CODE17 二人の研究者(1)

「椎名……椎名啓太くん?」

 鉢合わせになった加納博士が、少し驚いたような顔で言った。

 予想もしていなかった反応に、「ええ」と混乱したまま返事をする。

「ひょっとして、ぼくに用があってきたの?」

「は、はい」

 反射的にうなずく。


「ここじゃ、何だから、お茶でも飲みながら話そう。ちょっと待っててくれるかな」

 加納博士はそう言うと、研究室のドアを開き、中へ向かって「佐藤さん。一時間ほど出かけてくる」と大きな声で告げた。

 なぜ、ぼくのことを知っているのか? と、尋ねるタイミングを逃してしまい呆然としてしまう。

 博士はすぐに踵を返すと、歩き始めた。慌てて後を追いかける自分の足下が、大きく音を立て、崩れていくような感覚に陥いる。どんなに考えても、加納博士と会ったような記憶は無かった。


「どうした? 深刻そうな顔をして」

 突然振り返った博士が言った。ぼくの肩を叩いて、ついてくるように促すと、再び足早に歩き始める。

「いえ」

 ぼくは何と言って良いか分からず、とりあえず頭を振った。

 疑問を押し殺し、博士の後を追いかける。


 エレベーターに乗り込むと、博士が一階のボタンを押した。

 博士は相変わらず気さくに話しかけてくるが、ぼくの返事は上の空だった。

 一階に着いてからも何も考えられず、博士の後ろを歩いて付いていく。気がつくと、学内のカフェに来ていた。

 隅の席に案内され、博士と向かい合って座った。

 目の前に置かれたコーヒーカップから、淹れたてのコーヒーの香りが溢れてくる。


「さてと……、元気だったかい?」

 博士が意味ありげな表情で尋ねてきた。

「なんで、ぼくのことを知ってるんですか?」

 ぼくは、思い切って疑問を口に出した。


「ん……? 覚えていないのか? 実験は成功したと聞いていたのだが、記憶は戻っていないのか? それで来たわけじゃないんだな……」と、博士が怪訝な表情を浮かべて言った。

「実験? 記憶? どういうことですか?」

「まあ、待て。じゃ、まずは、ぼくから質問するが、ここに君は何しに来たんだ?」

 ぼくの質問を遮り、博士が眉根に皺を寄せて言った。気さくな感じがなくなり、目つきが鋭くなる。


「実は、博士の開発したAIのことと、友人のミサという女の子のことで来ました」

「AI? ミサ……?」

「博士はしばらく前に、実験をしたでしょう? スーパーコンピューターを使った人工知能の実験。そして、藤田博士の人格と記憶の移植実験。その時、雷による事故で人工知能のプログラムは自らの意思を持ち、外に逃げ出した」


「なぜ、そのことを知ってる?」

 博士の表情が、ますます厳しくなる。

「ミサが教えてくれたんです。ここの病院に入院し、昏睡状態にあるはず……。ぼくは、ここから逃げ出した人工知能に、サイバー・スペースへ引きずり込まれた。音を使い脳へデータを送り込む方法でね……。その時、助けてくれたのがミサで、ここのシステムに残っている記録をぼくに見せて教えてくれたんです」

 ぼくの話を聞いて、博士が大きく目を見開いた。


「入院? ミサって、まさか、加納美沙か?」

「いや、名字は知らないんです……って加納? それって」

「椎名君の言っているミサが、ぼくが今思っている人間なら、それは私の娘だ」

「娘!?」

「確かに、私の娘の美沙はこの病院に入院し、昏睡状態だ。それなのに、娘が君を助けたのか? どういうことだ?」

 加納博士の言葉に、ぼくは一瞬言葉を失い、目をつぶった。

 目が回りそうだった。唐突に知った事実が、ぼくの頭をミキサーのように攪拌した。


 だが、ぼくは何とか正気の縁に踏みとどまった。今は混乱している場合では無いのだ。きちんと説明をし、状況を理解してもらわなくてはいけない。

 ぼくはゆっくりと深呼吸をすると、慎重に順を追って説明をした。

 煙の魔神と出会った顛末てんまつやミサとの出会いのこと、そして、病院の記録映像にアクセスしたこと、ミサが魔神に襲われて煙の魔神と一緒に消えてしまったこと。

 さらに、工藤のスマホから煙の魔神が出て来たことや、不思議な声が自分のことを助けてくれたこと。スマホに城南医科大学病院の健康管理アプリが入っていたことまで……。


 ただ、自分の体が、獣のようになってしまい、訳が分からなくなったことだけは言い出せなかった。話が複雑になってしまいそうだったし、単純に気持ち悪がられるのが嫌だったっていうのもある。

 ぼくが全てを話し終わり、顔を上げると、加納博士と目が合った。


「君が話していることは、きっと、本当のことなんだろう。部外者が知るはずのないことを詳しく知っているし、何より話に破綻がなく、つじつまが合っている」

 博士は、小さく絞り出すようにため息をつくと、

「さて……。まずは、君のことを話さなくてはいけないんだろうな」

 と言った。コーヒーに口を付けると、テーブルの皿にゆっくりカップを戻す。


「ぼくのことって、どういうことですか?」

「藤田博士の人格及び記憶の移植実験とも無関係では無いのだ。実は、あの実験が行われる前にも、同様の実験が行われた実績がある」

「え?」

 無言で加納博士が、ぼくの目を見つめた。

 その意味ありげな表情が何のことか分からず、ぼくは博士を見返した。しばらく間を置いて博士が口を開いた。

「君が……君こそが、あの実験の最初の被験者なのだ」

 想像もしていなかった言葉だった。


 加納博士の鋭い目が、ぼくの目を覗き込むように突き刺さってくる。

 ぼくは強い意志を込めて、博士の目を見返した。

 こんな時に何だけど、ムサシボーに教えられて見た車の映画で、ライバルが主人公に「もう逃げねえ」って言ってたのを思い出す。シチュエーションも何もかも違うけど、気持ちはそんな感じだった。


「一応、訊かれるかと思ってここに資料を持ってきた。見るかい?」

 博士はそう言って、A4のファイルをぼくに手渡した。

 一枚目に、ぼくの顔写真と事故の状況、ぼくの身長、体重、血液型、既往歴などが書かれていた。日付は今年の三月二十日。自動車事故に遭って、頭部を強打、昏睡状態とあった。


「君は交通事故で五日間、入院したんだ。事故の記憶は?」

「全くないです」

「そうか。激しいショックで記憶が一時的になくなるのは良くあることだ。その事実も親御さんが隠したんだな」

 博士が再びコーヒーを口にする。


「君は事故で倒れて、この病院に運び込まれた。幸いにして身体に異常はほとんどなかったのだが、意識だけが元に戻らなかった。いわゆる植物状態って奴だな。それで、開発中だった『記憶・人格の抽出実験及び再起動実験』が実施されることとなったのだ。もちろん、ご両親は了解されていた」

 言われたことを冷静に考えてみると、二年生から三年生に上がる間の春休みの記憶が曖昧なことに気づく。

「実験を受け、頭も正常になってすぐ普通の生活に戻ったってことですか? でも、ここの病院から出た記憶もありませんよ? おかしくないですか?」


「私が立ち会ったのは、実験の部分だけ。その後の治療はノータッチでね。家に帰宅してすぐに覚醒したと聞いていたから、てっきり全てを知っているものだと思っていたのさ」

「そうだったんですね……」


「元々、記憶の抽出と上書きは、理事長の藤田博士が開発済みの手法だったんだ。軽い認知症や記憶喪失の治療法としてね。脳の一部に損傷があったとしても、違う部分に記憶データを上書きして治療する手法だ」

「そんなことを可能にするなんて……」


「ああ、まさに天才だな。そして、君に施した手法はそれを一歩推し進めた手法だった。記憶や人格データにAIを融合させ、人格を再構築した上で脳の損傷の少ない部分に上書きする」

「その実験を試さなきゃいけないくらい、どうしようもない状態だったんですか? ぼくの状態は……。そのまま、安静にしておけば、目も覚めたんじゃ?」

 ぼくは博士に訊ねた。


「君の場合、なぜ、意識を取り戻さないのか、全く分からない状態だったのだ。外傷も無く、脳に損傷も見られない。もちろん、そのままにしておけば目の覚めた可能性もなくはなかったのだが、何よりご両親が、君が早く目を覚ますことを望んだのだよ」

 博士は、全く悪びれずに言った。実験について悪いなんて、これっぽっちも思っているふうでは無かった。


「たまたま、実験に最適な身体が見つかっただけなんじゃないんですか?」

「確かに、当該実験を進める上では、これ以上の好条件の実験体はなかったと言えるな。だが、君のご両親を騙した覚えはないぞ」

「くそっ、あいつら……」

「二枚目を見たまえ」

 促されてファイルをめくる。手術仕様とタイトルがあり、細かい専門用語が羅列されていた。何のことか分からないままに、見ているとプログラムと書かれた項目にAIマーク1とあった。


「これは?」

「君の治療には、初期型のAI、バグズマーク1を使ったんだ。マーク2と比べて判断力・思考力は若干劣るが、意識を覚醒させるだけなら、それで十分だという判断だったんだ。あの時点で一番安定性もあったしな」


「煙の魔神が、ぼくのことを知っていることもこの実験と関係あるんでしょうか?」

「そのことについてはなんとも言えないが、君の話にあった頭の中で鳴るという不思議な声……、それは……」

「マーク1?」

「ああ。そう考えるのが自然だろう」

 博士がぼくの目を見て言った。


「藤田博士に会ってみるかい? 博士にはある特技があって、君……というか、君の中のマーク1と魔人の関係を調べることができるかもしれん。それに、このことは、ひょっとすると美沙を助けることにも繋がるかもしれない」


「特技? でも、アルツハイマーなんでしょう? 調べるって、話はできるんですか?」

 半信半疑で訊くぼくに、加納博士が黙ってうなずいた。

 ぼくは残りのコーヒーを一気に胃に流し込むと、カップをテーブルに戻した。

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