ止めなければならないが、うつ伏せのまま動けない。それどころか意識がどんどん遠くなっていく。

 ……銃声が聞こえた気がしたが、気のせいだったろうか。拍子にほんの一瞬意識が昇りかけたが、そのぐらいではもう戻れないぐらい深く沈んでいった。






 暗闇の中、仰向けで浮かぶ体。

 この上ない脱力を感じながら、高い視点で過去のフラッシュバックを眺める。

 走馬灯だろうか。

 丸くて両腕でも持ち上がるか分からないぐらいの機械、何だっけ……そう、霧?いや雨だ……雨。

 中心に捉えた機械がどんどん形を変えてながらシーンが切り替わっていく。研究の中で少しずつ小さくなっていったのだっけ。

 最後によく知った、片腕で持ち上がるぐらいの私しか知らない形になる。

 シーンが切り替わり続けて、遂には暗転した。だが『雨』だけはそこに留まっている。

 痛みの走る体を動かして手を伸ばす。

 少し歩いた……のかも分からないが、少し動いただけで息切れがする。もう少し、もし少し。

 倒れ込むようにして『雨』に手をかけようとしたその時『雨』は俊敏にその位置を変えた、人の腕の可動域の中でできるぐらいの移動。必死に目で追った。

 しかし、次の瞬きで『雨』は同じ大きさの果実に変わっていた。それを見た時、朦朧の中でもしっかりと失意を感じることができた。

 届かない手はそのままに、視線だけを動かしながら倒れ込む。

 倒れ込んだ先は、女性の腕の中だった。

「ちゃん……」

 その声で明転。

 夢から醒めた感覚があった。

 光のもやが消えても視界の色は変わりない。

 だが知っている。その白色は軍病院の天井だった。

「あ……」

「ミオちゃん!」

 腕の主はすぐに分かった。薄赤紫の長髪が顔に触れたからだ。

「ルアさん……」

「ミオちゃん、よかった……」

 お互いの左耳が触れ合う形で、強く抱きしめられた。私もそれ応えるように背中に腕を回そうとするが、左腕の痛みにその動きを止められた。

「……っ」

「あっごめんなさい、大丈夫?」

「うん、大丈夫。ルアさんのせいじゃないですよ」

 首から吊られた左腕には包帯が巻かれ、肘を中心として白い肌を隠していた。痛みの訳はそこだ。

 抱きしめた拍子に圧迫してしまったと思ったのだろう、申し訳なさそうな顔をする彼女の手を取って微笑みかける。

「ルアさんが、見つけてくれたんですか?」

「いや……ううん、工事の作業員さん」

「工事?」

「うん、産業鉄道の撤去工事が近々あるらしくて視察してたんだって。そしたら敵兵2名とバッタリ。同行してた兵隊さんが対応したって聞いてる」

 撤去工事……そうか、無くなってしまうのか、あの鉄道は。

 工事が始まったら、廃坑に近寄れなくなるかも知れない。

 銃声が聴こえた気がしたのは同行した兵のものだったのだろうか。

「そうだ、私どれくらい眠っていたんでしょう……今何時……ん」

 内ポケットに入っていたはずの懐中時計が無い、あの時廃坑で落としてしまったのだろうか……

「丸2日……経ってないぐらいね、今はお昼の2時」

「2日……」

 2日、2日か。

 感覚的にそうかとは思ったが、そう途方もない時間が経っている訳ではないようだ。しかし、何かを失ったり、事が動いたりするには十分な時間だ。

『雨』は一体どうなったのだろう。


「あの、ルアさん」

「ん!どうしたの?お腹空いた?」

 彼女は私に気を使わせないよう、そんなことを言って気丈に振る舞ってくれている。

「あはは……それもありますけど、そうじゃなくて」

「その、廃坑の近くに何かが落ちてなかったか聞いてませんか?」

「うーん……そうだなぁ特に聞いてないけど、何か失くしたの?落し物なら明日処理班の人が見つけてくれるんじゃないかな?」

「そう……ですよね、回収されますよね。いえ、何でもないです」

「うん、きっと見つかるよ……あっ、そうだ私お医者さん呼んでこなきゃ」

 じゃあすぐ戻ってくるね。そう言って出て行くルアさんを見届けて、少し考えを巡らせる。

 ダメだ。

 懐中時計の方なら回収されてくれれば願ったり叶ったりだが、言うまでもなく『雨』を回収される訳にはいかない。

 ケイさんと私の全てをかけた傑作だ、仮に回収されたとしても直ぐに誰かがどうこう出来るものではないが、一刻も早く回収しなければ。

 それに、今この世で私以外の誰かが『雨』に手を触れることなど二度と許さない。

 探しに……行かなければ。

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