第5話 五月六日(日曜日)

 島谷は捜査本部の会議机の上で朝のコーヒーを飲みながら、N新聞を開いていた。


 市会議員、土中で不審死 五日(土)午後二時過ぎ、猪里市東の原町六丁目の工事現場で、土木作業員から盛り土の中に遺体があると警察に通報があった。警察が駆けつけ、猪里市会議員の鷺沼紘一さん(六二)の遺体を確認。同市で発生した連続殺人事件としては今回で四件目。稲和県警によると遺体に虫に刺されたような無数の赤い跡があり、事故死と他殺の両面の疑いで調べている。県警は土木作業員からくわしい経緯を聞いている。現場は住宅地として造成され、市中心部から二〇キロの場所。


 島谷は、刺された跡が死因と関係しているとは考えてなかった。市議の遺体は司法解剖中だ。

「被害者を刺した虫じゃが、火蟻じゃなかね」

 島谷は捜査員のひとりに訊ねた。

「そうじゃと思うちょります。おそらく毒性を持つ虫というと、蜂か火蟻ないしは蛾になる毛虫などじゃなかかと思うちょりますが……」

「なんちゅうたかな。火蟻の症状は?」

「アナフィラキシーショックではなかですか」

 若い署員が口添えをした。

「そうじゃ。それそれ。そのアナフィラキシーショックで死ぬこともあるじゃろか」

「まあ、アレルギーのある人は亡くなるかもち、科捜研に聞いたことはありもすが」

「どれぐらいの割合で?」

「アレルギーじたいが少なくて、亡くなる人はほとんどおらんち」

「そうか、やはりな」

「五月五日の土に埋めた遺体の死因は、火蟻でなく別のセンでしょう」

「おいもそう思う。それは置いておいて、水、木、金、土と曜日にちなんだ殺しというセンは犯人の当初からの意図ではなかか」

「じゃと思います。実に単純ですが。ただ、殺害方法がバラバラで手の込んだ殺人じゃち、犯人は複数、もしくは共犯のいる可能性が高いとみております」

 被害者に強い恨みを持つ人物はすでに絞られていた。昨夜、N新聞の川畑久野から届いたメールにはすぐに目を通していた。

「昨晩、おいの携帯に転送メールが届いたど。N新聞のベテラン記者さんから。市会議員殺害こそが犯人の真の目的で、犯人は市長の娘とその連れの男じゃち書いてあった」

「町の噂でもそう聞いちょります。証拠を集めて被疑者が罪を犯したのを裏付ける理由が得られたので、いっでん逮捕状を請求できるかと」

「新聞記者も、周辺の訊きこみ情報を相当集めたと見える。その川畑ちゅう女記者が、あちこちで独自に訊き込みをしてがんばっちょったちゅう話ば現場の捜査員から聞いた」

 島谷は、新米だったころの久野のあどけない顔を思い浮かべ、いまでは新聞記者がすっかり板についたのと、ベテランのコミュニケーション能力と行動力にすっかり感心した。

 ただ、昨日、鳴沢ダムで容疑者と対決して頭にけがを負い、車を盗まれたのには注文をつけたかった。もう少し慎重に行動し、一人で乗り込まず、事前に警察に通報してくれたらよかったのに、と。

 県警本部の島谷は、自分が捜査本部に加わることでその士気が上がったと感じていた。数々の事件を解決に導いた島谷は、昨日一日で、猪里市中心部から半径五〇キロ圏内にあるauのサービスショップを、一斉に調べ上げさせた。携帯端末をショップに持ち込んでプリペイド式の契約を行った人物を洗い出すためである。

「結果はいけんじゃった?」

「はい。犯行日から遡って一か月以内にプリペイド式携帯の契約を行った人物は一人しかおりもはん」

「その人物は?」

「鹿原志保でした」

「そうか。やはり睨んだとおりじゃち」

 昨日の島谷の指示で、犯行の凶器や道具、アリバイ、犯行動機をつぶさに調べあげ、犯人は大学生の鹿原志保とその恋人の福松光宏に間違いないとの結論に至っていた。もちろん、ドライアイスの入手ルートをネット通販に絞り込み、アドレスの開示要求でパソコンとその所在場所を特定するに至った。

 その住所に向かい、着いた先は南町の大きな屋敷だった。鹿原と彫られた御影石の表札は、家全体で威厳を醸していた。市長の家であるのは間違いなかった。

 午後から市長宅を訪ねたが、市長も娘も不在だった。島谷は市長宅付近の訊き込みを開始させた。

 町民たちは知っていることを次々と口にした。

「市長んとこの志保は一人娘で、高校のころに不登校だったち聞いたげな」

「おいもそげん聞いちょる。大学生になっても三年の終わりごろから休みがちで家にこもり、何をしているのか親ですら把握しぃちょらんと」

「陽菜乃ちゃんは志保の家庭教師の生徒で、宇志窪さんは夏祭りで志保に痴漢を働いたちゅう話じゃ」

「聞いたところでは、李さんち中国の人は、高橋さんの民宿に泊まっていた旅行者じゃっど」

「じゃっち。町内でちょっとした悪評が出たち」

「鷺宮さんは有名じゃっど、市長とライバル関係とも噂されちょる」

 あちこちで訊き込みをした結果、最初こそ、住民らはおしなべて喋りにくそうな顔をしていたが、だれかが話し出すと、堰を切ったようにそれぞれ知っていることを語ったそうだ。

 それらの証言により、ぼろぼろとメッキがはがれるようにして表面が露わになっていった。父のライバルだからといって、市議に対して憎しみを抱き、殺害に至る強い殺意があったのかどうかは調査中だ。

 被疑者として、明日までに志保と光宏の居場所を掴むよう島谷は指示を出した。全国に配備されたNシステムのおかげで、特定の車のナンバーを読みとって手配し、車の位置や時間などがヒットするようにできている。志保は市長の車を使っていないことや久野の車が盗難に遭ったこともすでに確認済みだった。

 午後の鐘が三回鳴った頃だった。

「島谷警部。昨日の夜九時ごろ、盗難車が隣の日の出市の交差点を通過していたとの報告が上がりました」

「では緊急配備だ。鹿原志保と福松光宏の写真をできる限り用意して二人の足取りを追え」

 多数の警官に写真を持たせ、逃走に使った車を絞り込んだ結果、某所に連泊していることを突き止めた。

 島谷は、覆面パトカーを近くに待機させ、盗難車が移動しないか見張りを付けさせた。

 夜になった。

 白のクラウンはその場所に留まっていた。殺人の動きはその日なかった。

 島谷は署員に被疑者二人を見張らせて、自らは懇親会には顔を出さず、夜遅くまで、逮捕状請求の資料と署内へ提出する裏付け資料を作っていた。


   *


 南町で夜八時に始まった懇親会は、猪里署から署長と副署長が揃って出席した。目的は、事件を取材したマスコミ関係者への慰労もかねていた。

 マスコミの警察担当者も続々と会場に集まり、二〇人以上に膨れ上がり宴は賑やかとなった。

 会は副署長の挨拶から始まり、マスコミの尽力をねぎらう言葉が並んだ。

 挨拶の最後を飾り、署長が立ち上がって、乾杯前にまじめな訓話めいたことを述べた。

「鑑識課長と以前話していたのですが、彼に言わせると、『すべての物質は毒であり、薬でもある。人の側から見て毒になるものは、それを含む動植物にとっては、自身の命を守る〝薬〟なのだから。言うならば、人の使い方しだいでどちらにもなりうる。だから、薬として使う場合、その責任は使ったひとにある』らしいのです。

 酒も百薬の長と言われていますが、飲み過ぎは毒です。皆さん、わけ方もいらっしゃるので申し上げますが、くれぐれも悪酔いして他人に迷惑をかけないようにしてください。では乾杯!」

 赤ら顔の副署長に、久野はビール瓶を持ってお酌に行った。

「事件解決は、もう時間の問題ですよね」

「長引くようなら島さん(島谷警部)は呼ばない。やるべきことはやっている」

 酒の席でも幹部の口は堅かった。

 出席しているマスコミの担当者たちは、男も女も、悪酔いしない程度に酒を飲み、四件の連続殺人事件を振り返るものもいれば、明日、明後日にでも犯人逮捕の瞬間を写真や映像で全国に伝えようと、鼻息も荒く各社のカメラマンにメールを入れるもの、署長や副署長にお酌をして容疑者の潜伏先はどのあたりかと訊き出そうとするもの、島谷警部を称賛して、「島谷警部バンザイ! 猪里署バンザイ!」と調子よく叫ぶ輩もいた。

 東京から来たというワイドショーのリポーターは、自分たちがこれまで報道で取り上げてきた数々の難事件や怪事件、行方不明事件、時効になった迷宮入りの事件などの遍歴を、言葉巧みに聞かせてくれた。酒の勢いもあり、その手の武勇伝にありがちだが、話に尾ひれがついたり、途中で脱線したりすることもあった。

 あっという間に時は過ぎ去り、誰もが楽しい時間を過ごしたその宴の最後になって、副署長の口から、

「明日の午前は開けておけよ」

 とマスコミに向けた〝お触れ〟が出た。その「鶴の一声」を聞きたくて皆は集まり、事件解決も秒読みに入った、とマスコミ陣は恵比須顔で店を出た。

 いよいよ捜査も大詰めだ。久野をはじめ、マスコミ各社のサツ回り担当ならだれしもそう思ったはずだった。

 もちろん、捜査が終結し、マスコミの報道が明日の午前に最高潮に達するのを、出席者全員が始めから承知したうえで、宴席に参加していた。

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