第2話 春はまだ寒い(二日目)

 翌朝——。今日はどんより曇り空。今にも雨が降りそうな予感。

 昨日と同じ時間帯にバスへ乗車。発車まで三分前。車内は既に満席。体幹が絶望的の俺にとって二日連続の地獄。足が笑っちまう。

 「——やあ、昨日ぶりだね。優クン」

 背後から名前を呼ぶ声。俺は反射的に後ろを振り向く。

 「おはよう♡」

 こちらも二日連続。昨日のギャルと再会。今回は息を切らさず、余裕がある感じ。蠱惑的な笑みで朝の挨拶。

 「——お、おはようございます」

 何故だろう。この人の顔を見ると、やたらと胸が高鳴る。俺って女性に免疫がなかったけ?

 「四月とはいえ、朝は冷え込むねぇ」

 真っ白な太ももを震わにするギャル。

 下は昨日と同じホットパンツ。相変わらず丈が短く、パンツが見えそう。

 下も寒そうだが、上も寒そう。今日は異常に布の面積が少ないトップスを着用。面積が少なすぎるがあまり、僅かに南半球(下乳)がはみ出ている。最早、これは水着の類。普段着にするには無理がある。警察に補導されないか心配になるレベルだ。

 「なんか、目がヤラシイ~」

 「え⁉」

 「そこまでガン見されると恥ずかしいなぁ」

 これは不覚。すっかり彼女の服装に目を奪われていた。

 「すみません!」

 「うふふ……」

 ギャルは狼狽する俺を見て、再び笑みをこぼす。

 『——まもなくバスが発車します。ご注意ください』

 無機質な音声で発車アナウンス。乗車口の扉がゆっくりと閉まる。

 「そういや昨日、これ返し忘れてたね——」

 ギャルはそう言うと、自分の胸に片手をつっこみ、谷間をまさぐり始める。まさか——、

 「ハイ、キミの学生証」

 谷間から取り出しものは、俺の写真が載っている学生証。学生証が出てきた瞬間、豊満な胸が弾む。

 「——」

 俺は衝撃的かつ刺激的なシーンを目の当たりにして放心状態。言葉を失う。

 リアルであんな所に物を入れている人がいるなんて驚きだ。てっきり二次元の世界だけかと勘違いしていた。

 「ほら、早く受け取ってよ。要らないの?」

 「——あ、ああ。要ります、要ります!」

 ギャルの声が耳に入り、正気を取り戻した。慌てて、学生証を受け取る。学生証が二枚に増えた。

 「ハァ、今日も頭が痛くてダル~い。サッサと講義済ませて家に帰りたい」

 「彼氏さんとまた——」

 「いや、昨日はヤってない。ヤる予定だったけど、彼氏がバックレた」

 「——」

 「頭痛は単純に低気圧のせい。天気が悪いと、いつも体調を崩すんだ。俗に言う『気象病』っていうヤツ? 男にはピンと来ないか」

 「——」

 昔、母親から女性は気象の変化に敏感な生き物だと聞かされたことがある。低気圧が近づくと、忽ち頭痛や眩暈、耳鳴りなどの症状を引き起こす。女性は男性と比べて筋肉量が少ないにも関わらず、ファッションで薄着を着たがる。気象病は冷え性も相俟って、悪化するらしい。

 目の前のギャルの場合、気象病も影響していると思うがそれ以外にも頭痛の原因がありそう。笑顔で誤魔化しているが、どことなく顔がやつれているように見受けられる。目の下の隈が何よりの証拠だ。

 「最近、寝不足なんですか?」

 「確かにここ数日はまともに寝れてないかな。でも、心配しなくてもダイジョーブ。私の体はそんなヤワじゃない。他の女と比べてタフだからね」

 「そ、そうですかね」

 そういうことを言う人に限って、信用できない。数日後に倒れて救急車で運ばれるのがオチ。平気そうに振る舞うのも、限度がある。昨日よりも顔色の悪さが顕著だ。

 「——きゃっ⁉」

 車内が大きく揺れる。窓の外を見るとちょうど、坂道でカーブを曲がったところだった。大きな揺れではあるが、並みの筋力なら充分耐えきれる衝撃。だが、目の前のギャルはバランスを崩し、こちらの方へ倒れてきた。

 「おっとと……」

 咄嗟に彼女の体を受け止める。想像以上に体が軽い。ちゃんとご飯を食べているのか不安になるぐらいに。

 「——ゴ、ゴメン」

 俺の腕に埋もれるギャル。小さい声でボソッと謝罪。モゾモゾと身をよじる。

 「あ、そのこちらこそゴメン。軽々しく体触っちゃって!」

 遅れて事の重大さに気づいた俺は、見苦しく狼狽する。急いで、ギャルを体から離す。

 「別に私、イヤじゃないよ。むしろ、ありがとう」

 正面に向き直ると、彼女の眩しい笑顔が目に飛び込む。頬がほんのりと赤らんでいるような気がする。

 「「——」」

暫く沈黙の時間。お互い見つめ合った状態で、バスに揺られる。不思議と気まずさはない。むしろ、心地良い。理由は分からない。

 「なんか、私たち初めてじゃないみたい」

 「え?」

 「昔にもこういうことがあったようななかったような……? 既視感かな」

 ギャルは照れ隠しではにかむ。「急に変なこと言ってゴメンね」と再度、謝ってきた。

 「俺も同感。前もこういう経験したような感覚がある。なんだろう?」

 「——」

 ギャルは俺の言葉に目を見開く。そして、自分の表情を隠すように俯いてしまった。

 「二人、同じだね」

 「うん」

 二人の間になんともいえない甘い空気が流れる。近くにいた乗車客は微笑ましく、俺たちを見守る。ちょっと恥ずかしい。

 「優クンって、いつもこの時間帯のバスに乗るの?」

 「だいたいね」

 「なんか、大変だね。フル単なんでしょ?」

 「うん。去年はだいぶ講義をサボちゃったから、今年で一気に挽回しないと」

 「うふふ。ガンバ」

 たった数分で二人の距離感が縮まった。さっきまでの緊張が薄れて、フランクに彼女と話せるようになった。不思議だ。

 「明日、また会えるよね?」

 「明日は週末だから会えないと思うけど……」

 「あ、そうだった」

 舌ピーがキラリ。「これはうっかり♡」とお茶目に舌を出す。

 俺は不覚にも、胸がキュンとなる。

 ダメだ。理性を保て。これじゃ、まるで初心な男の子じゃないか。俺は唇を嚙み締め、危うく綻びそうになった表情を引き締める。

 『——次は××大学~、××大学。終点です』

 ここでバスのアナウンス。到着を報せる。助かった。これ以上彼女と長くいると、下心を芽生えそうだ。容易く心臓を撃ち抜かれる。

 安堵する俺とは対照的にギャルは残念そうに、肩を落とす。もう少し俺と一緒にいたかった模様。

 「駅から大学までってこんなに近いの?」

 「片道三十分だから決して近くはないよ。どっちかというと遠い」

 「私からすれば全然近い。短い。理不尽!」

 「えぇ……」

 ギャルは愛らしく頬を膨らませ、顔に不満を滲ませる。涙目だ。

 「明日も優クンと会いたいよぉ……。うぅ」

 「週明けにはまた会える。そこまで我慢」

 「——チクショ」

 自分でも驚くぐらい自然体で彼女と喋れている。さながら、仲の良い幼馴染と会話しているような気分に陥る。あとちょっとで、会話が弾みそうだ。

バスが停まる。乗客が一斉に立ち上がった。

 「なあ?」

 「ん?」

 ギャルがバスを降りようとした直後。無意識に彼女を呼び止める。

 「今度、大学行く時は厚着にした方がいい。春はまだ冷えるから」

 「——クスッ。分かった」

 「バイバイ」と小さく手を振るギャル。俺を置いて、遠くに姿を消す。

 ちょっとお節介だったかな——。若干の後悔と羞恥を残し、バスを降りる。

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