第二話 これで、あなたは、私のものです
温かな白い光が収まった次の瞬間、新たな世界へ降り立ったオレを迎え入れたのは、焼けるような暑さと、ごつごつとした岩が一面に広がる、荒れた砂漠だった。
その大地をオレは踏みしめていて、目の前の光景とか、暑さとか、踏みしめている感覚とか、五感が次々と刺激されて、本当に「生きている」ということを実感する。
あの女神様――ガリルト
疑っていたわけではないが、悪魔の所業をしたオレとしては再び生を感じたことに、現実感がない、妙な感慨に浸っている。
しかも、よりにもよって、砂漠のど真ん中だ。
過酷な環境ではあるが、生きているということを感じるには、これ以上の場所はないだろう。
……ただ。
なぜこんな砂漠のど真ん中で、一挙に視線を浴びることとなっているのだろうか。
それは、三人組の男と、それに対峙していてオレの目の前に立っている、一人の少女とイタチらしき小動物から放たれている。
あちらこちらにクレーターのようなものも見られることから、穏やかな関係ではないに違いない。
おそらく、突然オレが現れたことで、双方あっけにとられていたのだろう。
実際、オレに視線をぶつけること以外なにもできず、静寂に包まれている。
それはこの場に投げ出された、オレにも同じことが言えるのだが。
「……あなたは誰ですか? まさか、マスグレイヴとか、ノア派の使いのものではないですよね?」
その沈黙を、低い声で少女が打ち破る。
桃色の髪を頭の後ろに一つにまとめ、ポニーテールのようにしている、中学生くらいの女の子なのに、どことは言わないが、平べったい。
小学生くらいかもとも思うが、その雰囲気はどこか清純で、威圧感があり、とても子供とは思えない。その娘が明らかに敵意を示すような険悪な目を向けてきているので、思わず背筋が凍り付きそうなほど寒くなる。
それこそ、神の言葉を受け取る、巫女のような厳かさも感じ、こんな状況ではあるが、女神様が言っていた「娘」だと思った。
その娘の隣にいるイタチも茶色い毛を逆立てて威嚇していて、こんな状況に放り込んだ女神様に、恨み言をいいたくなる。
ただ、不意に妙に静かな三人組の男が気になった。
その瞬間、妙な寒気が全身を駆け巡り、慌てて少女の背後の三人組へと視線を向ける。
少女からは死角になってしまっていて、オレからも少し体をずらさないとその様子を見られなかった。
そして、それが目に飛び込んだ瞬間。
「なんですか? アタシの話を……」
「危ない!! 後ろ!!」
少女の言葉を遮り、注意を促す。
三人組が、とてつもない力を手に集めていて、それをこちらに放つ寸前だったのだ。
少女は慌てて振り向くが、このままでは巻き込まれてしまうに違いない。
「……ちっ!」
思わず舌打ちをしながら、少女へと飛び込む。
そんなオレにひどく驚き、あっけにとられているようだが、かまっている暇はない。
三人組の手から力が込められている、強烈な炎が放たれる。
轟音切って迫りくるそれから逃げる術は、おそらく彼女には今すぐ用意できない。
たとえ、彼女が三人組と同じような力を持っていたとしても、だ。
それくらいの不意打ちで、助かるには、オレが何とかするしかない。
だからオレは、そのまま彼女を抱きかかえながら、炎から逃れるよう、横へと再び飛び込む。
同時にイタチも少女の肩へ。
そのままオレたちは固い岩へと身体を打ち付ける衝撃に思わず呻きながら、轟音が、焼けるような熱さが、すぐ目の前まで迫っているのを感じる。
……お願いだから。
彼女たちだけは、助かって。
助けてください。
……ガリルト神様。
このままやられてしまっては、彼女たちもオレに巻き込まれて死んでしまった人ということになる。
これ以上、オレのせいで不幸になる人が出てくるのは、嫌だった。
だからこそ、女神様に祈るしかない。
思わず目を瞑る。
……しかし、いつまでたっても衝撃は一向にやってこない。
祈りが、通じたのだろうか。
そんな不安に襲われながらも、重たいまぶたを必死に開けて、その結果を見る。
「……あ、ありがと。助かったわ……」
息がかかるような、それこそ唇が触れそうなくらいの近さで、顔を擦り傷や血で汚しながらも、彼女の口から感謝の言葉が紡がれる。
抱きしめたままだが、その温かさも彼女が生きているということを証明してくれた。
「……よかった」
自然と頬が緩む。
とりあえず、絶体絶命のピンチをやり過ごせた。
「……ねえ、あなた」
そのまま彼女は時が止まったかのように茫然とオレを見上げるしかできていなかったが、不意に目を見開いて呟く。
それは、弱々しくありながらも、どこか希望にすがるような、かすかな力を感じた。
「……ガリルト神のことを、知ってるの?」
「……え?」
「ガリルト神」。
その言葉を聞いた時、オレの頭を電撃が駆け巡る。
それは、オレをここに送り出した、張本人だから。
少女を一目見たとき、女神様が言っていた、「娘」なのかもしれないと思ったが……。
もしかして、本当に目の前の少女は、「娘」なのだろうか?
「……その様子を見る限り、知ってるのね」
そんなオレの戸惑いを見透かしてか、少女は一人納得したようにうなずく。そのまま彼女の横で、いつの間にか彼女の指をなめている、イタチの方に目をやった。
オレもそれにつられてイタチを見つめる。
「……ノエル。この人が、『その人』なんだね」
「キーッ!!」
彼女の不思議な問いかけに答えるように、「ノエル」と呼ばれたイタチが叫ぶ。
「その人」という話は、女神様からは聞かれなかった。それでも、彼女は百年間ずっと準備してきたという。
そして、「娘たち」は、女神様と言葉を交わしてきた存在。「神託」という形で、なんらかの預言を預かっていたとしても、何らおかしくはない。
現に、女神様は神託を授けたと言っていた。目の前の少女がその巫女なのかはわからないが、彼女の様子を見る限り、全くの無関係ではなさそうだ。
つまり、女神様が言っていた、「娘」とは……。
「……ねえ、あなた」
再び少女はオレに呼び掛ける。
今度は、柔らかい口調で、笑みを浮かべながら。
……笑みを浮かべている彼女は、可愛いと思った。
「名前を、教えて」
……どう話すべきだろうか。
古賀家の名前を名乗りたくない。
だが、オレにはそれしか名前がない。
あいつらの「穢れ」を引き継いでいる、忌むべき証が。
……だが、ここは異世界だ。
それならば、今のオレの名前は……。
「……オレの、名前は、……『ヒロミ』。……そう、『ヒロミ』だ。君の名前は?」
「……『アリシア』。『アリシア・エリー・ガリルト』。助けてくれて、ありがと。ヒロミ」
お互い笑みを浮かべ合うが、やがてアリシアは表情を引き締めると、オレも意識を周りへと戻す。
今は襲われている最中。
まずは敵を退けなければならない。
それからなら、いくらでも話せる。
「ヒロミ。お願い、助けて。アタシと一緒に、ノエルと一緒に、あいつらを倒そう」
アリシアは、自分の肩から降りてきたイタチへと視線を向けながら呟く。
おそらく、そのイタチの名が、「ノエル」なのだろう。
そして、彼女のお願いなら、「娘」のお願いなら、すでに腹を決めている。
彼女はオレに視線を戻すと、その手を差し出してきた。
「もちろん。一緒にあいつらを倒そう」
当然アリシアの手を取ると、花が咲いたような笑みをアリシアが浮かべた。
「……ありがと。ヒロミ。でも、いいの? ……死ぬかも、知れないんだよ?」
しかし、笑顔の花がしぼんでしまう。
巻き込んで死なせてしまうと思ったからか。
だが、それはオレだって思ったこと。これ以上誰かを巻き込んで死なせてしまうのは嫌だった。
その誰かを守るためなら。
「娘たち」を救い出すためなら。
ガリルト神様のためなら。
オレの罪に巻き込まれた人たちのためなら。
「……いいさ。そんなやわな覚悟で、こっちに来てなんかない」
思わず微笑を浮かべる。
ガリルト神様からこの世界に送ってもらった時には、すでに心に決めていたのだ。
オレは、オレのできることをやろう、と。
もう一度もらえた人生なのだ。燃やし尽くさなくては、何の意味もなくなってしまう。
「……わかりました」
そんなオレの覚悟が伝わったのか、アリシアはその表情を引き締めると、先ほどまでの柔らかな雰囲気を一変させ、出会った時のような神聖な雰囲気を身にまとう。
そのままアリシアは目を閉じると、その手をオレの胸にあてる。
その瞬間、オレの心臓は跳ね上がるが、目の前のアリシアも顔を真っ赤にしながら、オレの目の前に顔を近づけると、その手から他を寄せ付けないほどの光を放ち、オレたちを包み込む。
その光の世界には、オレたち二人と、ノエルしかいなかった。
「か、勘違いしないでくださいね。これは契約のために、必要なことですから」
「わ、わかった」
お互いの息がかかる距離感。
だがこれは、ガリルト神様と「約束」を交わした時と同じ。
神との契約に基づく、神聖なものと何ら違いがない。
オレも目を閉じて気持ちを落ち着かせ、その時を待つ。
アリシアも深呼吸して、再び神聖な雰囲気を纏い、言の葉を紡いだ。
「では、契約してください。この契約によって、あなたの力を開放させます。その力によって、私を、ガリルトを、バノルスを救いなさい」
「バノルス」。
聞いたことがない言葉だったが、おそらく、彼女にとって、大切なものだろう。
ガリルト神様だって、娘「たち」といっていたのだから、子孫か、親戚が関係しているに違いない。
もちろん、その人たちを助けるのも、迷いがなかった。
「誓います。――君を、ガリルトを、バノルスを、救い出して見せます」
その言葉を聞くや、アリシアはすべてを見透かすようにその目を大きく開け、一気に光を解き放った。
『インプリント』
そして、彼女はオレの唇へと己の唇を合わせ、息を吹き込む。
初めての接吻に頭が真っ白になるが、彼女の温かさが、彼女のすべてがオレに流れ込むと、途端に体の奥底から力が湧いてくるのがわかる。
これは、彼女がオレに力を分け与えていると同時に、その力に産声を上げさせているのだ。
そう直感する。
そして、本能で理解する。
――魔法の使い方を。
そんな永遠かと思うほどの永い時間、彼女と繋がっていた気がする。
今までの空白を補うかのように。
でも、それは一瞬で、だからこそ戸惑う。
なぜ、彼女のことを、こんなにも待ちわびていたのだろうか、と。
「……これで、あなたは、私のものです」
頬を朱くしながら、彼女は微笑む。
オレは彼女を名残惜しく思い、思わず唇の方を見つめてしまう。
「これから、よろしくお願いします。ヒロミ」
でも、彼女の笑みからも視線を外せなくて。
「……ああ。よろしく。アリシア」
――オレは、身も、心も、彼女のものとなった。
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