第8話 深きものども

 それは慟哭どうこくだった。

 男が悲しみに泣き叫ぶような声。


 声の主を探せばそこに居たのは巨大な人。

 いや、人型の竜だ。魚の様に面長で、しかし人に似ている。前面についた目がらんらんと輝き、黄ばんだ錆びた歯をむき出しにしている。

 やせ細ったような体にはびっしりと青黒い金属のうろこが生え、異常に長い手足には水かきが付いている。

 薄暗い水槽の底。黒い塔を抱きながら天に向かって泣き叫んでいる。

 いや、泣き叫んでいるわけではないのだろう。よく聞けばそれはエンジン音。

 ウォォォンと、けたたましいエンジン音を響かせている。


 その魚人のような竜の目が、暗い底でらんらんと輝く二つの光が、ソフィア達を捉えた。

 ぞわりと肌が震える。

 あれはまずい。本能が叫んでいる。あれはまずい!


 遅かった。

 巨大な魚人竜は一気に浮かび上がり、ソフィア達のいるガラスの通路にへばりついた。

 エンジン音が鳴り響く、ソフィア達の内臓まで震わせる。


 しかしガラスの通路が壊されるようなことはない。


「な、なにこいつ」

「わ、分かりませんが、この通路を壊すつもりはないようです。早く逃げましょう」

 

 その時、キュィィンと音が鳴った。

 ソフィア達が入ってきた扉が開いた音だ。

 そちらを向けば、あふれた。


 目の前にいる巨大な魚人竜。それを2メートルくらいまで小さくしたような竜。

 それが洪水の様にあふれ出た。


 気味が悪い。

 やつらは人のような形をしているのに、その動きは獣のようだ。

 手を床について犬のように走り、ソフィア達に殺到する。


「ッ!」


 とっさに結晶の壁を展開する。

 その壁に魚人竜たちは阻まれる。

 だが、終わりじゃない。


「なによ、あれ」


 ガシャ、べちゃ、ガシャ、べちゃ。

 魚人竜たちは自分の仲間が潰れることも気にせずに壁に激突する。

 竜から飛び散ったオイルのような、ぬるぬるとした赤黒い血が結晶の壁を染めていく。

 異常な執着。理解できない。怖い。


 ピシリと、結晶の壁にヒビが入った。


「走って!」


 茫然ぼうぜんとするルイエの手を、ソフィアは引き走り出す。

 それと同時に結晶の壁が割れる。

 決壊したダムのように魚人竜が流れ出る。


 向こうの方が足が速い。

 ソフィアは結晶の壁を展開するが、同じように割られる。

 このままでは追いつかれる。


「さっきのバイクは!?」

「作るのに数秒かかります! 走りながらは無理です!」


 まずい。まずい。まずい。

 このままでは追いつかれる。

 数が分からない状況で戦うのは得策じゃない。

 だが命乞いを聞いてくれるような相手でもない。


 どうする。どうすれば。


「ソフィア! あれ!」


 ルイエが指さす。

 そこには魚型の竜が背中を向けている。ストルが戦っていた『シーモビル』だ。

 挟まれた!


 顔をゆがめたソフィアだが、ルイエは逆だった。

 そこに希望を見出す。

 魚竜を見て笑う。


「ソフィア! あれに飛び乗って!」

「えぇ!?」

「いいから! 私を信じて!」


 二人はジャンプすると魚竜の背中に乗る。

 ルイエが前でソフィアが後ろ。

 その背中にはちょうど人が乗れるような、くぼみがあった。

 そして驚いた魚竜は尻尾から勢いよく水を出す。

 その勢いで床を滑る。


「うぇ、ぬるぬるしてる」


 ルイエは嫌そうな顔をしながらも、魚竜の背中から伸びた突起を握る。

 ルイエがその突起を動かすと魚竜の尻尾も動く。


「この竜のもとになったのは水上バイクなの。こんな風に人が乗って、水上を走るためのバイクね。だから背中の骨と尻尾が連動していて、操作できるようになってるの。ちょっと抵抗されるけど!」


 これならば魚人竜よりも早い。

 逃げ切れる。

 ソフィアたちは水槽の底へと進んでいく。少しずつ、周りは暗くなっていく。


 そして終着点。金属の壁に大きな扉。


「吹き飛ばします!」


 ソフィアが手を構えると大砲が形成される。

 ドン!

 圧縮した空気を爆発させて結晶の砲弾を撃ちだす。それは扉にぶつかって、ボンっと音を立てて爆発する。

 扉が吹き飛び道が開けた。


 魚竜に乗ったソフィアたちはそこに飛び込む。

 そこは廊下。光る枝が輝き、入り口の通路よりも明るい。

 そして壁にはいくつもの扉が並んでいる。

 本当ならば一部屋づつ調査をしたいが、そんなことを言ってられる状況じゃない。


「曲がるわ! 捕まって!」


 ソフィアはぎゅっとルイエに抱き着く。

 狭い廊下は入り組んでおり、右に左に曲がっていく。


「まだ追ってきてる!?」

「残念ですけど!」


 後ろを向けばまだ魚人竜たちは追いかけてきている。

 少しずつ差は開いているが。


 ソフィアは手元に銃を形成する。

 ズダダダダ!

 乱射するが、前方の魚人竜たちが転んだくらいで、後ろから次々にわき出てくる。

 無駄ですか。


「左から!?」


 ルイエの声に反応して前を向く。

 左右に分かれた通路。その左側から魚人竜が飛び出す。


 とっさに銃撃。

 さらに水晶の壁を展開して、それ以上竜が来ないようにする。


 しかし曲がるのが間に合わなかった。

 魚竜は勢いよく壁に衝突して、ソフィア達は投げ出される。


「こっちに!」


 二人は近くにあった扉に飛び込む。

 そこはパイプがむき出しになった通路。足元も金網でできている。

 ガシャガシャと音を立てて二人は走る。


「ッ! まずいわね……」


 その先にあったのは、ぽっかりと開いた縦穴。

 底は見えない暗闇だ。

 さらに、


「あのクラゲ、触れたら感電死しそうね」


 穴の中。空中をふわふわと泳ぐのは小さなクラゲのような竜。

 黒いゴムのような質感の体。そこからバリバリと放電している。

 それがなん十匹も。穴をふさぐようにびっしりと浮かぶ。


 しかし、それ以外に道はない。

 ガシャンと音がする。魚人竜たちが追いついてきた。


「飛び込みましょう」

「大丈夫なの?」

「おそらく」

「……信じるわよ!」


 そうして二人は穴に飛び込んだ



 ボヨン。

 結晶の球体は地面にぶつかると軽く弾んだ。

 その球からはいくつもの棘が伸び、そこに沢山の金属が巻き込まれていた。


 話はそれるが。

 家に雷が落ちたとしても、中にいる人間は感電しない。

 それは電気が流れやすい方に流れるため。

 人間ではなく、家の中に通った水道管などの金属に流れて行き、そのまま地面へと逃げていく。

 まぁ、金属に触れていれば人間も感電する危険はあるが。


 ソフィアはそれと同じことをした。

 結晶の球体に金属を巻き込み、それを壁に触れさせる。

 そうすることでクラゲ竜たちの電気はソフィアたちではなく金属に、そして金属から壁に流れていった。


 ゆっくりと結晶が溶けていく。

 中からは無傷のソフィア達が出てきた。


 ルイエはどさりと座り込む。


「……怖かった」


 落ちている間。

 常に周囲でバチバチとはじける音が響いていた。

 とても心臓に悪かった。


「上手くいって良かったです」


 ソフィアは落ちてきた穴を見上げる。

 よかった。魚人竜たちは追いかけてはこないようだ。

 ソフィアはホッと息を吐く。


「あいつら、なんなのよ」

「私も見たことがありません。ウルヌイエに生息する特有の竜かもしれませんね」


 ウルヌイエに限らず、古龍が環境に与える影響は大きい。

 その周囲や体内に独自の生態系を築くほどに。


「見つかれば、同じように追い回されるかもしれません」

「じゃあ、見つからないように気を付けなきゃね。特にあいつらの親玉みたいな巨大な竜。アレに勝てる気がしないわ」

「同感です。慎重に進んでいきましょう」


 二人はウルヌイエをさらに進んでいった。

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