閑話 異変

三人称視点


 勇者選考会にて、六番目の候補者として現れた狂戦士ベルセルクアスムンド。


 彼が面接の際に投げ捨てた熊の毛皮がどうなったのだろうか。

 アスムンドの不遜な態度と七番目の候補者であるレオニードの登場によって、その所在は場にいた者達の知覚から、外れていた。

 誰からも知覚されなくなった毛皮はまるで生命のある生物のように自らの力で這うように動き出し、会場から姿を消した。




 そして、リリアナとレオニードの関係が徐々に深まる中、『運命の泉』に近い鉄の森ヤルンヴィドの地で異変が生じていた。

 あの意志を持ち、動き始めた熊の毛皮だったモノが二本の足ですくっと大地に立っている。

 差し込み日の光が銀の樹木に反射し、そのモノの豪奢な黄金の髪が煌めく。


「もうすぐだ。この私が全てを手にする」


 まるで芸術家が作り上げた彫像のように完璧な美を表現した容貌と引き締まった筋肉で飾られた肉体を持つ美しい男がそこに立っていた。


「ロキの正当なる長子ナリこそがその秘法にふさわしいのだ。ふはははは」




「大変だ。聞いたか、ハティ」

「聞いたぞ、スコル」

「見たか、ハティ」

「ああ。見たぞ、スコル」

「「大変だ」」


 運悪く、ナリと自らを名乗った奇怪な男の姿を目撃してしまったのが鉄の森ヤルンヴィドで生まれ育ち、根城としていた二人(二匹?)の狼だった。

 黒い雄狼がスコル、白い雌狼がハティ。

 二卵性双生児である二人は常に一緒に行動していた。


 彼らは全ての魔獣の頂点に立つフェンリルの同族として、側に仕える側近と言ってもいい存在である。

 その地位にふさわしく、強大な力を有した魔狼なのだから。

 だが、残念なことにあまり、頭を働かせるのが得意ではなかった。


 目にしたことを理解し、判断を下すのに時をかけてしまったのが、命取りになってしまったのだ。


「私の姿を見たな? 生かしておく訳にはいかんな」


 彼らが気付いた時にはナリが目の前にいた。

 爛々と輝く、双眸は琥珀の色で輝き始め、ナリの身体がミシミシと嫌な音を立てながら、変貌を遂げていく。

 身体が風船のように不自然に膨張し、牡牛よりも大きな体躯を誇る魔狼のスコルとハティを超える大きなものへと変化している。

 美しかった顔は口吻が伸び、鋭い犬歯が覗く、狂暴な獣に転じ、全身もナリの金色の髪と同じ、黄金の毛皮で覆われていた。


「ほらほら。どうした? 大したことはないな」


 黄金の大熊を前に鉄の森ヤルンヴィドでは敵なしだったスコルとハティは避けるのがやっとになっている。

 既に逃げられない状況に陥っていたのだ。


「ハティ。お前は兄貴のところへ……行くのだ。知らせるのだ」

「スコル。お前はどうする?」

「俺が隙を作る……行け、ハティ」


 体当たりでハティを弾き飛ばしたスコルの体を鋭く尖った熊の爪が貫いた。

 しかし、致命傷と思しき一撃を喰らったスコルは自らの体を盾としたのだ。


 ナリの動きが止まったのを見て、ハティは大地を蹴った。

 一切の迷いを捨て、振り返らずに懸命に走る。

 流れる涙は風に吹き消され、風と一体化したように……。




 暗黒の森の奥深くに迷走に最適な滝がある。

 滅多に人が立ち入ることもなく、獣すらも近づこうとしない不思議な滝だ。

 イザークフェンリルの姿がそこにあった。


 滝に打たれ、思案に耽る銀糸のような髪の美少年にしか見えない。

 水も滴るいい男と取れなくもないが実情は少々、違う。

 一糸纏わぬ姿である。


「ひとっ走りした後のクールダウンは最高である」


 滝に打たれるので服を脱いだのではない。

 彼は服を着ること自体が苦手である。

 人の姿を取っていることも得意ではないイザークにとって、いつでも狼に変じて問題がない全裸が最適だったのだ。


「むむ? ハティ!? どうしたのである!」


 純白の美しい毛皮を緋色に染めた傷だらけのハティが辿り着いた安心感からか、どうと大地に倒れ伏した。


 彼らを害することが出来る者など、ニブルヘイムに一握りしかいない。

 そして、その者が非道を働かないことを一番、良く知っているのは他ならないイザークである。

 何かが起きていると本能的に悟ったイザークは激情と怒りに身を任せる。


「ぐおおおおおおん」


 そして、巨狼の慟哭が森を揺るがすのだった。




「ふぅ~ん。面白い……ううん。面倒なことが起きそうねぇ」

「ハハッ。悪くないね。ショーの始まりだよ。ハハッ」


 黄金の林檎にキスをするように唇を寄せた艶めかしい色香を放つ少女が瑠璃色の瞳を僅かに揺らし、それらの光景を見ていたことを彼らは知らない。

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