魔獣狩り

1

「キラン、明日出かけるからな。おまえもついて来い。荷物運びだ」

 そう言いつけられたのは昨日の朝のことだった。

 川に打ち上げられているのを拾われて以来、すっかりオルテガの家に世話になっている。

 本当に何もかもすべて世話になっていた。

 かつては王位を継ぐ者、フィン・デ・ダナーンとして、歴史や算術に天文など、ひと通り学者がついて教え込まれた。

 そうした知識についてならば、下手な貴族よりもよっぽど上のはずだ。

 だが、生まれ変わってキランとなった僕には、これまでに身につけたことのすべてが無意味であった。

 ここで生きるために必要とされたのは、今までやったことのないことばかり。

 炊事に掃除、薪割りに水汲み……

 できて当たり前とされることのどれもが、僕には経験のないことだった。

 言いつけられるたびに立ち尽くし、呆れたティファネやオルテガにひとつひとつやって見せてもらい、それを必死でおぼえていく。

 そんな日々。

 はっきりいってお荷物なのだ。

 だから僕は明日の行き先がどこかわからずとも、オルテガが出かけると言うならそれに従うしかない。

 何かを運ぶだけなら、この身体があれば十分だ。

 むしろいつもよりも気楽な作業かもしれないという期待さえあった。 




 この魔獣の森には、その名の由来となった主がいる。

 名を魔獣ケルベロスという。

 彼の支配する森の一角には、決して触れないことがこの森に生きる者の掟だそうだ。

 聖域を侵すものには、無事は保証されない。

 しかしながら掟というのは不思議なもので、必ずそれを破る者がいる。

 破ることで掟のなんたるかを、自身の命で証明しようとしてしまう。

 この森でもその例に漏れず、他所からやってきてその縄張りを犯した者たちがいた。

 だが、彼らのほとんどは喰い殺されて二度と生きて帰らない。

 しかしわずかに生き延びた者が大怪我を負い、恐怖におびえ、命からがら森を抜け出て、帰り着いた街の盛り場で事の顛末を語る。

 するとそれが噂となって広まり……

 そんな繰り返しの果てに、いつしかこの森は『魔獣の森』と呼ばれるようになった。


 ……というのが、道すがらティファネの父である猟師のダービッドに教えられた事だった。

 なぜその話になったのかといえば、ダービッドにその娘ティファネ、本業のよくわからぬオルテガとキランと名を変えた僕の計四人が、今まさにその聖域へと向かっているからであった。

 といっても、主の支配する縄張りの中へ大胆にも踏み込もう、というわけではない。

 このケルベロスの支配する群れには、厳格な規律があるらしかった。

 きっちりと定められた範囲を己が領地とし、魔獣は支配地の外へと出ることはない。

 長年にわたり森を駆けるダービッドも、ほかの個体よりひときわ大きな群れのボスが、縄張りの外に出ているところは一度も見たことがないという。

 しかし定められた縄張りの中で生きていけるのは一定数だけに限られた。

 一族の増えすぎは食糧となる獲物の枯渇を招き、群全体が飢えてしまう。

 だから成長した若い魔獣は群れから追われ、縄張りの外へと踏み出すことになる。

 それを狩るというのが、今日の目的であった。

 追い出された彼らを放っておいて自由にさせては、森の生態系のバランスが崩れてしまう。

 それを防ぐためがひとつ。

 それと同時に、彼らの牙を手に入れるためでもあった。

 強い獣の牙を持っていれば、弱い獣を遠ざける護符として使えるのだ。

 街から街へと旅する商人たちや旅芸人は、皆こぞって強い獣の牙を求めた。

 自分の身の安全を図るために。

 だからケルベロスの牙とはたいへん貴重で、ダービッドが暮らしてゆくには重要な収入源であるそうだ。

「でも、そんなところにティファネを連れて行って大丈夫なんですか?」

「娘を心配してくれるんだね、ありがとう。でもね、ああ見えてあの娘は毎年参加してるのさ。もう三回目だ」

「父さん、四回目よ」と、栗色の髪を高めの位置でポニーテイルにまとめたティファネが突っ込み、間違いを訂正した。

「べつに大差ないだろう、細かいな」

「大違いです。それよりキランの方こそ連れてって大丈夫なの?」と、今度はティファネが僕を心配してオルテガに聞く。

「そいつは大丈夫だ。俺がいりゃ万一はまず有り得ないし、剣の構えかたぐらいは知ってるよ、こいつは。記憶を無くす前に、嗜みくらいはあったらしいからな」

「そうなの?」

「あ、いや……

 そう、身体がなんとなく動くみたいで……」

「てことだから、狩るのは無理でも身を守るだけならできるよな、少年」

 剣の扱い方。

 それを僕に手解きしたのはこの男、オルテガではない。

 すでに死んだ、近衛隊長ダバンによってだ。

 だがオルテガの家に世話になってから、剣は握っていない。

 それなのに僕が多少は剣を使えるだろうと、この男は勝手に決めつけていた。

 オルテガはいったい僕のことをどう見ているのか、あいかわらず判断がつかないままだった。

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