第六話 悪魔

「……あつーい」

「……暑いな」


 オレとアリシアは、爛々と照り付ける太陽の下、砂漠の中をノエルと一緒に歩いていた。

 二人で決意を新たにした後、まずどうすればいいのかを二人で考えた。そこでアリシアは、聖典カノン――この世界での、ガリルト神について書かれた、オレが元居た世界のキリスト教の聖書のようなものに預言されている通り、バノルスに向かうことを提案した。

 全能の神、ガリルト神への信仰心はあるとは思うが、なによりオレと出逢ったことを、「運命」だと認識しているようで、「お役目を成功させたい」と息巻いている。その決意は見ていて圧倒されるほどで、彼女の意志の強さ、サラファンへの想い、ガリルト、バノルスへの想いが感じられた。

 そんな彼女が拠り所にしているのが、聖典カノンで、ガリルト神の導きのままに歩みを進めたいと思うのは当然のように思えた。

 そしてオレはアリシアやガリルト神が語ってくれたこと以上のことは知らない。

 もちろんアリシアの提案にすぐに賛成したので、マナの片づけをした後、二人で歩みを進めることになったのだ。

 だが、ここは灼熱の砂漠。

 転生する前は真冬だったため、かなりしんどい。


「……なあ、アリシア。なんか、暑さを和らげる魔法とか、すぐにバノルスへいける魔法とか魔法道具とか、本当になんかないのか?」


 思わずアリシアに駄々をこねるが、アリシアはうつむきがちに首を横に振るだけ。


「……魔法道具はないよ。一応魔法はあるけど、魔力が足りないし持たない。倒れちゃう。だから、さっきも言ったとおり、歩くしかないの。ごめんね、ヒロミ」

「……だよなあ。すまん、アリシア」

「ううん、気にしないで」


 魔法。

 先ほどのマナの後、アリシアからどのようなものか、先のことのために教えてもらった。

 ――そもそも、魔法とは何なのか。

 アリシアは、自身の憧れであるサラファンの論文をもとに説明してくれた。

 それは「魔法自然論」という名の論文で、サラファンが十五になる今年の初めに執筆されたものだそうだ。

 それによると魔法は、「マジカリウム」という物質の集合体である、「ポリマジカリウム」という物質がさらに集まり、形作ったものであるらしい。

 そして、マジカリウムを集合体にし、ポリマジカリウムを一定の形にするのが、「マジカラーゼ」と呼ばれる酵素だそうだ。このマジカラーゼには様々な種類があり、人によってそのマジカラーゼの種類や強さが全くというほど違うので、使える魔法の種類や強さが違うそうだ。

 オレが元居た世界でいえば、マジカリウムが素粒子、ポリマジカリウムが元素で、酵素でその形成をコントロールできるといったところか。その酵素の多様さは、人間でいうCYPシップという酵素のような、薬を代謝するものの遺伝子多型に通ずると思う。

 そうやって形成されたポリマジカリウムは、その構造の共通性や、発現された時の現象から、サラファンは自然現象、古くからの魔法への呼び方をもとに、五種類に分類した。

 これが、サラファンの提唱する「魔法自然論」だ。

 火のような熱を操る「赤魔法」。

 水を操る「青魔法」。

 緑や土、生理現象、鉱物を司る「緑魔法」。

 光や神性を司る「黄魔法」。

 それ以外の魔法である「白魔法」。

 この五つが基本的な魔法だと、サラファンは書いている。

 ただ、ガリルト神が言っていた「黒魔法」がないのでアリシアに尋ねたが、アリシアにもわからないらしい。なので、黒魔法についてはわからずじまいだ。

 そんな、ナノメートル単位の繊細な世界をコントロールしているのが、「魔臓」という臓器だそうだ。この魔臓は肝臓にくっついて、人体の中で一番多くマジカラーゼを含有し、また、産生もしているらしい。

 つまり、人間の魔法をつかさどる臓器が魔臓というわけだ。

 ただ、人間の体の一部ということもあり、魔法を何度も使うことで疲弊してしまうこともあるらしい。それが「魔力消費性疲労症」で、今のアリシアの言葉通り、倒れてしまうそうだ。

 そんなことになってしまったら、悪魔が蔓延るこの砂漠の中では死を意味することになってしまう。

 そのため、アリシアの言う通りひたすら歩き続けるしかないというのは頭では理解できるが、辛いものがあった。


「……でも、お姉さまだったら……」

「……」


 その時、アリシアの独り言が聞こえたが、あえて口を出さない。

 その声音が弱々しく、声をかけるのがはばかられたのだ。

 もしかしたら、サラファンへのあこがれがあると同時に、自分のことを卑下しているのかもしれない。

 ただ、アリシアが話してくれたサラファンの論文によると、魔法を使えるようになるのは第二次性徴を迎えるころからだそうだ。

 いくらサラファンが若く、アリシアがその年下だとしても、その年頃の数年の差はすさまじく大きい。

 それはどんなにサラファンが優秀な人だとしてもだ。

 あまり気に病まないといいのだが。

 アリシアが相談してくれるように信頼を勝ち取るだけでなく、自分から声を掛けに行くことも必要かもしれない。

 ただ、そのための言葉が見つからなかった。


「……」


 会話が途切れる。

 こんなときどうすればいいのか、コミュニケーションが苦手な俺は必死に頭の中で話題を探すと、まだ説明を受けていないものを見つけた。


「そ、そういえば、さ! アリシアの話の中に『神器』って出てくるけど、それって何だ?」


 突然のオレの言葉にアリシアは少し驚くが、すぐに返してくれた。


「『神器』っていうのは、神であるガリルト神様の力が宿った魔法道具のことなの。現代まで伝わっているのは、リベカが作ったとされる、『ヤサコニ・イオツミスマル』、『ヤサカグミ・ガリルト』、『ケセフ・ヘレヴ』。これらはリベカが『オラクル』を使って作ったとされているの。そして、もう一つあって……」


 その時だった。


「……! キーっ!!」


 ノエルが甲高い鳴き声でオレたちに警戒を促す。

 その瞬間、オレの体全身が嫌な寒気に襲われる。

 まるで、古賀家との日々が鮮明に思い出させられるようだ。

 あっという間に動悸が起こり、全く反応できない。


「ヒロミ!」


 そんなオレをアリシアが前に出て――。


『シールド』


 光り輝く透明な壁を作り出し、「黒い炎」を防ぐ。


「……」


 そして、その脅威を発した存在が一つ。


「……ヒロミ、あれが、悪魔だよ」

「あれが……」


 見上げると、全身黒ずくめの、巨大な蛇。

 古賀家のような穢らわしさを感じるような禍々しさがあるが――、なぜだが、妙な親近感があった。

 恨みを晴らしてくれるような、古賀家を無に帰してくれるような、そんな強力な手段が、オレの中にも眠っているように教えてくれるようだった。動悸がしたり、だんだんと鬱のような気分が沸き上がってきたりするが、そのすべてが胸の奥底に語り掛けて――。


「ヒロミ!」


 その時、アリシアの声とともに。


『ヒール』


 柔らかな光がオレを包み込むと、現実に引き戻される。


「ぼおっとしない! 今、ヒロミ圧倒されてたよ!」


 アリシアとノエルが前に出て、悪魔が黒い鬼火のようなものを身の回りに大量に纏い、それを次々とこちらに向けてくる攻撃をしのいでくれていた。


「……! すまん!」


 やっとのことで体を動かし、魔力を集める。


(……今、確かに)


 悪魔あっちに行きかけた。

 そんな「確信」がある。

 ここに来るときにガリルト神が言っていた、「悪魔の力」。まるで己の心が闇に染め上げられるようだった。

 だからこそ確信する。

 ――あれは、「黒魔法」なのだと。

 もしかしたらオレが目覚めるかもしれない、染まってしまうかもしれない「闇」そのものなのだと。

 使っても、使われても、己の魂と魔力が闇に染め上げられる。

 そんな嫌な感覚があった。

 だが、オレは約束した。

 「己の闇を乗り越える」と。

 たとえ何があっても、闇に飲まれない。

 そう自分に言い聞かせ、相対する光の魔力を解き放った。


『ライトニング・アロー』


 黄魔法を雷の矢にして悪魔に解き放つ。

 しかし、悪魔は雄たけびを上げると、周りの黒い炎をぶつけてその攻撃を防いだ。

 それと同時にまた黒い炎が現れ、元通り悪魔を守るように周りに浮かぶ。


「一点に攻撃するのでは防がれるな」

「そうね。だから、こんな風に……」


 その瞬間、悪魔の足元に何かの模様が浮かぶ。

 じっと見ていると引き込まれるような、不可思議な模様。

 だが、それは比喩ではない。

 その模様目がけて、続々と魔力が集まってきて、光の奔流が生まれている。

 アリシアに振り向くと、ノエルも一緒に魔力を集めているのが分かった。


(これは……)


 二人の合わせ技。

 そう直感で理解する。

 それを裏付けるように、アリシアとノエルは目線を合わせ。


「行くよ! ノエル!」

「キーっ!」


 一気に解き放つ。


『ホーリー・マジック!』


 その瞬間、強烈な光がその模様から放たれ。

 あっという間に悪魔を飲み込んだ。

 大きな轟音が轟き、その衝撃波が駆け抜ける。


「……ぐっ」


 立っているのもやっとなほどだ。


(……これが)


 アリシアとノエルの力なのか。

 畏怖の念すら感じる。

 さすがはオラクルの子孫というべきか。

 そんなアリシアが目標にしているサラファンとはどんな存在なのか、恐ろしくも感じた。

 ……しかし。


「……! ノエル!」

「キー!」


 ノエルが光の壁をオレたちの前に展開した瞬間、黒い光の息吹が襲い掛かってくる。


「キ……、キー……!」


 それに耐えようとノエルは必死の形相を浮かべる。


「……キーっ!!」


 そして大きな雄たけびを上げ、その脅威を防ぎ切った。


(……まさか)


 オレは元凶に視線を合わせる。

 そこには、傷を負いながらも未だ健在な悪魔があった。


「……これでも、だめか!」


 オレはすぐさま魔力を集め、解き放った。


『ライトニング・ストーム』


 雷の奔流を悪魔の足元から繰り出す。

 その瞬間、悪魔は劈くような金切り声を上げる。しかし、その固い体を打ち壊すには至っていない。


(……どうすれば)


 その時、悪魔はかっと目を見開き、その首をもたげた。


「……! ヒロミ、逃げて!」


 ……え。

 声を出す間もなかった。

 一瞬のうちに足元から黒い光の奔流が襲い掛かってくる。


(……あ)


 思考する間もなかった。

 聞いたこともないような音とともに、身が焼き焦がされるような痛み。浮遊感。

 ……それとともに、どんどん闇に蝕まれていくのがわかる。

 一度にいろんなものが襲ってきて。

 目の前から、光が消えた。


「ヒロミーっ!」


 ……アリシアの声が聞こえた気がする。

 ああ。

 死ぬのか。

 そう思った。

 ……。

 結局、何もできないのか。

 神様にも、アリシアにも期待されたのに。

 約束したのに。

 これじゃあ、何もかも茶番じゃないか。

 オレがやったのはただの人殺し。

 それを贖罪するための機会は、今度こそ永遠に失われる。

 何も悪くない者たちの分も、生きることができない。


(……それじゃあ、だめだ)


 では、どうすればいい?

 もう体が動かない。

 自分の素人同然の魔法も意味がない。

 ……もう、詰みだ。


 ――そう思った時だった。


「……お願い、ガリルト神様、力を貸して」


 なにか聞こえる。

 アリシアの声だろうか。


「出でよ! 神器――『ハフツツァ・キネティック』!!」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る