第23話 PINK
家の前まで帰ったところで、佳織は立ち止った。
左手首の腕時計で時間を確かめて、それから短縮登録してある夫の携帯を呼び出す。
仕事中かと思ったけれど、すぐに電話が繋がった。
「紘平?今どこー?」
「駅前、今コンビニ過ぎたトコ。なんだ、買って来て欲しいものあるのか?」
「違うの、私も今帰り道、って言ってももう家目の前だけど・・・今駅前に向かって戻ってるとこ」
「どーした?お前も遅かったんだな」
「決算後のバタバタよ」
「毎度のことだな」
「ね」
「で?こっち向かってんのか?」
「そーよ」
「そーか・・・」
携帯越しに聞こえて来た紘平の声が、笑みを含んでいる事に気付いて、佳織が顰め面になる。
「なに?」
「俺の事、迎えに来ようとしてんだろ?そんなに早く俺に会いたかったか」
そうかそうか、と嬉しそうに応える紘平の声。
いつもの憎まれ口を叩きそうになって、咄嗟に飲みこむ。
夜空を彩る淡い花びらが目に入ったせいかもしれない。
優しい色は、気持ちまで素直で優しくする。
「一緒に桜、見に行かない?」
「夜桜見物?」
「そう。駅前の公園、ほら、ライトアップしてるでしょ?」
「あーそうだな。って、お前そのつもりなら駅前で待っとけよ。夜道1人で歩くなって言ってんだろ。木の芽時は変なヤツ増えんだからな」
呆れ口調が返って来て、佳織が笑って頷く。
「それはー・・・ごめんね、心配性の旦那様」
「どこ通って戻って来るんだ?2人で帰る時の道じゃねーだろーな」
人気が少ないけれど、その分早く帰れる道と、人通りも多く、車の通りもある大通り沿いの遠回りの道。
実は1人の時でも、近道を通る事が多々あるのだけれど、勿論そんな事は紘平には内緒だ。
バレたら小言が降って来るに違いない。
付き合っていた時(そう言って良いか謎だが)は、ここまで口煩く無かった。
一人前扱いしてくれていたと、思う。
だけど、紘平と付き合う事を選んで以降彼の過保護ぷりは激しさを増す一方だ。
こんなに”大事な女の子”扱いされた事は未だかつて無かった。
大声では言えないが、もうイイ歳した大人の女性である。
でも、なぜだか、紘平の前ではいつもの強気な自分でいられないのだ。
どんどん鎧を剥がされていく感じ。
「平気よ」
「佳織の平気は信用してない。で、どこ通って来るんだ?」
あっさりと却下されてしまう。
「ちゃんと遠回りするわよ。ねえ、コンビニで待ってて?」
「何で、迎えに行くよ」
「え、行き違いになったら困るし」
「馬鹿、こんな近場で行き違いになるか。心配なら電話しときゃいいだろ?」
「そうだけど・・・あ、ねえ、そっちのお花見いつ?」
「今週末の予定」
「やっぱり?ウチもなの。場所は毎年恒例」
「臨海公園」
「そう!場所も一緒?」
「ウチの会社で花見って言ったらひとつしかねーだろ」
「途中でちょっと抜けたら会えるかもね」
「抜けれるかー?」
「分かんないけど、ちょっと位なら平気だと思うし。やっぱり一応挨拶しなきゃだめでしょ?社内結婚してるのに、同じ場所でお花見してて妻が挨拶に来ないなんて、非常識でしょう」
宣言通り人通りの多い道を足早に戻り始める。
お花見シーズンだからか、いつもより道を行き交う人が多い。
縫うように歩道を進んで行く。
そう思ってみれば、結婚してからこちら、紘平と携帯越しに長時間話すのは初めてかもしれない。
大抵が、帰る、とか、今会社、とかの報告連絡だから。
なんだか、独身時代を思い出してくすぐったい気持になる。
「今更誰も気にしねェよ。無理しなくていいけど、飲み過ぎんなよ。潰れるのも絡むのも寝るのも禁止な」
いきなり出て来た禁止事項に佳織が瞬いた。
「ちょっとー、私がめちゃくちゃ酒癖悪い女みたいじゃないの!」
「思い当たる節あるだろ?」
「全く無い!そんな潰れた事ある?」
「ある」
きっぱり言い返して、それから紘平が思い出したように続ける。
「でも、同期以外のメンバーと飲み会で潰れてるとこ見た事ねェな」
「でしょ?ヨソサマには迷惑かけてませんからね」
「ヨソサマね」
「紘平はもう家族だから、潰れても、寝ちゃっても、絡んでもいいでしょう?」
「・・・他の人間にしないならな」
「・・・しないわよ」
答えて、目の前に紘平が居るわけでもないのに気恥しくなって視線を下げる。
と、前方から声が聞こえた。
「佳織!」
紘平の声だ。
反射的に顔を上げると歩道を歩いてくる夫の姿が見えた。
「早くない?」
思わず携帯越しに問いかけたら、真正面に立った紘平が笑った。
「急いで歩いた」
「早く会いたかったの紘平じゃない」
小さく笑ったら、指を絡めるように手を繋がれる。
「お前が待ってると思って」
サラリと答えて公園に向かって歩き出す。
「今日は7分咲きってとこかな?」
「週末にちょうど満開かもねー」
「だな」
歩道を抜けて路地裏を通って、明りの少ない最短距離を抜けて公園を目指す。
いくつかの角を曲がると、目指していた公園が目の前に現れた。
「こんな道通った事無い」
「お前連れて歩いた事ないもん」
「何でー?近道なら覚えたいわ」
「夜になると酔っぱらい多いから。俺と一緒の時以外通るの禁止」
「心配性」
「当たり前だろ、漸く俺のものになったんだ。心配するのは俺の仕事」
「なにそれ」
笑って、佳織が公園を囲むように咲き乱れるソメイヨシノを見上げた。
お花見シーズン限定のライトアップのおかげてこの時間でも十分夜桜を愉しめる。
「わー綺麗ねー。やっぱり桜のピンクは優しくって好きだなー。桃とも梅とも違うもっと儚げで淡い感じ」
手を繋いだままで夜桜を仰ぎ見る佳織の隣りで、紘平が目を細めた。
「やっぱり春は桜だよなー」
「うん、可愛いよねー・・・」
しみじみ頷いた佳織が、ふと紘平に視線を送った。
「うん?」
「私には似合わないって言わないの?」
「何で?」
「だって・・・」
これまでの自分の経験からして”ピンク”は最も似合わない色だ。
女の子らしい可愛いものも、どことなく倦厭してきた。
「お前妙なトコ気にするよなぁ」
苦笑して、紘平が佳織の短い髪をくしゃりと撫でた。
「他の誰がどう思ってるのかは知らねーけど、お前は十分女の子だよ」
「な、何言ってんの・・・」
女の子、なんて久しぶりに言われた。
一気に佳織の顔が赤くなる。
そんな彼女の顔を覗きこんで、紘平が幸せそうに笑う。
「普段強気なのに、妙なトコ気にするよなぁ。面白いし、可愛いからいいけど」
「なんか余計なひと言くっついてるけど!?」
「どっち?」
紘平が笑みを浮かべたままで尋ねて来る。
つられて佳織が破顔して笑う。
「面白い!に決まってるでしょ!」
「へー可愛いって自覚あるんだ?」
茶目っ気たっぷりの質問に、佳織が自信満々で答えた。
「可愛いって自覚は無いけど、愛されてるって自覚はあるの!」
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