第二章 【カラフル】始動

第7話 どん底からのスタート

 次の日、教室には普段と変わらない眼鏡姿の禅が席にいた。前の席に視線を移す。音羽はまだ登校していないようだ。


「よっ! 禅、おはよ」

「響、おはよ」


 俺が禅に向かって手を上げ挨拶をすると、アイツは軽い挨拶だけ返した。俺もそれ以上は何も言わず席に着き、一時間目の準備をするため鞄の中身を出し始めた。

 俺から少し遅れて今度は音羽が教室に入ってきた。音羽はこちらを全く見ず、自分の席へと真っ直ぐに向かった。俺は耳だけをそちらに向ける。音羽が椅子を引きながら後ろの席の禅に挨拶している声が聞こえてきた。


 二人は、バンドは組んでも学校での俺とのスタンスまで変えるつもりはないらしい。少し冷たい気もするが、三人で秘密を共有しているようで逆にワクワクするから良しとしよう。



 昼食を食べ昼休みになると俺はこっそりと教室を出た。しかし、廊下に出たところで待ち伏せしていた隣のクラスの女子に捕まってしまった。

 声をかけてきたのは《東雲美歌しののめ みか》。ストレートの長い髪、長いまつ毛に大きな瞳、そして誰をも惹きつける笑顔の持ち主で、一年生の頃からずっと‟学年一”と噂されている美少女だ。


「あっ! 響くん、見〜けっ! ねぇ、どこ行くの〜?」

「ん? ちょっとトイレにね」

「ねぇ、今日放課後一緒に遊びに行かない?」

「あー……、ごめん。放課後は用事がある」

「そっか〜! じゃあまた今度ね〜!」


 人が『トイレに行く』と言っているのに、構わず話しを続けるのは、いくら美少女とはいえども如何なものかと思いながら、俺はトイレの前を通り過ぎ、本来の目的地である屋上へと向かった。



「響、遅いよ〜」


 先に着いていた禅が口を尖らせる。その横には音羽もいて、こちらを見ないまま黙々とフルートの手入れをしている。


「ごめん! 東雲に捕まってた!」

東雲さん?」


 クロスを持った音羽の手がピタッと止まり、禅の方を見た。


「誰それ?」

「あぁ、音羽さんは興味ないか。東雲さんは‟学年一の美少女”って噂されてる子だよ」

「ふ〜ん……」


 音羽が黙り込むと屋上は謎の沈黙に包まれ、グラウンドでサッカーを楽しむ男子たちの声が異様に響いて聞こえた。


「よ、よしっ! 第一回【カラフル】作戦会議を始めようぜ!」


 この沈黙に耐えかねた俺は、ノートとペンを手に話し始めた。


「まず目標なんだけど、目標は‟文化祭ステージ”にしようぜ!」

「えっ!? かなりの大舞台だね」

「今年で卒業だし、最後に思いっきり驚かしてやろうぜ!」

「僕はいいけど、音羽さんもそれでいい?」


 音羽は手入れの終わったフルートを満足そうに眺めながら『いいよ』と頷いた。


「ねぇ、練習場所はどうしよっか? 三人揃うと大音量だからスタジオ借りる? でもそれだとお金がかなりかかっちゃうよね……」

「練習は俺の家でやろうぜ! 防音室があるからどんだけ出しても問題ないし!」

「ご両親は大丈夫なの?」

「あぁ、二人とも仕事で夜まで帰らないから」


「匹田くん、ご両親帰るまでは家でずっと一人なの? 淋しくないの?」


 音羽がフルートを大事そうにケースに直しながら、突然そんなことを尋ねてきた。


 俺の親は二人とも医師だ。だから夜まで帰ってこないなんて普通だし、小さい頃からそんな生活だからもう慣れ切ってしまっている。


「夕方までは家政婦さんがいるから大丈夫」


 そう答えると、音羽は『ふ〜ん……』と言いながら黒い瞳で俺の目をじっと見つめた。

 俺は何だか心の奥底を覗かれているような感覚になり、嘘なんてついていないのになぜか目をそらしてしまった。


 その時、ちょうどタイミングよく昼休み終了の予鈴がなった。

 俺たちは立ち上がると、『今日の放課後、俺の家集合な』と約束し、バラバラに教室に戻っていった。



 授業中、いつもどおり空を眺める音羽のことを横目で見ながら、俺は屋上でのことを思い返していた。

 『大丈夫』と答える俺を見つめたアイツの瞳は、“それは本当の気持ちか?”と問うているようだった。


 両親がいないのは当たり前だし、今さらそれを‟淋しい”なんて思うわけないだろ……。


 俺は視線を黒板に戻すと、いつもどおり優等生として授業を受けた。




 あっという間に放課後になった。俺は一足先に家へと向かう。


「響さん、おかえりなさい」

「ただいま。このあと友達が来るから飲み物をお願い」

「お友達をお誘いになるなんて珍しいですね。お父様たちが聞いたらさぞかしお喜びになることでしょう」

「頼む、父さんたちには黙ってて」

「……? かしこまりました」


 俺は急いで部屋に上がると、一応二人……、特に音羽に見られたらマズい物はないか再度確認した。

 しばらくして玄関のチャイムが鳴り、家政婦さんが客人を迎える声がした。



「はぁ~、それにしても立派なお家だね」


 禅は俺の部屋に入るなりため息交じりでそう言うと、音羽と一緒に床に座った。

 それから練習のための水分補給と糖分摂取(要はジュースとオヤツだ)を手早く済ませると、三人で防音室に向かった。



「まずは三人がどんな音を出すのか順番に聞いてみようよ」


 禅がそう提案したので、一人ずつ簡単な演奏を披露することにした。


 まずは禅の津軽三味線。

 ――高音でキレがあるが柔らかな和風の音


 次に音羽のフルート。

 ――禅と同じ高音だが、こちらは軽やかで丸みを帯びた洋風の音


 最後に俺のドラム。

 ――スネアの乾いた音とハイアットやシンバルの高い金属音


 各々の演奏が終わると三人はお互いの顔を不安げな表情で見た。


「えっ……、こんなバラバラな音でバンドとして成り立つの……?」


 どうも俺たちのバンドはどん底からのスタートのようだ。

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