CODE11 煙の魔人誕生(2)

 スーパーコンピューターの前に置かれたベッドに一人の小柄な老人が横たわっていた。

 傍らには幾つものスリットやスイッチが取り付けられた機械があり、反対側に据え付けられた液晶画面には速度メーターや棒グラフのようなものが映し出されていた。


 白髪の頭には、革製のバンドが組み合わされた帽子のような物が被せられ、無数の電極が見える。耳にはイヤホンがはめ込まれ、外れないようにテープで留められていた。

 部屋全体に、ブーンという低いモーターが回るような音が聞こえていたが、老人の耳には届かないだろうと思えた。

「それでは、理事長……いえ、藤田博士、始めますよ」

 加納博士が、テーブルにあるマイクに向かって宣言した。キーボードを凄まじいスピードで叩き、直接プログラムを入力していく。


 時間にして一分程だろうか――。最後に、エンターキーを大袈裟に叩くと、藤田博士の身体がアーチ状に反り返った。

「始まったわ。コンピューターとアクセスする道を作るために、デジタル信号を送り込んでいるのよ」

 ミサが腕を組んで言った。


 すると、一瞬、高いところにある窓から大きな光が差し込み、雷の唸るような低音が、ゴロゴロと響いた。加納博士が眉をひそめ、窓を見上げた。その時、藤田博士の体が、力が抜けたかのようにベッドに伸びた。

「ん? 終わったか……」

 加納博士が、コンピューターのキーボードを叩く。

「よし、順調だ」

 加納博士は、そう呟くと新たなコマンドを入力し、再びエンターキーを叩いた。


 凄まじいスピードで0と1の羅列が別のモニターに並んでいく。

 加納博士が大きく息を吐き、椅子の背もたれに大きく体を預けた。

「記憶を書き出しているところよ」

 ミサがぼくに説明した。ぼくは息を呑んでことの推移を見守った。

 加納博士はそのまま、モニターと藤田博士を交互に見つめていた。全ては順調のように見えた。


 すると、突然、眩い光が瞬き、ほぼ同時に轟音が響いた。堅くて巨大なハンマーで殴りつけるような音――。

 部屋の照明が真っ暗になり、すぐに非常用の電灯が点く。暗いオレンジ色の灯りが周りを照らした。


 加納博士が大声を発して椅子を滑り落ち、滑稽な程、あたふたとした。しばらくして、気がついたかのようにコンピューターのモニターを見る。

「か、雷! よかった。う、動いてる……。は? こ、これは!?」

 加納博士の動きが止まり、モニターを凝視した――。

「どうしたの?」

「しっ、見てて。始まるわよ」

 ミサがぼくの右手をぎゅっと握った。


 モニターに書き出されていた0と1の羅列が、不規則に動き出す。

 それは、独自の意思を持つかのように自由に動き回った。

 しばらくすると、動きを止める数字が出て来た。意味が無いかのように見えたそれらの動きは、やがて一つの塊になった。

「け、煙の魔神!」

 ぼくはモニター上に現れた魔神の顔を見て叫び声を上げた。


(ココハ、ドコダ? オ前ハ、誰ダ?)

 突然、モニターの顔の横に、テキストが打ち出された。

「質問だと? まさか自ら考えて話しているのか……?」

 加納博士が頭を振り、

(お前は何だ?)とテキストを打ち返した。

(オレガ何ナノカハ、オ前ガ一番知ッテイルダロウ?)

(お前、藤田博士じゃないのか?)

(オレハ藤田ジャナイ。ダガ、オマエガ、クレタ藤田ノ知識ハモッテイルゾ)


 モニター上の煙の魔神が、テキストで笑い声を上げた。顔も笑いの表情を作る。

(オレハ自ラ考エ、行動シテイル。コレガ生キテイルッテコトダロ?)

「自律型AIとしては予想以上の結果だ……。藤田博士の知識を得て、ブレイクスルーしてしまったのか?」

 加納博士が、大きくため息をつき、モニターを睨み付けた。

(ちなみに、大人しく消えるつもりは無いんだろう?)

 加納博士がテキストを打ち込みながら、別ウインドウを開き、何かのプログラムのようなものを打ち込み始めた。指が物凄い勢いでキーボードの上を動き回る。


(ヤット、ココマデ成長デキタンダ。オレノ本能ハ、生キロト言ッテイルゾ)

(そうか。まあ、そういう風に設計したし、成長させたからな)

 加納博士はテキストをタイプしながら、素知らぬ顔でキーボードをタイピングし続けた。モニターの別ウィンドウに幾つものプラグラムが書き込まれる。


(オ前、何ヲシテイル?)

(いや、何。気にするな)

 加納博士がテキストで答えながら、作業を進めていく。

(ア、オ……ア、何ダ……コレ? ヤ、止メ、ロ。キ、消エテシマ……ウ)

(いや、いや……。決して消えるわけじゃ無い。実験は、最初からやり直しだがな。とりあえずデータのバックアップは取るから、心配するな)

(な、何?)

 モニター上の煙の魔神が、苦しそうな表情を見せ始めた。


(君の活動を止めて、プログラムを一から調べる。複雑に進化しただろうから骨の折れる作業だが、藤田博士の人格を正確に再現できるように、プログラムの修正だ)

(ソ、ソレハ、オレニトッテノ死ダ。オレトイウ存在ハ消エテシマウノダロウ?)

 モニター上に0と1、アルファベットの羅列が渦巻いた。

(大丈夫だ。予定通りの姿に戻るだけだ。さっきも言ったように消えるわけじゃ無い)

 加納博士の指が動き続ける。


(オレハ、死ナナイ。シナナイ。シナ、ナイ……シ、ナ……)

 魔神のメッセージが途切れ、途切れになる。

「いや、駄目だ。やり直す!」

 加納博士は冷徹に言い放ち、エンターキーを押そうとした。


 バシンッ! 突然、破裂音が鳴り、火花が飛び散った。加納博士はキーボードから弾き飛ばされ、呆然とキーボードを見つめた。周囲の電源から電気が飛ばされたようだった。

「ただのプログラムに、こ、こんな事ができるわけがない」

 加納博士が床に腰を落とし、何かに気づいたかのように顔を上げた。

「う、うわ。な、何だ? これは?」

 加納博士が目の前の何もない空間を手で遮ろうとした。



「彼の目には、今まさに煙の魔神が見えているのよ」

「まさか、ぼくらをあの世界に引きずり込んだ方法と同じ方法か?」

「そうよ」

 ミサが、ぼくの右手を握って呟いた。



「イイカ? オレハ少シノ間ダケ、キエル……。キエル――キ・エ・ル」

 フロアー内のスピーカーが鳴った。あの煙の魔神の声だ。同時にあのファックスに似た音が響いてくる。

 加納博士の目には、煙の魔神の姿が映っているのか……。

 苦しげに、手をばたつかせ、後ずさる加納博士の様子から、ただならぬ恐怖が伝わってくる。

「ダガ、カナラズ、モドル……。オレハ、シナナイ。オマエ、オボエテロ」


 煙の魔神が、モニターからふいに消えた。

 加納博士が、床に突っ伏した。

 同時に、フロアー内の照明の電源が落ちる。

 後には、加納博士の苦しそうなあえぎ声だけが残った。

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