マリサ・時代遅れの海賊やってます~幼少編~

海崎じゅごん

第1話 マリサとシャーロットの誕生

 1690年、5月。イングランドの地方の領主であるウオルターのもとに二人の新たな命が授かる。

 1688年の名誉革命によってジェームス2世がオランジュ公ウイリアムによって廃位させられ、翌年1689年には「権利の章典」が承諾されたひとつの時代の変貌の年に生を受けた子どもたち。


「双子ですよ、二人とも女の子。なんて愛らしいのかしらね」

 赤ちゃんをとりあげた産婆は自分ごとのように喜び、出産を終えたばかりの母親に赤子を見せる。

 金髪の美しい女性はマーガレット。ウオルターと政略的な結婚をしたのだが、ウオルターを愛することはなかった。なぜなら、双子は愛しながらも引き裂かれた私掠船の船乗りであるロバートのとの子どもであったからだ。


(ロビー《ロバートの愛称》、あなたと私の子どもたちよ。喜んでくれるわね)


 出産を終えたマーガレットはようやく笑みを見せた。その笑みはウオルターに向けられたものではないが、いつも悲しそうな顔をして外を見つめていたマーガレットを気遣い、見守っていたウオルターはそれでも十分だった。さっそく育児の助けになるようにと乳母の手配をする。

「おめでとう、マーガレット。我が家の大切な子どもとして洗礼を受けるようにしよう。神がいつまでもこの子たちを守ってくれるようにな。名前は君がつけるのか」

 ウオルターが声をかけるとマーガレットは柔らかな表情で答える。

「そうですね、早いうちに洗礼を受けましょう。名前は……少し太った方がシャーロット。小さめで痩せたほうがマリサ。おなじ双子でも少しずつ違いますね。体の大きさも髪の色も少しずつ違う」

 今までにないほど穏やかだ。それまでウオルターと話をしても必要最小限なことしか話す事はなかった。それだけにマーガレットの反応はウオルターを喜ばせた。それでも妻を愛称で呼ぶことはできないでいる。彼女の瞳にロバートが映っていることを知りつつも、ウオルターは妻を愛した。


 同じ双子でありながらシャーロットは哺乳量が多く、時間をかけてたくさん乳をのんだが、マリサの方は少し飲んだだけで休み、また少し飲んで……という繰り返しだった。乳母がシャーロットに飲ませている間、待たせているマリサのためにマーガレットは乳をのませた。小さ目で生まれて痩せているマリサを哀れに思っていた。


 双子が生まれてから七日目、マーガレットの身体に異変が起きる。高熱がでて起きられなくなり、医師がよばれるころには急速に症状が悪化していた。

「マーガレット……妻よ……」

 ハアハアと息を切らせ、体が小刻みに震えているマーガレットの手を握りしめるウオルター。汗が出ているせいか手足が冷たい。

「ロビー……ここはどこなの……。私たちの船はどこへいったの……」

 マーガレットは自分の居場所がわからないようだ。そしてよく見えないのかロバートの名を呼んでいる。

「ここは屋敷だよ、マーガレット。君は二人の娘を授かったのだよ……」

 そう言ってマーガレットの胸に双子を寄せる。すると彼女の意識が一瞬戻り、双子を抱きしめた。

「かわいい子……。あなた……子どもたちをお願いします……」

 そう言ってウオルターをまっすぐ見つめた。頼るべきはもうウオルターしかいないと知ったからか。その言葉に何度も頷いて応えるウオルター。

 そしてマーガレットはウオルターの手を残された力で握りしめるとそのまま意識が混濁していった。


 やがて意識が戻らないままマーガレットは呼吸が難しくなり、翌日の夜が明けきらぬ間にウオルターや乳母、双子たちが見守る中で息を引き取った。


 近世まで分娩後の高熱からくる感染症である産褥熱は多くの産婦の命を奪った。その原因が突き止められ、対応がなされると劇的に死亡率がさがるのだが、この時代はまだそのような考えも対策もなかった。



 マリサとシャーロットは乳母であるランドー夫人によって乳をもらい、母親が亡くなって不憫に思った使用人たちからも愛され、順調に成長していく。特にシャーロットは活発で乳をよく飲み、豊かな表情で人々の心を捉えた。使用人たちも率先してシャーロットを抱き、言葉をかけたのだが、マリサはおとなしくて痩せており、笑うことも少なかったせいであまり抱かれることはなかった。ウオルターはそうしたマリサを気にかけて抱いたりあやしたりして世話をした。



 1691年10月。

 

 双子は母の顔を知らないまま成長する。乳母のランドー夫人は1歳半を迎えた赤ちゃんを布でぐるぐる巻きにする育児をしていく中で、特に活発なシャーロットを可哀そうに思っていた。

「これだけよく動くのに布でぐるぐる巻きもかわいそうね……」

 当時の衛生環境は良くなく、大人が住むための環境に過ぎなかった。家の中であってもハイハイする赤ちゃんには危険と不衛生による病気を引き起こす可能性があった。そのためスウォドリングとよばれるこのぐるぐる巻き育児方法は赤ちゃんを守るためとして定着していた。

 しかし赤ちゃんは成長すると体の動きも活発になり、ハイハイをしたり歩行を試みたりして体の動きを阻害するものを嫌がるようになる。子育ての手伝いとして働く乳母のランドー夫人は双子の布を外し、屋敷の広い庭に座らせた。

 ぐるぐる巻きにされていた布が外れるとシャーロットはニコニコして庭をハイハイしだす。一方マリサはそのまま庭に座っていた。何かしら言葉らしきものを発しながらもその場に座り続けて地面の感触を楽しんでいるようだった。


 この日は風が心地よく暖かで、野鳥もあちこちでさえずっている。双子は広い野外にでたことを楽しんでいるようだった。

 ランドー夫人はあまりにもシャーロットが上手にハイハイをするので自分が位置を変えながら誘導をしだす。

「あらあら、なんてお上手なのかしら」

 笑顔で手を叩くその方向へシャーロットがハイハイしながらやってくる。そしてランドー夫人に追いつくと夫人の肩につかまり、ゆっくりと立ち上がった。そして夫人が離れるとその方向へ歩き出し、時には小走りになることもあった。

「こんなにも上手に歩けるのにね……ぐるぐる巻きよりも一緒にお散歩したいわよね」

 シャーロットが歩けるようになって半年。この事実をウオルターに報告をしたのだが、何かにぶつかったり転落してはいけないとのことでスウォドリングが続けられていた。マリサの方は歩くどころか立ち上がりもできず、お座りからハイハイがやっとだった。これは小さく生まれて哺乳量も少なかったこともあったのかもしれないとランドー夫人は思っていた。

 

 シャーロットは屋敷の広い庭をランドー夫人めがけてよちよち歩き回り、そのうちにまだ庭の整備中で石がゴロゴロしているところまで気づかずに来てしまう。

 そこへ地面から石が顔を出している場所でシャーロットがつまずき、転んでしまった。


うえーん、えーん


 シャーロットの激しい泣き声にランドー夫人が驚き、駆け寄るとシャーロットの膝から血が出ていた。大切な領主の子どもを傷つけたとあってはただ事ではすまされない。ランドー夫人は泣きじゃくるシャーロットを抱えてケガの手当てのために屋敷へ向かう。途中、マリサの方を見るが、マリサは相変わらず座って空に手を伸ばしてはアーアーといっているようだった。

(マリサは動けないから大丈夫よね……)

 そう思い、シャーロットを抱きかかえたまま屋敷へ急いだ。



 マリサは日を浴びて座ったまま野鳥の声や風のにおいを感じているようだった。言葉にならない声を発し、時おり体を動かしている。


 と、そこへ庭の茂みから一人の若い男が現れた。そしてマリサの前に立ち、微笑みかける。

「こんにちは、お前がロバートとマーガレットの子どもだね」

 そう言うと、マリサはまっすぐに男の顔を見つめ、お座りから四つ這いになり、男に手を伸ばすとゆっくりたちあがった。

 

 そして一歩二歩……。


 今まで立ち上がることも歩くこともしなかったマリサが歩みだす。しかしまだ足腰が弱いのかふらふらし、男の足もとに寄り掛かった。

「いい子だ。今日からお前は私のこどもだよ。一緒にいこう」

 男はマリサを抱きかかえると急いで茂みの奥から屋敷の外へ逃げ、仲間の待つ荷馬車へ急ぐ。


 荷馬車が走り出すころには屋敷が大騒ぎになり、パニックになった使用人たちの声が響き渡った。


――マリサお嬢様がいなくなった!さがせ、さがせ!――


「お前の名前はマリサか……よろしくな、マリサ」

 男がマリサを見つめると、あまり表情を出さないマリサはニコッとし、男の顔に手を伸ばす。そして男の隣には若くて美しい女性がマリサを覗き込んでいた。

「なんてかわいらしいのかしら……まさに天使ね」

 男はマリサを女性に託すと女性は頬ずりをし、抱きしめる。

「これでお前も母親になれるだろうよ。俺たちで立派に育てようぜ、イライザ」

 イライザと呼ばれた女性は何度も頷いてはマリサを抱きしめた。

「それにしても随分と思い切ったことを考えましたね、デイヴィス船長。まさかさらってくるなんて」

 荷馬車の手綱を持っている男がマリサの顔を見て話しかけるとマリサは言葉にならない声でアー、アーと答えた。

「死んだロバートもこれで安心するだろうぜ。自分の子どもを見ることもなくあいつは死んじまったんだ。マーガレットも死んでしまったらしいからこうすることで良かったんだ。手引きをしてくれてありがとうよ、ニコラス。まさかマリサだけ庭にいるとは思わなかったぜ。おかげでまた”青ザメ”の機密事項が増えちまったな」

「機密事項はいくらあっても結構。じゃ、馬車を飛ばしますからしっかりとマリサを抱いて藁の中に隠れてくださいよ」

 ニコラスは手綱を力強く握ると、藁を満載した馬車を走らせた。実はニコラスは子どもが双子であることを様子を観察する中で知り得ていたのだが、そのことをデイヴィスに言うことはなかった。それは子育てを知らない二人が双子を育てられるか心配をしたからだった。


(悪く思わないでくださいよ船長……。もしかしたらこの子が成長してもう一人に会うかもしれないがそれも運命だ) 

 双子であることはニコラスの記憶に封印されることになった。


 荷馬車はそのまま走り続け、ウオルターの領地外へ出た。そこからは藁からでて、どこにでもいるような農家の家族を装う。そして数日をかけて荒野や森を駆け抜けて辺境の町へ入った。そこにはウオルターほどではないが、古くても歴史を感じさせる屋敷があり、そこをめがけて入った。


 何事かと屋敷内から使用人と領主が現れるが、領主は彼等に屋敷内で待つように指示をする。細面でかつらをかぶった領主は荷馬車から降りたデイヴィスたちを見て息をのむ。

「デイヴィス船長、いったいどういうことだ」

「この子はマリサ、ロバートの子どもだ。ロバートとマーガレットの遺志を受け継いで俺とイライザで育てることにした」

「正気か!この子は貴族の血を引いているのだぞ。今すぐに返してこい!」

 領主は厳しくデイヴィスを責める。するとその声に驚いたマリサが怖がって泣き出した。


うえーん……


「いいの、大丈夫よマリサ」

 イライザはマリサを抱きしめる。するとマリサはイライザの胸に顔をうずめた。

「オルソン伯爵様、この子は俺たちで育てる……そう決めたんだ」

 デイヴィスの意思は変わらない。

「デイヴィス船長、犬や猫を拾って育てるのとはわけが違う。マリサの出自を考えるなら単に食べさせてやるだけではだめだ。お前たちにマリサにふさわしい教養を身に着けてやるのは無理だ……今すぐに返すべきだ」

 オルソン伯爵と呼ばれたその男が何度も返すようにデイヴィスに進言をするが、デイヴィスは全く気持ちが変わらなかった。


「デイヴィス船長、お前が航海に出ている間、イライザに任せきりにするのか……生活はどうする?こんな子連れではまともに働けないだろう。そこまで言うのなら、イライザとともにマリサをこの屋敷で引き取る。将来罪に問われないとは限らない……そのときにこの子にふさわしい養育がしてあればまだ申し開きもたつ。だからイライザが使用人として働いている間、私が責任をもってマリサの養育をしよう……息子たちの相手にもなるだろうからな」


 デイヴィスの変わらぬ意思にオルソンは妥協点を見出す。


 こうしてイライザはオルソンの屋敷で通いで働き、幼いマリサはその間、オルソンに預けられることになった。

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