第9話 眠れる薔薇の美女

 オルソンの帰宅から何日かたった。ブライアンの描くマデリンの肖像画は日を追うごとに美しく仕上がっていく。マデリンは夜会となれば当主のオルソンよりも人だかりができ、話の中心になるほどだ。そんなマデリンが母親であることは息子たちにとって憧れでありほまれでもあった。


「お母さまは肖像画でもきれいだな。画家も腕がいいんだ」

「絵よりもお母さまの方がきれいだよ、兄さま」

「きれいだけじゃなく優しいよ、兄さまたち」

 息子たちは完成していく肖像画をみてつぶやく。


「まあ、あなた達は絵の良さがわかるようになったのね。芸術がわかるようになればもう大人よ」

 マデリンはとても機嫌がいい。夫がマデリンとブライアンの関係を気づいていないと感じているからだ。もし気付いていたらとっくにブライアンは追い出されただろう。


 オルソンやトーマス、ジョナサン、そして他の使用人たちもこの問題はわざと無視をしていた。もっとも、メアリー率いる女性たちはゴシップネタとしてとらえているので展開を心待ちにしている。そんな中でマリサはオルソンから受けたたしなみを秘密裏に実践しようとしていた。それは子どものマリサにとって孤独な戦いでもあった。


 それから数日後、ようやくマデリンの肖像画が完成をする。その絵はさっそく代々の当主の肖像とともに部屋に掲げられ、使用人たちに披露された。

「妻を美しく描いてくれて感謝するよ。祝いににぎやかく晩餐会をしよう。今日は君が主役だ」

 オルソンは画家ブライアンをねぎらうと、晩餐の準備をトーマスに言いつけた。


 トーマスは晩餐の準備を使用人たちに急がせる。そしてマリサにこう指示を出す。

「今のうちに領主様から教わったたしなみをおさらいしなさい。今日はその勉強の実践をするのだよ。そしてそれは領主様の名誉にかけて行うものだから誰にも知られてはならない。晩餐が始まったらお前はジョナサンと一緒に東屋あずまやにいて領主様の指示を待ちなさい。子どもだから夜は仕事をしなくてもいいとメアリーには話しておく」

「はい、お言葉通りに従います」

 子どものマリサの緊張は今までにないほどである。このマリサの不安を受け止める者は共有しているトーマスとジョナサンだけだった。


 晩餐が近くなりマリサは東屋へ急ぐ。ブライアンが来てから振り回されたような日々であったため庭をじっくり見ることはなかったが、今日はなぜかはっきりと植物ひとつひとつが目にはっきりと入った。そしてバラばかり植えられている一角では日中に花開いた四季咲きのバラがほのかに香りを残し花を閉じつつあった。

 東屋ではジョナサンがろうそくを灯して待っている。樹木の中にある東屋は作業小屋としてもつかわれることがあったため、こうしてろうそくを灯していてもジョナサンが残り仕事をやっているだろうとしか思われていないのが幸いだった。


「恐れるな。私たちはやるだけだよ」

 ジョナサンがマリサの肩を叩く。そうでもしなければマリサは緊張と不安で体が固まってしまっただろう。ジョナサンはそんなマリサのためにビスケットを差し出す。

「領主様たちは食事だが我々は食べるどころじゃないからな。お前は子どもだからこれでも食べておきなさい」

 マリサはビスケットを受け取ると言われるままにほおばる。お腹がすいた感覚はなかったが、そうでもしないと自分が緊張でおしつぶされそうだったからだ。


 晩餐が始まり、会場となる部屋がひときわ明るくなる。そして音楽が聞こえた。オルソンのバイオリンやマデリンのハープシコード演奏だろう。

「マリサ、さあ準備だ。」

 ジョナサンはマリサに小さな皮の手袋をはめさせると小さな実と握りこぶしぐらいの根茎を差し出す。マリサはトレイの上にそれらを置くと、石を使い、無表情で細かく砕き、すりつぶしていく。そこへトーマスがやってきた。

「準備はできたか。領主様からお酒を持ってくるようにとの指示がでた。マリサ、お前が運ぶんだよ」

 そう言ってトーマスはお酒が入ったグラスを3個持ってきた。そのお酒はワインだろうか。赤黒く、香りが高い。

「トーマス、これは領主様も飲まれるの?」

 マリサが尋ねるとトーマスは首を振る。

「……気にしなくてもいい。領主様のお考えがあってのことだ。」

 言われるままマリサはグラスにすりつぶした実や根茎を薬さじ1杯ずつ入れていく。それは酒に溶け込み、その濃い色で混入したこともわからなくなった。マリサはトーマスとともにそのまま屋敷内へ入っていく。使用人たちは仕事をしなくてもよいと言われているマリサがトーマスに連れられていることを不思議に思う。

「マリサは領主様のお気に入りだ。マリサにお酒を持ってきてほしいとのことだよ」

 その言葉に納得をし、再び忙しそうに働く使用人たち。


 こぼさないよう慎重に運んでいく。そこではオルソンやマデリン、画家ブライアン他、息子たちも食事中だった。息子たちはマリサが来たことに一瞬笑顔を見せるが、マリサがとても暗い表情をしているので心配になる。

「おお、疲れているのにすまないね。」

 オルソンに促され、グラスをブライアン、オルソン、マデリンの順に席へ置く。

「輸入物のワインだよ。どうか試してくれたまえ」

「私の好きな赤ワインね。素敵な香り……」

 マデリンはまた上機嫌だ。ブライアンはいつかのオルソンの視線が気になっている。

「では、乾杯」

 オルソンの言葉と共にマデリンはそのおいしさを堪能する。オルソンはと言うとグラスを口に運びかけて手を滑らせこぼしてしまった。割れたグラスをすぐに片付けるトーマス。

「すまない……せっかく運んでくれたのに。マリサ、代わりを頼む」

「はい、領主様。すぐにお持ちします」

 マリサはトーマスとともに厨房へ急いだ。

 

 このことがブライアンを不安にさせる。何かある、オルソンは何か隠している……そんな不安に覆われた。ブライアンはグラスに口をつけただけで飲むのをやめ、そのまま食事へ進む。その行動からブライアンの不信感を悟るオルソン。


(なるほど……思ったより観察力があるな……だがお前は鷹に狙われたも同然だ)


 オルソンは素知らぬ顔でマデリンや息子たちに笑顔を見せる。


 トーマスは厨房から新たにワインを入れたグラスをマリサに運ばせる。毒物を入れたワインを領主であるオルソンは飲むことはないのだ。マリサはようやくオルソンの考えを理解した。


 オルソンはマリサに運んでもらったワインを手にし、香りを楽しみながら口にする。不信感を持ったブライアンの警戒心が漂っているが、そこをワインの中の毒物にによってまるで深酒のようになったマデリンの言葉が火遊びを再燃させる。


「……あら、どうされたのかしら。私のいとしいブライアン……」


 自分が何を言っているかわからないのだろう。夫の前で決して言ってはならない言葉を口にしたのである。その場にいた息子たちも何事かと驚いている。

 オルソンはトーマスを呼びつけると紙きれを渡す。

「トーマス、明日の朝食のリクエストだ。これを料理長に渡してくれ」

 そう言って目配せをした。

「承知しました」

 トーマスはそのまま厨房へ行くふりをし、廊下で内容を確認する。



――ブライアンは毒ワインを飲まなかった。警戒しており夜にでも逃亡するだろう。だが私は必ずブライアンを始末する――


 こう書かれた紙きれをしまい込み、ジョナサンにある指示を出しに庭へ行った。


 領主から依頼されたを終えたマリサは興奮と不安が入り混じったまま眠れぬ夜を過ごしている。使用人の部屋の長椅子に横たわり表情をこわばらせて、ときおり体を震わせた。

 晩餐が終わりになるころにはマリサは浅い眠りに入っており、黒い影に襲われる夢を見てうなされていた。


「大丈夫?マリサ。うなされていたわよ」

 怖い夢から救ってくれたのはイライザの優しい声だ。マリサは目を開けるとすぐさまイライザに飛びつく。

「母さん……」

 そう言いつつもマリサがやったこともオルソンたちの計画も絶対に話してはならない。マリサは平常心を保つために感情を殺す。

 よほどの疲れだろうと思ったイライザはそのまま一足先に帰らせてもらった。




 晩餐が済み、ブライアンは客間で休むふりをして逃げる準備をする。礼金はすでにマデリンからもらっているが、それさえうとましく思うほど早く逃げたかった。急いで荷づくりをすると窓から外に出る。


 月明かりで明るい庭は、ほのかに四季咲きの薔薇の香りがただよっていた。


(もう少しだ。この庭を抜ければ……)

 ブライアンは集落へ向かう道を目指す。しかし今まで庭をまともに散策していないブライアンは迷路のような庭をなかなか抜けられないでいる。どこも植物だらけで道が見えなかったが、ふとある一角で道を見つける。


「やった、道に出られるぞ」

 そうつぶやいたとき背後から何やら気配を感じ、ゆっくりと振り向く。


「領主である私に黙ってお帰りとはどういうことかな。答えてもらおうか、ブライアン殿」

 その言葉はオルソンだ。

「あ、あの……僕は逃げようとは……。奥様の美しさのとりこになったのは真実です……申し訳ありません……」

 顔面蒼白のブライアン。

「この屋敷からは逃げられないよ。この家の庭師は大変優秀で、誰かが逃亡しようと思っていてもいくらでも植物で道を隠すことができるのだからな。残念ながら私はオルソン家の名誉にかけて君を許すことはできない。私自身のプライドでもあるからな」

 そう言ってオルソンはピストルを出すとブライアンに向けて撃ち放った。


 ズギューン!


 オルソンの確実な一撃でブライアンは倒れ、そのままこと切れる。

「マデリンに会いさえしなければ君も画家として名をはせただろうに……。トーマス、ジョナサン、後を頼んだ。私はマデリンの最期を看取みとってくる」

 オルソンはブライアンの始末を二人に頼むと、酒に酔って寝室に運びこまれているマデリンの方へ急ぐ。



 寝室では廃人の様になったマデリンがベッドに横たわり、うつろな目つきをしていた。息子たちは母親が酒を飲みすぎたぐらいだと思い、それぞれの部屋ですでに休んでいる。


「美しい妻よ……。美酒に酔いしれたか……」

 オルソンが声をかけるとマデリンはにっこりと笑ってオルソンに手をのばした。

「……ふふふ……あなたの方がとてもおいしかったわよ、ブライアン……」

 マデリンはすでに現実と妄想が混在するほど意識がもうろうとしているようだった。

「それはよかった。では今度はいい夢を見せてやろう。マリサが少し毒の量を間違えたようだからな。悪い夢はすぐに終わる……」

 オルソンは胸元から小さな紙包みを出し、広げた。そして粉状のものをマデリンの口に流し込む。


 しばらくしてマデリンは一瞬、はっきりと意識を取り戻して目を見開いた。

「……アルバート……あいし……」

 そう言いかけて再び目を閉じ、そのままぐったりとして動かなくなった。

「マデリン、私は不貞な妻という不名誉からこの家を守った。眠るように旅立たせたのはせめてもの私からの贈り物だ。さらばだ、マデリン」

 息を止めたばかりの妻の身体を抱きしめ、アルバート・オルソンは一筋の涙を流した。



 翌日、屋敷ではマデリンの死で大騒ぎになった。使用人たちは、これは神の罰だとこっそりと話している。医者も呼ばれたが、胸の病ではなかったかと首をかしげ、原因はわからずじまいだった。そして息子たちは母親の急死を嘆き悲しみ、いつまでも母親の棺から離れようとしなかった。

 棺の中はオルソンの指示でたくさんのバラの花で埋め尽くされる。バラの花で埋もれたマデリンの亡骸なきがらはひときわ美しさが際立った。



 葬儀の日には社交界の花であったマデリンのために多くの参列者がいた。しかし誰もが本当に慕っていたわけではなく、中にはこれで敵が減ったぐらいにしか思っていない者もいた。その人たちは片隅で陰口を言っている。その様子にマリサは街にいた物乞いたちをだぶらせ、貴族社会の闇を垣間見る。


 

 埋葬は屋敷内の人間だけで行われた。土の中に埋められる棺を見つめ、マリサは複雑な思いに駆られる。その思いは確実にマリサから笑顔を奪い、それ以降マリサは一日のほとんどを仏頂面ですごすようになった。


 使用人たちはマリサの変わりようが気になったが、仕事は真面目にするので変化は自分たちに関係ないだろうと思っていた。


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