第16話 願い事

 目が覚めたときソフィアは暗闇の中に居た。

 暗く寒い、深海のような暗闇。

 すぐ近くに集められた光る枝だけが、焚火のようにソフィアを照らしていた。


「起きた?」


 声の主はほのか。

 いつものように、感情の薄い顔でソフィアを見つめている。

 その姿を見た瞬間。ソフィアは、ほのかに抱き着いた。


「ほのか! 心配したんですよ!」


 ソフィアの目からぽろぽろと涙がこぼれる。

 ほのかなら心配ない、大丈夫だ。

 ソフィアは自分に言い聞かせていたが、本当のところは心配だった。

 何かあったらどうしよう。死んでしまっていたらどうしよう。

 ずっと、そんな不安を押し殺していた。


「ごめん。遅くなった」


 ほのかはソフィアの頭を優しく撫でる。

 自分だってぼろぼろの体なのに。

 それを感じさせないように優しく微笑んで。


「この後はどうするの?」


 この後。

 その言葉を聞いて、ソフィアの体がこわばった。


「……帰ります。帰って、お店は閉じます。どうせお客さんなんて来ませんから。またボルバーさんのところで、黒焔重工で働かせてもらいます」


 もうウルヌイエでソフィアに出来ることなどない。

 そもそもルイエの依頼でここまでやってきたのだ。

 ほのかを探すためにウルヌイエに入ったのだ。

 そのどちらも終わった。

 これ以上ソフィアが残る意味などない。


 そして帰ったら店を閉じる。

 どうせ誰にも必要とされていない。

 それよりも黒焔重工に戻って働く。

 そうすれば人と関わらなくていい。

 ずっと部屋の中で、一人ぼっちで魔道具を作る生活に戻るだけ。

 それでいい。


「ルイエって子と友達になったんでしょう? その子が死のうとしてるんだよ?」


 このままならルイエは死ぬ。

 ウルヌイエを殺す。その引き換えに命を失う。

 そんなことはソフィアが一番、分かっている。 


「友達だと思っていたのは私だけでした。それに本人の意思です。私が関与することじゃないでしょう」


 ルイエ自身が決めたことだ。

 国のために命をかける。王族としての責務を果たす。

 ソフィアが口を出せることではない。


「このままじゃ、悪い奴らが力を手に入れるんだよ?」

「戻った船が助けを呼んでいるはずです。私がどうにかしなくたって、誰かが何とかするでしょう?」


 悪い奴らと戦う。

 そんなのはソフィアがやらなければならないことじゃない。

 どこかの誰か。もっと力のある人がやることだ。


「……本当に帰るつもり?」

「そう、言ってるでしょう」


 ここで終わりだ。

 ソフィアがやるべきことなどない。

 戦う必要なんてない。

 救うべき人なんていない。

 なのに、


「もう一度だけ、ルイエさんと話してみようよ?」 


 ほのかは諦めてくれない。

 どうして、ソフィアを行かせたがるのか。


「嫌です」


 ほのかが頭を撫でる。

 優しく、さとすようにソフィアに話しかける。


「お嬢様だって、本当は分かってるはず。ルイエさんを助けに行かなきゃいけないって、悪い奴らを止めなきゃいけないって」


 なぜそんなことをソフィアがしなければならないのか。

 ソフィアは頑張った。その結果がこれだ。

 これ以上、何をしろと言うのか。

 じわりと、ソフィアの中に怒りがにじむ。


「このまま帰って、お店を辞めて、また引きこもるの? そんなの逃げてるだけだよ」


 うるさい、うるさい、うるさい。

 ソフィアの中に、暗い感情が湧き上がる。

 正論を振りかざすな。

 押し付けるな。

 辛いこと、苦しいことから逃げて何が悪いんだ。

 そんなのは個人の自由だろう。


「お嬢様の辛い気持ちは分かるけど――」

「なにが分かるんですか?」

「え?」


 何が分かるんだ。

 勝手に分かった気になるな。

 何も知らないくせに、何も分からないくせに。勝手なことを言うな。

 ソフィアのふつふつと煮えたぎった怒りが、


「ほのかに何が分かるんですか!?」

 

 爆発した。


「私だってルイエさんを助けに行きたいですよ!! ずっとウルヌイエを一緒に冒険してきたんです! 仲良くなったと思った、友達になれたと思った! なのに――」


 裏切られた。

 拒絶された。

 片腕を切り飛ばされ、殺されかけた。

 信じた人に裏切られるのが一番つらい。


「こんな思いをするなら魔導師になんて憧れなければよかった! 店なんて開かなければよかった! ルイエを信じなければよかった! ずっと、一人で引きこもってればよかったんです」


 そうすれば、辛い思いはしなかった。

 憧れなんて持たなければ、夢なんて見なければ、人なんて信じなければ。

 暗い部屋の中に居れば、こんな思いはしなかった。


「もしかしたら、ルイエさんは私を待ってるかもしれない。助けを求めてるのかもしれない。でも、どこにもそんな証拠はないんです」


 勝手な希望を持って、裏切られたら?

 そう思うとソフィアの足がすくむ。

 裏切られたら怖い。

 なら初めから、希望なんて持たなければいい。

 夢なんて見なければいい。


 それがソフィアの出した答えだった。


 静寂の中。

 ほのかがソフィアの顔を上げた。

 その頬を優しくなでる。

 まだ、何か言うつもりなのだろうか。ソフィアの叫びを聞いても、その気持ちが分かると言うのだろうか。

 それとも怒られるのだろうか。

 身構えるソフィア。

 ほのかはその口にキスをした。

 それは乙女のように初々しく、けれども強引だった。


「!?」


 わけが分からない。

 どうしてそうなるんだ。

 ソフィアの目がグルグルと回る。


 そしてたっぷり数秒。

 二人はその唇と重ねる。

 湿っぽい音と共に、二人の口が離れた。


「お嬢様」

「ひゃ、ひゃい!」


 ソフィアの上ずった声。

 心の中ではあたふたと状況を整理している最中だ。


(何ですか? 告白ですか!? このタイミングで!?)


 ソフィアが今度は別の方向で身構える。

 ほのかの真剣な瞳がソフィアを見つめる。

 そして、


「そんなの知らない」

「は?」


 それは告白でもなんでもなかった。

 ほのかは心底、興味もなさそうに続けた。


「私はルイエなんて子と会ったことないから、そんな子が死のうが生きようが興味ない。悪人共が何をしようと、どうでもいい」


 ひどい言い草だ。

 だが事実なのだろう。

 あったこともない人間の死に悲しみなど覚えない。

 ほのかは悪事にいちいち怒るほどの正義感もない。


「正直に言えば、お嬢様がどんなに辛いかも分からない。だって他人は他人だから。お嬢様の気持ちなんて想像しかできない」


 ならば、どうしてソフィアにルイエを助けに行かせたがるのか。


「私ね。お嬢様のことが好き。大好きだよ。仕える主人として、友達として、愛する人として。だってお嬢様は私の願いを叶えてくれた魔法使い様だから」


 ほのかはスラムで捨てられていた。

 それをソフィアが拾った。

 ソフィアにとってはなんてことなかった出来事。

 ただ使用人を雇っただけ。

 だが、ほのかにとっては違ったのだろう。


「どん底に生きてた私を救ってくれた。生きる道をくれた。手足をくれた。普通の女の子として、普通に幸せになりたいっていう願いを叶えてくれた」


 ほのかにとって、ソフィアは夢を叶える魔法使いで、自分にとっての王子様なのだろう。

 白馬に乗ってさっそうと助けに来る。かっこよくて素敵なヒーロー。


「だからお嬢様。もう一度、願いを叶えて。ルイエさんを助けに行って。泣いている女の子を助けて、悪い奴らをやっつける。そんな理想のヒーロー、私の大好きなお嬢様でいて」


 それはドコまでも身勝手な願い事。

 流れ星だって押しつけがましいと思うだろう。

 だけど、ソフィアの口からは笑いがこぼれた。


「ふ、ふふ、本気で言ってるんですか?」


 身勝手で、バカらしくて、押しつけがましい。

 盲目的な恋に落ちた乙女のような願い事。

 それがいっそのこと、清々しかった。


 ソフィアは考える。

 本当に大事なのは、自分が何をしたいかだ。

 それではソフィアがしたいこととはなんだ?

 店を辞めて引きこもる事か。ただ誰にも会わずに魔道具を作る事か。

 そんなわけがない。

 助けたい。ルイエを死なせたくない。

 だが拒絶されたら? そう考えると足がすくむ。

 だからどうした、拒絶されようとぶん殴ってでも止めればいい。

 恨まれようと、嫌われようと、知ったことか。

 自分がしたいから、そうするんだ。


 願いは決まった。


「ルイエを止めに行きます」

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