朝に眠る

PROJECT:DATE 公式

邂逅

しんと静まり返るには

時間が経たなければならない。

時間が経てば大好きな朝がやってくる。


朝は昼に比べ空気が澄んでいる。

夏場だと特にわかりやすい。

肌の上を滑らかに滑っていく風は

屡々体を冷やしてくるから、

ぶるりと体が震える。

冬だと流石に苦になるが、

春や夏の朝はそれほどではない。

寧ろ人の逃げ場になるような気温。

それが酷く心地いい。


反して夜は嫌いだった。

黒色の両手が私を常に囲んでいて、

いつでも捕らえられてしまうと思うと

背筋が急速に凍っていく。

狭くて暗いところは怖かった。

いつ何時も殴られているような

気になってゆくから。

だから私はいつも日付を超える前には

必ずと言っていいほど床についた。

そして迎える大好きな朝。

朝に抱えられて目覚める為に

夜を犠牲に生きてきた。


美月「……いってて…。」


そんな今までいくつも眠り過ぎ去った

何度目かの夜が近づく今。

部活を終えよたよたとした足取りで

帰路を辿っていた。

これまで運動部に所属してこなかった私が

バドミントン部に入部して早2週間。

私を襲うのは筋肉痛という名の怪物だった。

小学生の時はよく外で遊んでいたから

筋肉痛になるなんてことはなかったのに、

今となってはその面影はない。

室内で本を読み耽り、

ひと段落ついたらピアノを弾く。

そして習い事や家業を手伝うのだ。

お寺の子供ということもあり、

様々な行事にて多くの人と出会ってきた。

その兼ね合いで、親と共に日帰りの登山や

何かしらの運動の祭典に

出席することはあるも、

やはり稀に体を動かすだけでは

慣れてくれるはずもなく。


新品のラケットが背中でからりからりと

軽快な音を鳴らしている。

シューズも入っているから

鞄はぱんぱんに膨れ上がっている。

朝に比べるとお弁当と水筒の中身分の

重さが減っているからいいけれど、

朝はその分重たかった。

大好きな朝とはいえど、

荷物が多いと気分が落ちてしまうのは

言うまでもなかった。


美月「…。」


今日は帰ってから何をしようかしら。

途中まで読んでいた本があったはず。

その続きを読もうかしら。

どんな展開なのかしら。

主人公はどんな未来を選ぶのかしら。

どんな人と歩むのかしら。


夢想するのはいつしか楽しくなっていた。

この先どうなっていくんだろう、

そう思えばわくわくしてやまないの。


小学生の頃は本なんて

一切読んでこなかった。

それこそ。

…それこそ、あの日まで。


あの日、苦手ながら本を読んだ。

ずらりと並べられた異世界は、

本を読み慣れていない私には

大層難解な景色だった。

だけど、とある背景があったものだから

頑張って頑張ってしぶとくしがみついて

漸く読み終えた記憶がある。

それから暫くは本を読まなかったのだ。

だった1冊。

それだけが特例だった。


暫くして、私は人生の中で

1番の過ちを犯した。

その反省点の改善の為に

本を読むことにしたのだ。

反省点。

それは、人の気持ちを考えることが

できなかったこと。

これを改善する為に。

当時の私は快活で外で遊び続け、

帰るのが遅くなりパパやママによく叱られた。

そんな私が室内に篭りっきりになったのだ。

それはそれは周りも親族も

みんなして驚き、

私に何かあったのではないか、

病気でもあるのではないかと心配した。

ただ、本と映画は嗜んでおくよう

言われていたので、

私が本を読むようになって

安心の滲む顔をしていた

誰かがいたのも覚えている。

私は必死だったと言うのに、

それは周りから見たら

とても有意義な変化だったらしい。

私の愚行は結局学校外へと

情報が出回ることはなかった。

そして、私が何をすることもなく

その事件はすうっと影を薄め、

今では見えなくなりかけていた。


美月「………何…思い出してるのかしら。」


4月。

変なことばかり続いた。

Twitterに変化が起こり、

今ではもう数週間経っている。

いつの間にかゴールデンウィークという

大型連休が大の字で寝転がっている。

今は僕の時間だと言わんばかりに。


変なことばかりが続いた。

私は再会してしまった。


変なことばかりが続いた。

宝探しは終わったものの、

その最中に長束先輩の姿が消失した。

未だに帰ってはきていないらしい。


変なことばかり続いた。

そのせいだろうか。

こんなことを思い出してしまうのは、

過去に縛られて苦しくなってしまうのは

変なことが続いていて、

それで少々心身が疲れているからだろうか。

それとも、夜だからだろうか。

夜が私の精神を今だと言わんばかりに

食い削っているみたいで。


美月「…夜から逃げたいわね。」


そんな言葉が頭をよぎったかと思えば

既に口に出されており、

静まり返った住宅街に

ぽつりと雨のように降った。

頬は濡れてなんていないが、

心中では洪水が起こってしまった後なのか

不安でひたひたになっている。


さっさと家に帰って眠れば

朝が迎えいれてくれると知っていながら、

何故か今日は回り道を

しなければならない気がして、

普段ならば確実に通らない道へと

足を1歩踏み出した。


からんからん。


美月「ひっ…。」


私が偶々蹴飛ばしてしまった

小さな小さな石ころが、

他人の家の植木鉢へと

吸い込まれるように飛んでいった。

そのせいで冷たい金属音が

耳の奥で何度も木霊する。


美月「……何よ…全く…。」


怖いのは苦手。

苦手だと言うのに

暗闇の方向へと進んでしまうのは

私の今の精神状態の色に

似通っているからなのかしら。

いつだか読んだ心理学の本に

記載されていたようななかったような。

もしかしたら記憶の奥底で

捏造してしまったのかもしれない。

過去の記憶だって捏造してくれればいいのに、

捏造して忘れて仕舞えばいいのに、

悔やんでいることばかりは

どうにもそう綺麗にはいかなかった。


物事はうまく進むように出来ているなんて

迷信だと思い信じてこなかった。

物事はうまく進むように出来ているのではない。

物事をうまく進むように努力しているのだ。

私はこれまでそうしてきた。

小学生の頃の1件以来、

そうするように努力してきた。

それでも。

それでも、私には覚悟が足りなかった。

過去を思えば思い返すほど、

これまでしてきたことの後悔のあまり

足が震えることだってあった。


中学生になる手前のあの1、2年間の

鈍い音のみの緩やかなる地獄は、

小学生の頃の過ちへの報復だと思えば

甘んじて受け入れなければならないと

自分の考えを殺したのだ。

自分の意見を曲げたのは

その1回だけではなかろうか。

否、何度かはあったかもしれない。

だが、他のは比べ物にならないからか

記憶にない、と言うのが正しかった。


暗闇に佇む家々は、

人が住んでいるのだと分かる家から

そうだとは分からない、

判別のつかない家まで三者三様であった。

夜風は私の体を切るように

真横をすうっと通り過ぎてゆく。

その度にラケットがからからと鳴り、

1歩踏み出す度に鞄の重量が

肩を引きちぎろうとするかのように

のしかかってきていた。


ふと、人とすれ違う。

マスク姿にジャージ姿の男性が

日々の欠片を消費していた。

そんな風にすれ違う私も

ここで時間を落としている。

この忘れ物ばかりは

誰も届けてはくれないのだ。


美月「………懐かしい。」


こうも寄り道をしていると、

再度小学生の頃の記憶が蘇る。

何度も門限を破ったし、

お寺の奥の山へ入り、

さらに奥に位置する丘まで

足を伸ばしたことをあった。

2人で。

親友だったあなたと2人で。


何故か私は中学生の頃の記憶が

ふと脳裏に浮かぶことは少なかった。

何故だろう。

…。

…きっと、理由はわかっている。

小学生の頃は毎日を楽しんでいた。

あなたと過ごす時間は

とてつもないほど濃密で有意義で

他の何にも変えることはできなかった。


だが、失態を犯し1人になり、

中学生になっても本と

向き合ってばかりになった。

濃密な時間はあっという間に消え去り、

私には白い床だけが残された。

私はそこに寝転がるわけでもなく、

ただ突っ立って未来と過去、

右と左を延々と交互に見続ける。

楽しかった時間は幼い頃に

とっくに終わっていたのだ。

後は無駄とも思える時間を積み、

歳をとっていくだけ。


寄り道は楽しかった。

久々なこともあり、

心と鞄は重たいままだが風ばかりは軽く、

私の髪をふわりと揺るがした。


ふと公園へと差し掛かった。

ここでも数回どころではなく、

数えきれないほど遊んだっけ。

幼き私の近くには

いつもあなたの影があった。

笑顔があった。

その笑った顔が大好きだった。

…。


美月「…今じゃ…夢みたい…。」


今では、あなたの笑った顔が

1番大好きだなんて口が裂けても言えない。

言う資格がないと言うのも

勿論ある話なのだが、

それ以前にあなたは笑わなくなったから。

私のせいで。

私の過ちのせいで。

私は、私のせいで

あなたと私の人生を

めちゃくちゃにしてしまったのだ。


悔やんでも仕方がない。

何故ならもう戻れないから。


美月「……?」


気分も相当落ち込んだところで、

公園から何やらきぃ、きぃと

軋む音が聞こえることに気がついた。

葉が邪魔だったので

公園内へと1歩入ると、

きぃ、きぃとブランコが揺れており、

どうやらそこに人影がひとつ。


美月「……さ、流石に人よね。」


幽霊ではない。

断じて違う。

私は見える体質ではない。

だから、違う。


そう何度も念じた後、

公園の砂を踏み荒らして

ブランコの方へと向かった。

ざっ、じっ、という

特有のじゃりじゃり音からは

懐かしさと共に新鮮さも見出せる。

靴の裏は擦れているだろう。

新品だったはずの靴は

今でさえ若干ながら

黒みを帯び始めている部分があった。


じ、ず、ずっ。

なるべく音は立てないようにと思いながらも

どうしようもなく鳴る砂たち。

その音に気づいていないのか、

微かに音楽が聞こえてくる。

音楽とは言えど、

人の口からのみ奏でられていた。


「ふふ…ふー……ふふ…ふー…ふんー…。」


聞いたことのないリズム、音程。

少なくとも今話題の歌では無さそう。


遠くで時に揺れるブランコ。

そこに座って何やら

スマホをじっと見つめてるようだった。

思い立ったように足で地を蹴り

きぃ、とブランコを鳴らす。

数回往復したのちにゆるりと止まる。

それを繰り返していた。


ぱっと見中学生くらいだろうか。

髪が短いから性別まではわからないものの、

どこか幼さのある雰囲気。

声を聞くに女性っぽいが

中性的とも言えるかもしれない。


夜の狭間、この時間は

世間一般でいう普通の家族ならば

夕ご飯を家族みんなで囲んでいるような時間。

それなのに1人でブランコに座り

スマホを眺めている姿を見ていると、

何かあったのだろうかと気になってしまう。

心がいつの間にか私の体を動かし、

その子へと近づいていた。


じ、ず、ずっ。

なるべく音は立てないようにと思いながらも

どうしようもなく砂は鳴った。


刹那。

イヤホンをつけていたその子は

ふと私に気がついたのか

ぱっと顔を上げた。

マスクをしているものの幼さの残る顔つきで。


美月「こんばんは。」


「あ、こんばんはー。」


口を開けば特徴的な声が耳に届く。

ふと浮かんだのは配信者。

きっとこの子が配信でもすれば

愛嬌のある特徴的な声だから人気が出そう。

だなんて過った。

ブランコを鳴らすのは辞めたのか、

きぃ、と不気味な音がしなくなる。

夜のしんとした空気が私を刺す。


私が突っ立ったままなものだからか、

その子は居心地悪そうに数回

目をぱちくりとした。


「あー…何かようですか?」


美月「いえ、何もないのだけど…何してるのかなって思ったの。」


「今?」


美月「えぇ。歌ってるみたいだったし。」


「あー、作曲してたんです。」


美月「作曲?すごいじゃない!」


「趣味程度ですし、全然。」


美月「趣味でも出来ることがすごいのよ。」


「えへへ、ありがとうございます。」


美月「歌好きなの?」


「好き…なのかな。そうでもない気がする。」


美月「そうなのね。」


「お姉さんは音楽好きなんですか?」


美月「えぇ、とっても。ピアノを弾くのが好きなの。」


「へぇ、すごーい。」


美月「小さい頃からやってるから、もはや習慣ね。」


昔から習い続けているピアノ。

ふと、2人で連弾しようねなんて言って

そのまま捨てられた

約束があることを思い出す。

そうだ。

結局あのまま連弾はせずに

事件が起こってしまったんだっけ。


「あ、横座ります?」


美月「え?」


「隣のブランコ。よければ。」


その子はうっすらと微笑みつつ

隣のブランコへと視線を寄せ、

すぐさままた私を見た。

その真っ直ぐな瞳は

どうやら夜に染まってしまっているようで。

どうやら一緒ではないことを

刹那に悟ってしまう。


美月「…えぇ、ありがとう。」


だが、誘いを断ることも忘れて

すっぽりと夜の隣にはまる。

夜に逃げたいなんて願ったから

私に夜が現れてくれたのだろうか。


その子に促されるままに

隣のブランコを鳴らす。

きぃ、と似たような音が鳴った。


美月「私は雛美月って言うの。名前なんて言うのかしら。」


茉莉「茉莉です。國方茉莉。」


美月「茉莉ね。覚えたわ。」


茉莉「茉莉も覚えた。美月さん。」


にい、と緩やかに笑うその子を見てると

何だか花奏の事を思い出す。

花奏も年上に対して名前に

さん付けで呼ぶからだろう。

その姿と妙に重なるものだから

自然のうちに口角が上がっていた。


美月「はじめブランコの音が聞こえた時、幽霊じゃないかって焦ったのよ。」


茉莉「くはは、あー…そうなんですね。」


美月「えぇ。」


茉莉「怖いの苦手?」


美月「恥ずかしながらそうなの。茉莉は?」


茉莉「茉莉はびっくり系は苦手だけどそれ以外はあんまり。」


美月「そうなのね。幽霊じゃなくってよかったわ。」


茉莉「確かにー。」


気付かぬうちに外された

イヤホンを片手にくしゅりと握り、

また癖なのか地面をひと蹴り。

すると、音が鳴る。

その繰り返しだった。


美月「失礼な事聞くわね。茉莉って女の子?」


茉莉「はい、そうですよ?そんな男の子っぽいかなぁ。」


美月「遠くで髪型だけ見てると分からなくって。」


茉莉「あぁー。あと服装とあるかもしれない。」


美月「スポーティって感じするものね。」


茉莉「スカート苦手で。」


美月「あら、そうなの。ワンピースとかも?」


茉莉「絶対やだー。」


美月「ふふ、そう。」


やだーと言いながら足をぱたぱたと

水辺でキックするような姿は

子どもらしくて弟を見ている気分になる。

その度にも何度目かのきぃ、と言う音。

暫くは耳から離れてくれないだろう。


美月「茉莉はこの時間、いつもここにいるのかしら。」


茉莉「いつもじゃないです。たまーに散歩で。」


美月「へぇ、散歩。好きなの?」


茉莉「うーん、暇だからしてるって感じです。好きなこともないし。」


美月「さっきも音楽はあんまり好きじゃないかもって言ってたものね。」


茉莉「うん。」


美月「じゃあ、夜は好き?」


茉莉「ぁー…。」


喉に引っかかり掠れた声。

夜に溶けて飛んでゆく。


茉莉「好きかも。」


美月「好きなものあるじゃない。」


茉莉「くはは、あった。」


そう。

直感でしかないのだが、

この子は夜に染まっていると感じた。

家庭環境で何かがあったとか

学校での問題を抱えているだとか、

想像すればするほど広がってゆく。

ただ、ここにいるのは茉莉という女の子。

それだけが夜の手がかり。


美月「いつか私の好きなものも紹介したいわ。」


茉莉「何好き何ですか?」


美月「読書とピアノよ。」


茉莉「へー、インドア?」


美月「まあそうね。」


茉莉「でも背中のそれは?」


美月「バドミントン用のラケットよ。」


茉莉「おー、水陸両用車みたい。」


美月「ふふ、何よそれ。」


茉莉「あははっ。」


美月「また今度ピアノを聞かせてあげたいわ。」


茉莉「聞きたいー。」


美月「まあ、本当?」


茉莉「うん。音楽やってる人の音楽を直で聞いてみたい。」


美月「そうなのね。なら是非。」


茉莉「誘拐しないよね?」


美月「当たり前よ。この年で犯罪者になる勇気なんてないわ。」


茉莉「ならよかったです。でも今日は帰らないと。」


美月「今日とは勿論言わないわ。明るい間にしましょうよ。」


茉莉「ですねー。」


ぼんやりと遠くを眺める彼女は

引っかかることでもあるのか

言葉尻を濁しているような気がした。

それもそのはず。

話の流れでピアノを聴きに

来てほしいだなんて口にしてしまったが、

たった今会ったばかりの子だ。

見知らぬ人にはついていくなと

小さい頃に誰もが教わったはず。

私は今不審者になろうと

していたのかもしれない。


茉莉「あ、でも暫くは辞めておきたいです。まだ怖いし。」


美月「えぇ。茉莉に任せるわ。」


茉莉「任されちった。じゃあー…またいつかの夜、この公園で会うって言うのはどうですか?」


美月「ここで?」


茉莉「そう。いつ会えるかわからないけど、まあ…運ゲーというか。」


美月「巡り合うのも何かの縁だものね。」


茉莉「そーそー。どうですか?」


美月「いいじゃない。面白そう。」


茉莉「やったー。」


にんまりと微笑みが夜を照らす。

公園の時計は刻々と進んでいるのが

全く分からないままに

暫くの間、夜に住む彼女と話をしていた。


新たな出会いの季節も今日で終わる。

今月の最後になんとも不思議な縁がひとつ

紡がれていった。



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