Episode2.1 首飾り

 三か月ぶりにひきこもり生活から重い身体を引きずってやってきた首都ガランドの空は、少々広く感じた。体に纏わりつく鬱陶しいほどの太陽の日差しに、灰色の瞳を細めて呟く。


「……なんですか、アレ」


 真っ二つに崩れ落ちたリンゼの時計台。人々に時を知らせる貴重な時計台が悲惨な姿に変わっていたことに思わず歩いていた足を止めた。すると、その呟きに対して露店の店主が豪快に笑った。


「なんだい、お嬢ちゃん。二週間前の騒ぎをしらねぇのかい?」

「ええ、まあ」


 フードを深く被る少女に全く警戒心を持たずに、店主は気さくに話を続ける。


「サンクチュアリの保護官たちが、殺人犯を拘束するために闘った跡なんだってよ。派手にやったよなあ! はっはっはっはっ」

「派手って域を超えてますけど…………はあ。来て早々、胸糞悪いもの見ちゃいましたね」


 周りに聞こえるか聞こえないかくらいの小声の囁きに、店主は「ん?」と聞き返した。が、少女は首を横に振った。軽く礼を言って、足早にそこから離れる。



 行き交う人々の多さに「うっぷ」と口元を抑えながら歩く。来る時間帯を間違えたと後悔しつつも、今日は時間指定の用事があるためやむを得ない。目的地である建物をきょろきょろと探していると、頭上から針のような鋭くも軽やかな声が降ってきた。


「あら、珍しい! どんな心境の変化で人間の街なんかに?」

「ソルティア! 相変わらず不健康そうだネ」


 少女のことをソルティアと呼ぶのは、小さな羽を生やした小人のような何か。目の前をくるくると忙しなく舞ってはソルティアの頭の上で寝そべってみたり肩に小さな顎を乗せてみたり。魔力を持たない人間には見えない彼らを無碍にすることもできないが、こんな街中で相手にすることもできない。それをわかっていて話しかけてきている辺り、本当に厄介な性格だ。


「話しかけないでください」

「やーん、冷たぁい! 良いこと教えてあげようと思ったのに、やーめたっ!」

「絶対、ろくなことじゃない」


 一人でぶつぶつと呟きながらも、ソルティアは歩みを止めることなく進む。香ばしい肉の焼ける匂いや甘い焼き菓子の匂いに気を取られながらもとにかく歩く。


「気が立ってるネ、ソルティア。そんなに短気だと友達ができないヨ」

「大きなお世話ですね。さっさとどっか行ってください。人にもにも気づかれたくありません」


 そう言うと、ソルティアの頭の上に座っていた彼らがふわりと飛び立った。


「ふーんだっ! もういいわよっ。せいぜいには気を付けることね」

「彼らは唯一、君たちを殺せる存在なんだからサ。じゃあネ!」


 今更何を言っているんだろうと疑問に思ったのも束の間、目的の場所に辿り着いた。


 街中にある比較的新しい礼拝堂。一般客向けに開放された低価格の食堂も併設されているようで、老若男女問わず誰でも入れる場所だ。しかし、ソルティの目的はその地下。さらには、そこで行われる闇オークションだ。


 フードを深く被ったまま、礼拝堂に足を踏み入れた。





 参加者の素性が分からないように手渡された仮面をつけて、ソルティアは地下の広いオークション会場の一席にいた。ほぼ飛び入り参加のようなものだから、見やすい席ではないがこればっかりは仕方ない。辺りをそっと見回すとフードに仮面というソルティアとそう大差ない恰好の人ばかりがいた。


「お次の商品は、魔物が多く生息するサンザス山脈の山頂でしか開花しないレタの花です! 無味無臭即死の毒花! 暗殺に持ってこいの代物ですよ! 状態は最上級です!」


 数十分前から始まったオークションだが、ソルティアは早くも眠くなってきた。通常、表で出回ってはいけない違法物を取り扱う闇オークションなどに、興味はない。つまり、森でひっそりと暮らすソルティアが今日わざわざ来た理由は別にあるのだ。


 ふいに本来の目的を思い出してソルティアは舌打ちをした。


「何気なく売ったネックレスがまさか旋風の魔法陣が刻まれた方だったとは、我ながら阿保ですね」


 深く深くため息を吐いて己の軽率さを嘆く。


 旋風の魔法陣はその名の通り、発動すれば突風が現れ辺り一面を切り裂く魔法だ。護身用にとソルティア自身が身に着けるネックレスに魔法陣を刻んでいたのだが、何をどう取り間違えたのか。軽い衝撃を軽減させる保護の魔法陣が刻まれたネックレスと間違えて売ってしまったのだ。しかもそれが闇オークションの商品として出回っているという情報を得た。


 ただでさえ魔法使いは600年前の魔女狩りから激減し迫害を受けている存在なのに、ネックレスを元にソルティアの居場所が割れたら大変だ。面倒事の芽は摘んでおくに越したことはない。


 危険を冒してまで首都に来たのだから、確実に手に入れなければとソルティアはじっとその時を待った。


「――お次は、こちらの首飾りです!」


 その紹介と共に出てきたのは、銀色のシンプルなチェーンに深緑色をした小さな雫型の宝石が一つだけついたネックレスだ。しんと静まり返った会場内に商品説明の声だけが響く。


「こちらの首飾りには、現代において存在が確認されていない魔法陣が刻まれています!」


 その一言で、会場内がざわついた。

 口々に驚愕の言葉を漏らす。


 魔法使いも魔法の存在も、今や過去の話。多くの人がその存在を忘れて、簡単な魔法を人が使えるように汎用化して、生活に取り入れている魔術工具だけが身近なものだ。そんな世の中だからこそ、一般に出回っていない魔法陣の存在などまさに宝。売るも良し、自らが使用するも良し。とにかく利用価値しかない代物だろう。


 さあ、いつ略奪のために飛び出そうかな、とソルティアが脳筋なことを考えていると、参加者の中から手が上がった。


「魔法の内容を確認する方法は?」


 当然の疑問だ。これで高値を払って手に入れたとしても、使い道のない魔法なら全く意味がない。だが、着火剤となる魔力は魔晶石で代用できても地下の一室であるこの会場で旋風の魔法を発動するのは自殺行為だ。本来、あれは開けた場所で目くらましの用途で使うために作ったもの。さすがにこの密閉空間で使うと死傷者を出しかねない。


 しかし、質問に対する競売人の返答にソルティアはぎょっとした。


「ご心配には及びません! 今ここで実践致します!」


 舞台の脇から鎖でつながれた小汚い少年が現れた。とても怯えた様子の少年に、鎖を持つ男が手荒く引っ張る。そのたび少年はよろけながらも懸命に舞台中央までやってきた。一連のやり取りを見てソルティアは一瞬で悟った。あの少年が奴隷と言われる立場にあるということを。


「魔力耐性が特に高い奴隷です。どんな魔法であっても魔力中毒で死ぬことはないでしょう! それでは、実践致します」


 そう言って、競売人はネックレスを奴隷少年の首へとかけた。“実践”とはつまり、未知の魔法をその少年で試すということ。


 頭で考えるより先に体が動いた。


「――のもの、勝手に使ってんじゃねぇですよッ!」


 一瞬にして観客席から舞台の上までひとっ飛びしたソルティアは、暴言と共に競売人の顔面に膝蹴りをお見舞した。ひきこもり生活を送るソルティアに運動神経なんてものがあるわけもないので、もちろん全て魔法で補助した動きだ。

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