第11話 これが通常運転
ガチ恋……それは所謂ドルオタ用語で、本気でアイドルやメイドに恋をしているオタク(ファン)の事や、その性質を指す。ファンの立場で普通に応援するのではなく、恋愛対象として本気で好きになってしまった——『可能性の獣』である。
そのガチ恋は、推しているアイドルの事を異性や、恋愛の対象として見ているので『同担拒否』と主張する輩が多い。SNSで「——のガチ恋なので、推し被りはフォローしないでください。見つけたらブロックします」といった、少し過激な発言が目立つ。
オタクへの蔑称・煽り言葉だが、鳴子は特に気にはしなかった。
「鳴子、またあのクズが来るみたいだよ」
「SNSにまた書いていたんですね。あはは、飽きないなぁ」
スマホを覗き、苦虫を噛み潰した顔で萌花は尋ねた。
「なんであんなクソ客に嫌な顔一つ見せないのよ」
「えっ、ううーん……別に嫌じゃないから……でしょうか? 人の好意って温かいじゃないですか。それを無下に扱うのは、私嫌だなぁ……」
「ほんっとお人好しよねえ。あんなの、仕事しててめんどくさい客じゃない」
萌花は、相変わらず不満そうな顔を見せる。
恐らく、鳴子は寂しかったのだろう。ミスばかりでお客さんに怒られてばかり、仕事への責任ばかり感じていた鳴子の荷が下りたのかもしれない。
「でも最近、仕事がとっても楽しく思えてきて……これで良いのかなって、私にとっては悪い人ではないんです!」
だから、優のガチ恋に鳴子は甘えてしまっているのだ。
それによって、仕事の楽しさが少し見えてきたのだろう。
人の幸せは自分の幸せ。自分の幸せを、誰かの幸せに結びつけられたらいい……。
そう思うくらいに、優しい表情に満ちていた。
「あっ、おかえりなさいませ~」
バターン! と大きい音を立てて扉を押し開け、店内にやってくる者が一人。
「鳴子ぉぉぉぉぉおおおおッ、ア・イ・シ・テ・ル——!」
「ひぃっ⁉」
……だがしかし、鳴子の表情はすぐさま恐怖に溢れてしまう。
「け、結婚してくれええええええええええええ——ッ!」
店内の中心で愛を叫ぶ優に、驚く鳴子。同時に割れる食器。
閑散とした店内は、彼の叫び声によって活気を呼び起こす。
それは最近、優が毎日店に来るようになってからの話である。
もちろん、目的は鳴子。推しの為に毎日足を運ぶようになっていた。
――――――――――――――――――――――――
また翌日——
「言 い た い 事 が あ る ん だ よ !」(ガチャッ)
優は、店のドアを開けるなり声を大にして申し上げた。
「お、おかえりなさいませご主人様ー……?」
「や っ ぱ り 鳴 子 は か わ い い よ !」
それに困惑する鳴子。優の威勢に、どう反応して良いか分からない様子だ。
鳴子の都合などお構いなしに、優は勝手に話し出す。
「好 き 好 き だ ー い 好 き ! や っ ぱ 好 き !」
「と、友達としての好き……でいいですか?」
「異性としてじゃああああああああああ——ッ!」
「そ、そっちでしたかー!」
――――――――――――――――――――――――
そして次の日も——
「たっだいまあああああああ——っ!」(ガチャリ)
「っ!? お、おかえりなさいませご主人様……?」
鳴子はビクリと肩を竦ませる。
いつまで経っても慣れない優の勢いに、飲まれそうになっていた。
「や っ と 見 つ け た お 姫 様 !」
またもや、奇怪なガチ恋口上を申し上げに来たようだ。
「世 界 で 一 番 ア・イ・シ・テ・ルーーッ!」
「えっと……あ、あっ、萌花さんですねっ。今呼びますー!」
自分より萌花の方が可愛くてお姫様だと思っている鳴子は、彼女を厨房から呼び出そうとする——が、優はすぐに鳴子を制止した。
「違うわああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああッッッ‼ おまえじゃああああああああああああああ——ッッッッ‼‼」
「そ、そっちでしたかああああああああああぁぁぁぁぁぁっ⁉」
――――――――――――――――――――――――
そんなやり取りが、数日続いた。
ある日のこと、優の奇妙な言動を見ていたキラがクスクスと笑っている。
「ははっ、優は本当にあの子にガチ恋なんだなぁ」
口に片手を添え、もう片方の手はお腹を支えている。
一方で、それに異を唱える者がいた。
「ほんっと、うるさいのよ……ねぇあなたの友達でしょ、何とかしてよ」
萌花は騒がしいのが苦手で、キラに助けを求めている。
優の面倒くささと、騒々しい店内の息苦しさを感じ、仕事から身を引いてしまう始末である。どうして、接客業であるメイド喫茶の仕事をしているのか謎である。
「いいじゃないか。厨房は萌花で、他は鳴子ちゃんに任せたら」
「人手が足りないから、そう言っていられるワケにもいかないのよ……」
すると、店内奥の席から鳴子の謝罪が聞こえてきた。
「あぁっ、ごめんなさい~っ、ケチャップが飛んじゃいました~!」
「仕方ねえっ、タダ飯を食わせてくれたら許してやらんでもないぞ!」
当然、毎回何かをやらかしている始末。
そのやり取りを見た萌花は、すぐさま二人の間に割って入る。
「ちょっ、鳴子ちゃん大丈夫⁉ このクズに変な事されてない、酷いことは⁉」
「なんで俺の心配してくれねえんだよ‼」
相変わらずのドジが心配で、萌花は厨房から鳴子の様子を見に来るのだ。
優の事だから許される。むしろ、彼の事だからご褒美にさえ思っているのだろうと思い、萌花は優をシカトする。
「ご主人さま顔色が悪いですね、少し頭でも冷やしますか……?」
「おしぼりはこっちだ鳴子ッ!!!!! しかもそれは雑巾!!!!!!」
「はわわわわ~~っ」
学校でやったら恥ずかしい事ランキング上位に入るミスは当たり前。
そのうち『ご主人様』を『お父さん』と間違える日が来るかもしれない。
生真面目だが、不器用にもほどがある。もし他のお客さんだったら……と、萌花は心配しつつも、鳴子の事だからこれでいいのかな……と、萌花は葛藤を抱えつつあるのであった。
――――――――――――――――――――――――
そして、ある日では——
「あぁっ、ごめんなさい間違って優さんのスマホに触っちゃって十連ガチャ勝手に引いちゃいました……」
「☆3しか出てねええええええええええええええええええええええええぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ——ッ! すげええええっ、奇跡だああああああああああああああああああああああああああああああああッッ!!!」
「えへへ……そうですかね?」
鳴子は、照れながら舌先を可愛らしくちょこっと出し、ウィンク。
頭をコツンと叩いて「やっちゃったぜ☆」と言わんばかりのポーズ。
「いや、それ全部、見事にハズレだからね……?」
萌花は忙しくて手が離せないので、キラが代わりにツッコみを入れる。
ガチ恋というものは恐ろしい。どれだけ推しに悪影響を与えられようとも、それを愛だと言って全て片付けられてしまうのだから。
キラは友人のよしみで、何度も「優、目を覚ませよ!」と涙目で訴えかける。
けれども、彼は一切耳にしようともせず突っ走る。まるで、ユーザーの事を一切考えていない、ナメきったソシャゲ制作に踏み込んだ開発プロユーザーのように……。
しかし、時が経つにつれ、鳴子と周囲に変化が訪れていた。
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