CODE27 決戦(1)

 投げ出されたランドセル、コタツの上に置かれたおせんべい、暖かいミルク、やりかけの宿題、流行の携帯ゲーム。

 その向こうで、小柄な女性が小さな子どもと話をしている。


 懐かしいその声を聞いていると、自然と涙が込み上げてきた。

 そこにいるのは、まだ元気な頃のおばあちゃんと小学校三年生くらいの頃のぼくだった。それは、まるで映画の一シーンのようでもあり、つい最近の出来事のようにも思えた。


 二年前のある日、学校から家に帰ると、母が泣いていた。帰らぬ人となったことを聞いたときには信じられなかった。

 いつでも会える。そう思って、滅多に会いに行かなくなっていたのだ。

 ずっと、後悔していた。そして謝りたかった。

 目の前で、おばあちゃんがにっこり微笑み、小さい頃のぼくの頭を撫でた。

 涙があふれ、目の前の映像がぼやける中、ぼくが手を伸ばすと、おばあちゃんがぼくの方を見た。それは気のせいではなかった。


「おばあちゃん!」

 ぼくは思わず呼びかけた。

「久しぶりね。元気だった?」

 小さかったぼくは、いつしか、今のぼく自身に変わっていた。

「うん……」

 涙を拭い、おばあちゃんの顔を見た。おばあちゃんは優しい目でぼくを見つめ、そのたおやかな手で、ぼくの頭を優しく撫でた。


 どうしたの? なんで、ここにいるの? ずっと、ずっと、会いたかったんだ……。思いが声にならない。

「あら、あら、どうしたの?」

 ひざまづき、泣き続けるぼくの頭を、ばおあちゃんが優しく叩き、抱きしめた。

「しばらく見ない間に、こんなに大きくなって。でも、こんな風にいつまでも泣いているなんて、まだ、まだ子どもなのね」


「ごめんね、おばあちゃん。ずっと会いに行かなくて、ごめん……。いなくなって、初めて分かった。ずっと、ぼくのことを一番に考えて、優しくしてくれてありがとう。あれから、寂しくて、寂しくて仕方がなかった。ぼく、ずっと後悔してたんだ……」

「おや、おや。気にしなくていいのよ」


 ぼくは、おばあちゃんの胸に顔をうずめ、思い切り泣きじゃくった。かけがえのない思い出の中にぼくはいた。その優しい許しの言葉が、ぼくの中に積もっていた惜別の想いを決壊させた。涙はあふれ、ぼくの胸を濡らした。

「ケイタ、取込中、悪イガ、聞ケ」

「マーク1?」


「アア。ココハ仮想空間トハ違ウ。オ前ノ記憶――脳ノ中ノ深イ部分ニアル領域ダ。――ソシテ、オ前ノアイデンティティヲ形作ル大切ナ部分。ココニ、自覚シテアクセススルコトハ、ケイタ自身デモ無理ナハズナノニ、藤田メ……」


 早口で説明するマーク1の横に、邪魔するように、大きなモップを持った藤田博士が突然現れた。そのデフォルメされたモップと若々しい姿が何かの冗談のように見える。


「ココカラ、出テイケ!」

 マーク1が、ぼくの口を借りて吼えるように叫んだ。

「マーク1……オレのプロトタイプのハズなのニ、邪魔ナ奴だ……」

 藤田博士の話す言葉が、煙の魔神と混じっていた。


「ダガ、コレでおしまいダ。キサキ……イヤ、美沙ちゃんのコトハ、オレニ……わたしに、マカセロ……。このあと、ユックリ、オレの子どもを作るヨ」

 藤田博士が、モップを振り上げた。

「アレデ、ケイタノ記憶ヲ消スツモリナンダ!」

 マーク1が、悲鳴を上げた。

 博士が、モップを振り下ろすと、コタツの上にあったせんべいとミルクがかき消えた。


「大切ナ人ガいなくナッてモ、大切ナ記憶ガあるカらコソ、人ハ生きてイケルのさ。ここを消サレルト、お前はお前ジャなくなるってワケだ」

 藤田博士が笑いながら言った。口の端から涎を流し、目は血走っていた。

「やめろ(ヤメロ)!」

 マーク1とぼくは同時に叫んだ。

 藤田博士によって、再びモップが振り下ろされ、コタツが消えた。更に、ランドセルが消え、宿題が消え、カーテンや絨毯が消えていった。


 ぼくはさっきまで、そこに何があったのか、思い出せなくなっていた。

「う、う、うわああああ!」

 悲鳴が喉をこじ開ける。自分そのものが消え去ってしまうような恐怖がぼくを包んでいた。


 藤田博士がぼくを見てニヤリと笑い、ゆっくりとモップを振りかざす。

 ぼくがとびかかるのと同時に、モップが振り下ろされた。

 最初の一振りでおばあちゃんの足が消え、次の一振りで胴体が消えた。

 モップにとびついたぼくを払いのけながら、博士が最後の一振りで、おばあちゃんの全てをかき消した。


「ひゃははははは」

 博士の笑い声が響き、目の前が真っ白になった。

 何か、とても大切なものがなくなってしまったような気がした――と、同時にぼくは、ぼくでない違うものへと変化した。


 目の前の生き物を殺して、喰らい尽くす。

 嵐のような暴力への衝動と食欲。

 なぜ、これを忘れていたのか? 


 目の前が真っ赤になり、背骨が曲がる。

 口元から、よだれの塊がこぼれ落ちる。

 四つん這いになると、耳まで裂けた口を更に大きく開く。


「ケイタ、ダメダ。モドッテコイ……」

 マーク1の声が遠くで聞こえた。



 ぼくは荒れ狂い、宙に向かって吼え上げた。

 腕の皮膚が、むずがゆくなり、ぼこぼこと動き出した。筋肉がてんで勝手に動いているのだ。

 体中に毛が生え、肘の関節が抜けたかのように両腕が長くなった。長く伸びた爪で、顔をポリポリと掻き、舌をいじる。


「な、ナンだ?」

 目の前のちっぽけな男が何かを言った。その怯えたような目が煩わしい。唸り声を上げ、威嚇すると男が小さな悲鳴を上げた。

「そ、ソれハ……?」

 男がぼくの顔を指さした。


 どうやら、ぼくの自慢の長い舌を指さしているようだった。舌の長さを見せびらかすように顔の周りを舐める。

 いつの間に、こんなに舌が長くなったのか? ぼくは小首をかしげた。いや、昔から長かったではないか……。

 自分の疑問を自分で打ち消し、再び顔を舐め上げる。


 では、なぜ、こんなに長いのか? ――目の前の獲物の肉の味を思う存分味わうためじゃないか。

 ぼくは再び宙に向かって吼えた。口から涎がこぼれ、糸を引く。ぼくは一匹の獣だった。自分が一体何であったのか、名前も、姿も、何もかも忘れていた。

 体中の筋肉が勝手に暴れ回り、凶暴な殺意が膨れあがる。


 猛烈に腹が減っていることに気付くと同時に、大量の涎がこぼれ落ちた。大きな牙がにゅっと伸び、男の顔を睨んだ。


「ひいッ!」

 男が首をすくめる。

 ぼくは、欲望のままに男に跳びかかった。男のなまっちろい首にかぶりつく。

 ゾブリ

 と、音を立て、思う存分肉を引きちぎった。男の肉を自分の体内に入れるたびに、自分の中に甘い快感と凶暴な力が増えていった。


「コ、こンなハズじゃ」

 逃げ出そうとする男を引き戻し、再びかぶりつく。

「……や、やメロ、ヤメテくれ!」

 男の懇願を無視し、更に肉を喰らおうとした時、男の背中が大きく膨らんだ。服が破れ、大きな虫が現れる。ぼくの牙が男の背から生えた大きな虫の牙がぶつかり、弾かれた。

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