Episode 02

 私も健全な成人男性なのでそういうアンドロイドの存在は知っている。しかしそういうものは非常に高価なため実物を見たのは初めてだ。まさかここまでクオリティが高いものだとは知らなかった。それに見た目だけでなく、彼女の受け答えからはいわゆる人間らしさとでも言うべきものすら感じる。事実、突然の状況に混乱していたとはいえ私は彼女が人間ではないことを見抜けなかった。


「じゃあ君たちは戦時中から十年近くここに放置されていたということか?」


「そういうことになるわね。戦争が終わったのかまだ続いてるのか知らないけど、敵も味方も失ってしまった私たちは、ここで誰かが新たな目的を与えてくれるのを待つことしかできなかった」


「……ここでいったい何があったんだ? その士官たちはどこへ行ったんだ?」


「今から3712日前、この海域一帯に赤い雨が降り注いだの。機械である私たちは何ともなかったけど、人間たちは次々に死んでいった。おそらく何らかの生物化学兵器が使われたんでしょうね」


 そこでスキャンをしていたメディックも口をはさむ。


「私も治療にあたったが誰も救えなかった。おそらく現地にいた部隊は全滅しただろう」


 彼の言う通り、この廃海から生きて帰って来た兵士たちはごくわずかだ。そんな状況ではアンドロイドを回収するほどの余裕はなかっただろう。そのため取り残された彼らは今日に至るまで、この閉鎖された海に居座り続けるしかなかったという事か。


「しかし君たちなら化学兵器の影響も受けないし、電力供給システムが生きているなら何らかの手段で脱出することも可能だったんじゃないのか?」


「確かに物理的には不可能ではないかもしれないわね。けどここにいるのは機甲兵、軍に従属するようプログラムされている。それぞれの個体に役割が与えられ、それを放棄することはできない。たとえ人間が一人もいなくなってしまったとしてもね。そうでしょ、メディック」


「現在の私の任務はこの海上基地B4での医療行為及び人命救助だ。私の判断でそれを変更することはできない。そのおかげで君も助かったというわけだ」


「ところであなた、いったい誰なの? 軍人ではなさそうだけど」


「……私はシマザキ、生物学者だ。この海の生態の調査にやって来た」


「あら、もしかして生物が存在しているの?」


「残念ながらそういった痕跡は発見できなかった」


 その時、メディックからピーという電子音が聞こえる。どうやらバイタルスキャンが完了したようだ。


「やや脱水症状に陥っているが生命の危険はない。脳機能にも異常は見られなかった」


「……そうだ! 私はここでどうやって生きていけばいいんだ? 生物がいない以上食料の調達ができないじゃないか……!」


「飲料水は海水から抽出できる。食料も軍用のレーションが地下に保存してあるはずだ。一か月ほどなら持つだろう」


 一か月、その間に誰かが私の居場所を探し当て救出してくれる可能性はどのくらいだろうか。いや、そもそもあの時いったい何が起こったんだ。戦争はとっくに終わっている。ここに敵対勢力が潜んでいるはずがない。では調査船を襲撃したのは何者なのか。どれだけ考えてもまったくわからなかった。


「なんだかお疲れみたいね。メディック、水とレーションを持ってきて。二時間後でいいわ」


「わかった」


 そう言うとメディックは部屋から出て行った。だが姫と呼ばれたアンドロイドは残ったままだ。


「それで、どうするの?」


「どうって……」


「言ったでしょ、私の役割。好きにしていいのよ。それともされる方が好きなのかしら」


 その言葉の意味に気づいた時には彼女の腕がゆっくりと私の首に回されていた。その感触も温度も、人間の肌とまったく同じだ。彼女の整った美しい顔が私に近づいてくる。反射的に心臓の鼓動が高まっていくのを感じる。だがその唇が触れる前に私は彼女を制した。


「……悪いけど、今はそういう気分じゃないんだ」


「そう? こっちはそう言ってないけど」


「……訂正しよう。今はそんなことをしている場合じゃないんだ。一刻も早くここから脱出する方法を考えないと」


「真面目なのね。ここにいた人たちは時には息抜きも大事だってよく言ってたけど」


「それは一種の現実逃避だ。確かに戦場では必要なものかもしれないが、私は軍人じゃないし今は戦時中でもない」


「そういうものかしら。まあ人間が言うんだからきっとそうなんでしょうね」


 そう言うと彼女はすっと体を引く。若干の名残惜しさはあるが、さっき自分で言った通り今はそんなことをしている場合ではない。さて、いったいどうしたものだろうか。こういう時はおとなしく救助されるのを待った方がいい気もするが、そんな悠長なことを言っていられる状況なのか。この海域に立ち込める霧のせいで上空からの捜索や救助は困難だろう。しかし海にはこちらに敵対する何者かがいる。そもそもあの調査船が無事だったかどうかもわからないのだ。状況を判断するためにも、とにかく今は情報が欲しい。


「……ここは軍事施設だったんだよな? 無線とかレーダーとか、周囲の状況を知れるものはないか?」


「ならエンジニアに聞いてみましょう」


「エンジニア? それも機甲兵なのか」


「ええ、ここの技術兵。今もこの施設の機能が生きているのは彼のおかげね。せっかくだし一緒に会いに行ってみる?」


「……ああ、案内してくれ」


 私は彼女に導かれるまま医務室を後にした。




 そこはこの施設の最上階と思われる場所だった。いくつもの計器が並び、窓からは周辺の海を一望することができる。そしてその海を眺めるようにたたずむ二つの影があった。


「エンジニア、お客さんよ」


 声に反応して振り向いたそのアンドロイドは飾り気のない武骨なデザインをしていた。工業用アンドロイドというのも実物を見たのは初めてだが、確かに無駄を排した実用性のようなものを感じる。その隣にももう一体のアンドロイドがいるが、そちらは反応を示すことなく窓の外を眺め続けている。どこか故障してしまっているのかもしれない。


「何か御用でしょうか、姫」


 メディックに比べるとあまり抑揚の感じられない声でエンジニアはそう答えた。


「この人が聞きたいことがあるって」


「識別証が確認できません。軍関係者以外への情報の提供は禁じられています」


「いいのよ、私が許可する」


「かしこまりました。ご用件は何でしょうか」


「え……そんなあっさりでいいのか?」


「私は姫だからね。それで何を聞きたいの?」


「ああ……その、この付近を航行中の船舶の情報を知りたいんだが、それは可能だろうか」


「はい、可能です。対艦レーダーを作動してもよろしいでしょうか?」


「いいわ、許可する」


「かしこまりました」


 そう言うとエンジニアは部屋の中央に移動し、何か機器を操作し始める。しばらくその様子をうかがうが、どうも結構時間がかかりそうだ。その間に気になったことを姫に尋ねてみる。


「さっきエンジニアに許可を出していたが、君は機甲兵じゃないのか?」


「あら、こんなにかわいいアンドロイドを軍用の量産機と一緒にしないでよ。私は士官の好みに合わせてオーダーメイドで作られたの。語彙もコミュニケーション能力も人間と遜色ないはずよ。もちろんあっちのテクニックもね」


「しかし姫というのはただの愛称であって役割ではないだろう? なぜ君はアンドロイドでありながら彼らに指示を出せるんだ」


「単純な話よ。そういう風にプログラムされてるの。私は人間の指示に従うだけじゃなく、認められた範囲であれば自己判断で行動することができる。だって従順なだけの女ってつまらないでしょ? 人間がいなくなった今、自発的な意思を持っている存在は私しかいない。だから彼らは暫定的に私の意思決定に従っているってわけ。軍や開発者からしたら想定外の事態かもしれないけどね」


「……まさか軍がセクサロイドにそこまで注力しているとはね」


「兵士たちの士気やメンタルヘルスの管理は重要な課題よ。それにアンドロイドなら人権も気にしなくて済むし、多少乱暴に扱っても壊れない。まあここの人たちは私を大切にしてくれたけど」


「そういえば彼らの遺体は……いや、なんでもない」


「安心して、野ざらしになんかしてないわ。メディックに頼んで地下に保存してある。いつか引き取り手が現れれば、正しく葬ってくれるでしょう」


「……なあ、君は本当に——」


「艦影を捕捉しました」


 エンジニアの声が部屋に響く。その無機質な報告も今の私にとっては福音というほかなかった。

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