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「いやはや、なんとも。これはこれは、にぎやかですな。うるわしき姫のお声が、この広い城内に響いておりますぞ」

 壊された扉から遅れて入ってきたのは、太った男だった。

「これはこれは、フォウラ姫。今日も美しくてなによりですな」

「反逆者がなにをいうかッ!」

 その太った男こそ、この国の宰相を務める男、オーギュスト・ド・フェランであった。

 ド・フェランはおのれが反逆者扱いされたことについて、一切反論しなかった。

 不敵に笑みをたたえるばかりである。

「……姫の弟、フィン皇太子はどちらに?」

「知りません。例え知っていても、教えるものですか。

 我が弟フィンは賢く、勇敢で、立派な王になるべく生まれた男です。このような下世話な争いとは一切の無縁!

 すでに反逆者オーギュスト・ド・フェラン、あなたを討つべく、この城を発ったはずです」

 兵士や宰相といった男たちを前にして、姉は女のみでありながら一歩も引かず、毅然と対峙していた。

 しかし、フォウラ姉さんの澄んだきれいな青に輝く瞳……

 それだけは、不安げに揺れているように見えた。

「ホォー、それはなんとも勇ましい! まさにまさに王族にふさわしい、なんとも勇ましい行動ですなぁ」

 ド・フェランはひとり、パンパンパンとわざとらしい拍手をした。

 その手を止め、「本当に城を出ているなら……、ですがな」、と疑いの目を姉に向けた。

「このわたしが嘘を申すというのですか! 失礼な」

「いやなに、わたしめは少々鼻が利くのが自慢でしてな。それによると、どうもこの部屋から、高貴なにおいがふたつするのですよ。ふたぁーつね。

 はてさて、どこに潜んでおられるかなぁ、もうひとりは」

 宰相は大げさに鼻をヒクつかせクンクンと嗅ぐ仕草をしはじめる。

——こいつ! 侮辱してッ!——

 思わず喉まで声が出かかる。

 けれど『姉さんが頑張っているのは僕のため』と思い、なんとかこらえた。

 しかしこのままではどうにもならない。

 なんとか机の下まで行きたいが、いったいどうやっていけばいいのだろうか。

 僕が行けば、姉さんが外せなかった床板を外せるだろうか。

「ではでは、賭けをしませんかな、姫。この部屋に、あなた様おひとりしかいなければ、このわたしめも責任を取り……

 そうですなぁ、宰相を辞めましょう。ダナーン三世の失政による退位……

 この宰相めにも、それをおいさめしなかったという責任、もしかしたら、もしかしたらでありますが、わずかに存在するかもしれませんゆえに」

「しっ、失政などと、よくも! あなたがそう仕向けたのではありませんかッ。

 クーデターの筋書きを書いたッ、痴れ者のくせに!」

 宰相はまるで気にした様子は無い。

 フォウラ姉さんに近寄ると、日頃の贅沢によってたるんだ顔を寄せていく。

 いまにも頬ずりせんばかりだ。

——姉さんに対して、なんと無礼な!——

「ほうほう、これはいい匂いですな。まさに王族の高貴な格調高き香りだ」

 姉さんは腕を吊られて不自由な体であったが、精一杯に顔を背けた。

 宰相ド・フェランは、そんな姉さんのあごのあたりへと手を伸ばし、ゴテゴテとした宝石のついた指でつかむ。

「我を討たんとする勇ましき王子フィンよ! 勇ましいのはたいへん結構なことですな。が、あなたが尻尾を巻いて逃げたあと、大好きな姉上の命がどうなるか、お考えになったことはありますかな?」

 ド・フェランは太い指で姉さんのほほのあたりをさする。

 さらに両頬に指を押し込むと、姉さんの口がこじ開けられて顔がゆがむ。

「おっと、これはしまったわ。この部屋にいなければ、情けない王子に私の言葉など聞こえるはずもありませんでしたなぁ」

 宰相はまわりの部下と顔を見合わせ、共に下品に笑う。

「しかし、しかし、これは困りましたな。

 新しき王になる方の権威を動かぬものとするためにも、同じ顔のフィン王子という邪魔は消さねばなりません。退位された先王、姫のお父上のように、争いの種に情けをかけて生かしておいては、国というものはダメになってしまいますからな。

 まさかまさか、双子の兄弟を両方とも生かしておくなど、間抜けにもほどがある。お父上がそんなことをするから、このような事態になるのですよ」

——双子だと? いったい、なんの話をしているのだ?——

「……何を言っているのですか。王子が双子であるなどと、いわれなく父を侮辱して!」

 フォウラ姉さんもおなじ疑問を持ったらしい。

——そうだ、僕らは姉と僕の二人兄妹だぞ——

「そう、王の長年の秘密でありましたからな。秘密であったればこそ、こういう計画も立てられるのです。

 それはさておき、本当にフィンがいないかどうか試してみようではないか。ナイフをここにッ」

 控えていたド・フェランの腹心の部下がナイフを手渡す。

 それはすでに抜き放たれていて、くもりのない刃が光りを帯びて輝いた。

——まずい、行かなきゃ! もう耐えられない!——

 僕が腰に下げた剣に手を伸ばしたそのとき、フォウラ姉さんがはじめてこちらへ目を向ける。

 視線がぶつかった。

 僕に『来るな!』と、そう訴えていた。

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