第9話 夢か現か~エマの過去Ⅱ~

「なぁ、テラ頼むよ。ここだけ!ここだけ写させてくれっ!」

「・・・・これで何回目だ?次は無いぞ?」

「ありがと~、テラっ!」

「やめろ、抱きつくんじゃないっ」

「この借りは、必ず返すからな〜!」

「返さなくていいから、早く離れてくれっ」


講義の途中から寝落ちしていた真島にいつものごとく泣きつかれ、仕方なく了承の意を示したとたんに力強く抱きしめられたエマは、全力で真島の腕から逃れると、溜め息を吐きつつノートを手渡す。


「僕が嫌がる事は、絶対にしないんじゃなかったっけ?」

「してないだろ?」

「ところかまわず抱きつくの、やめてくれないかな」

「本気で嫌がってる訳じゃないだろ?」

「・・・・やっぱりノート、返してくれ」

「む~り~」

「真島っ!」

「あははははっ!」


いつものように始まる、真島とエマの追いかけっこ。

周囲の人間の口からは、こんな言葉が漏れていてた。


「水島くんてほんと、綺麗よねぇ・・・・真島くんがちょっかい出したくなるのも分かる〜」

「ていうか、あの2人、付き合ってんじゃね?」

「どうかなぁ?真島くんが水島くんにゾッコンなのは分かるけど、水島くんは・・・・?」

「え~っ!私、真島くん狙ってたのにーっ!」

「私は、水島くん♪」

「・・・・オレは眼中に無しってか、トホホ~」



エマが真島ましま ゆたかと出会ったのは、テラとして大学に足を踏み入れた、正に初日。

席の自由な入学式で隣の席に座った真島は、飄々としてどこか掴みどころのない男に見えた。

エマの烏の濡れ羽色の髪に勝るとも劣らない、真っ黒でサラサラとした短髪の髪に、同色の真っ黒な瞳。

その瞳でエマを真っ直ぐに見た真島は、開口一番にこう言ったのだ。


「俺はキミの秘密を知っている。だけど安心して。キミが嫌がるような事は、絶対にしない」


真島の声は、決して小さな声では無かった。

だが、不思議なことに、周りの誰にも聞こえていない様子。

それどころか、その瞬間だけ、時間が止まったようにエマには感じられた。


「あなたは、誰?」

「俺は、真島 裕」

「何者?」

「人間だ」

「・・・・でしょうね」


至極真面目な顔で「人間だ」などと答える真島に、身構えていたエマも、堪えきれずに小さく噴き出す。


「俺、何かおかしなことでも言ったか?」

「自覚無しですか?」

「ん?」


小首を傾げると、長めの黒髪がサラサラと横に流れて、奥二重の涼し気な切れ長の目元に淡い影を作り出す。

姿形は全く異なるはずなのに、何故だかその姿にテラの面影を感じ、ふいに湧き上がってきた涙を必死に堪えながら、エマは真島の視線から逃れる様に前を向いた。


「式が始まります」

「そうだな」

「話は、また後で」

「分かった」



「それで?あなたが知っている秘密とは?」

「隠さなくてもいい。キミは水島エマ。もうこの世ここにはいないテラの妹だろう?」

「・・・・何故それを?」

「企業秘密だ」


入学式後、場所を近くの喫茶店へと移し、エマはテーブルを挟んで真島と対面していた。

椅子に浅く腰をかけたエマの前には、香り豊かなダージリンの紅茶。真島の前にも同じものが置かれている。


「何をお望みですか?」

「望み?・・・・あちっ!けど、うまっ!」


緊張の糸をブッツリと断ち切るような、場にそぐわない真島の笑顔。

思わず、エマの心の警戒も解けてしまう。


「旨いなぁ、これ」

「・・・・ええ。テラも、好んでよく飲んでいました」


自然と、エマの口から【テラ】の名前が零れ落ちた。

それは、テラを失ってから人前で初めてエマがエマとしてテラの名前を口にした瞬間だった。


「俺の望みは・・・・」


フゥフゥと息を吹きかけながら、美味しそうに紅茶を一口啜った真島が、真顔になってそう話し出す。


「キミがこれ以上無用な罪を重ねない事」

「罪?」

「嘘も立派な罪だよ?」

「なるほど。ですが、何故あなたがそのようなことを望むのです?」

「俺には【果たすべきこと】があるからね」

「それは?」

「キミの魂を守り抜く事」

「・・・・はぁ?」


(変わった人)


目の前で満足そうに紅茶を口にする真島を前に、エマは口元に手を当てながら、じっと真島を見つめる。


エマがテラとして今この世に存在していることは、水島家の人間と水島家と密接に関わりを持つ人間以外には、誰も知らないはずだった。

この秘密がもし世間に露見してしまえば、水島家が営む事業には大ダメージとなるだろう。

言い換えれば、秘密を知った者ならば、水島家に対して何らかの口止め料を要求することもできるということだ。

だが、この男の望みは、エマの予想の遥か斜め上を行くものだった。いや、予想だにしないものだった。


(警戒すべき相手では無いと見て、いいのかもしれない)


未だ紅茶の余韻に浸っている真島の姿を眺めながらそう判断し、エマが口元に当てた手を外してホッと息をついた時。


「あ、あともう一つ」


ふとカップから顔をあげると、真島は言った。


「俺と2人だけの時には、ちゃんと【エマ】に戻ってね。自分に嘘をつくことだって、罪になるから」


呆気にとられて何も言えないエマに、真島はテーブル越しにぐいっと体を乗り出して詰め寄る。


「返事は?へ・ん・じっ!」

「あ・・・・はい」

「よしっ!」


満面の笑みを浮かべる真島に、エマもつられて笑顔になる。


「うん、可愛い笑顔だ」

「・・・・なにをいきなり」

「あれ~?意外と照れ屋さん?」

「意外と、とはなんですか」

「ん~、なんとなく?」


エマを見つめる闇のように黒い真島の瞳は、どこまでも優しい。


「別に、照れてなどいません」


頬に熱を感じながら、エマは澄ました顔で紅茶を口にした。




***************


「エマ・・・・エマっ」

「んっ・・・・あっ」


肩を揺すられ、エマはデスクから体を起こした。

いつのまにか、デスクに突っ伏して眠ってしまっていたらしい。


「珍しいな、エマが居眠りなんて」

「そうだな、居眠りは【真島】の代名詞だったからな」

「・・・・やだなぁ、エマちゃん。なに?【真島】がそんなに好きだった?」

「ひとことも言ってない」

「別にいいよ?また【真島】って呼んでくれても」

「だから、わたしはひとことも」

「あーでもやっぱヤダ。俺、マーシュだし。でも【真島】も俺だから、いいよね?」

「・・・・どっちでもいい」

「ひどっ」


おどけた様子でガックリと肩を落とすマーシュに構わず、エマは椅子に座ったまま大きく伸びをする。


(何故、今頃あんな夢を・・・・?)


「どっちでもって、俺はどっちになればいいんだ・・・・【真島】なのか?マーシュなのか?いや、もともとマーシュが【真島】だし。う~ん・・・・」

「次の魂がくるまでまだ時間があるな。マーシュ、紅茶を」

「それに、【真島】は人間の設定だし。俺、人間じゃないし。人間だったら今ここにいられないし。エマを守れないし。そうすると【約束】が・・・・」

「マーシュっ!紅茶っ!」

「はいっ!ただいまっ!」


エマの声に弾かれたように、マーシュは部屋の奥へと姿を消す。


「【約束】・・・・?誰と?何の?」


部屋の奥をじっと見ながら、エマは口元に手をあて暫し考えていたが。


「まぁ、いずれ話してくれるだろうから・・・・その時を待つか」


口元から手を離すと、美味しい紅茶を入れてきてくれるマーシュを想い、口元に笑みを浮かべた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る